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下水溝の詰まり

 「通路の下水溝の点検にきましたす」と、水道局業者と一緒に来館される。下水の詰まりを見つけた町内会の方が、下水道局に連絡をしてくださっていたのだ。

 2年前に、下水溝が詰まり排水ができなくなて、洗濯機が水浸しになったばかりだ。ちょうどアメリカ布教の準備で忙しくしていた時で、焦ったことを覚えている。その時は、長年の生活排水の汚れだといわれた。20年間の垢や油脂分が、徐々に詰まっていたという。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-aa8b.html

 今回も、同じ箇所だ。「20年間の汚れ」は納得したが、今回はまだ2年である。応急処置で「大丈夫ですよ」と言われた。しかし、こんなに短期間で詰まるといのうは、もっと根本的なところで問題があるんじゃなかいとも思った。しかし、如何せん、素人の目にはなにもわからない。目に見えないところにあるのが、下水道なのである。表面に顕れた時だけ問題にするが、見えない部分で、何が起こっているのか。もしそこに問題があるとしたら、また近々同じことが繰り返されるだろう。

 人間の業も同じではないか。ぼくたちは、縁によって表面に現われた部分でしか内省ができない。目に見えないところで蓄積されている業を如何に知るのか。それは凡夫の目ではわからない。だからこそ、仏智に照らされて、聞かせていただしかないのである。そして、応急処置や対症療法ではなく、根本的な解決をさせていただくのである。残念ながら、その場の苦しさをしのぐ対症療法で癒されている(誤魔化していく?)のが、大半ではあろうが、、。

 

 

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