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2019年6月の22件の記事

『荒野にて』

『荒野にて』は、静かだが、余韻が残る映画だった。15歳の少年の揺れる心情が伝わって来る。

子供への愛情はあるが、仕事や住居を転々として、うまく人間関係が結べない父親が、女性関係のもつから大怪我をする。
たまたま出会った草競馬の落ちぶれた調教師と、殺処分直前の競走馬に出会う。父親がケガの間、ここで働きながら生活費を稼ぐ。その間、老馬に愛情を注ぎ、唯一の友人となる。ところが、父の容態が急変して呆気なく死んでしまい、しかも、唯一の友だった馬まで殺されることが決まる。
彼が頼ったのは、昔、愛情をもって育ててくれながら、父親とうまくいかなかった叔母だ。居場所が分からない彼女に出会うために、相棒は殺処分されることが決まっていた老馬を盗み出し、無謀な旅に出る。このあたりは無謀さ、計画性のなさは、子供である。そして、馬への感情移入が傷になり、悲劇も生まれてくる。

しかし、幸いに子供であることで、この無謀な旅が続くといってもいい。馬とも別れて、孤独になった少年が途上(荒野)で出会うのは、社会の底辺で生きる負け組の人達だ。イラク戦争に従軍し傷つき、アルコールとTVゲームに依存する男たち。定職にもつかずボロボロのトレラーハウスに住むカップル、時には、無銭飲食を見逃してくれるウェイトレスもいれば、彼が働いた金を盗むものもいる。皆、取り残され、孤独や自暴自棄で荒れた大人たち。このあたりが、「荒野にて」という所以である。荒々しい自然と共に、人の心もすさんでいる様子が描かれる。

しかも最後にたどり着く先は、母親ではない。自分を受け入れてくれるかどうかも、不透明の女性だ。だから、二人の出会いのシーンも、自ずから緊張感が生まれており、ここもよかった。

15歳の少年の物語ながら、同世代の友人は登場しない。(ひとりの父親に支配された少女を除き)すべて年長の人ばかりである。そこだけでも、彼の孤独が伝わってくる。それでも、荒々しい厳しさだけでなく、西部の美しい自然が描かれると共に、孤独な彼にもほのかで温かい光が差していく。

アメリカ映画だと疑わなかったが、クレジットをみたら100%のイギリス映画。なるほど、ハリウッドにはない繊細さは、ヨーロッパ映画だったからかと、納得させられた。

 

 

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「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(2)

「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(1)からの続き。 第一項の「真宗カウンセリングの成立」である。

 真宗からカウンセリングだけでなく、カウンセリングから真宗へという両方向からの出会いがあり、そこに「真宗カウンセリング」の成立と、可能性・必然性があるというのだ。ともすれば、「真宗からカウンセリング」の面だけで見られがちだが、「カウンセリングから真宗」もまた、時代の要請であり、必然だというのである。

  それを「両者の出会いと交流」の段落で押さえていかれる(P200~203)。ここは、真宗とカウンセリングの出会いを、巨視的・理論的視点から検討である。

 まず、1)「真宗(仏教)からカウンセリングへ」の方向。箇条書きにすると、

・釈尊は、求道から成道(悟り)至るが、そこで止まらず「伝道」へと転じられていった。それは、悟りの智慧が、迷いの苦悩の人を救おうという慈悲の行に転じることでもある。それが仏教の実践的本質である。
・その実践的本質を、釈尊以上に時間・空間に拡げ、十全に発揮しようというものが、大乗仏教の精神である。
・その精神の結晶(大慈悲心)が、弥陀の本願であり、それが我が身の上に、具体的に顕現するというのである。
・つまり、「如来より賜わりたる信心」として躍動する大悲心が、共に苦悩する凡夫として、同朋感覚にとぎすまれ、対人援助的配慮に向かう姿が、真宗カウンセリングの基本姿勢である。
・決して、宗教的権威で向き合うのではなく、共にみ光の中にある、御同朋として親しみ敬う態度である。

 次に、2)「カウンセリングから真宗へ」の方向では、

・カウンセリングや心理療法は、心の病の癒し、心の成長を促し、深い気づきやめざめによって心安らぐ道を開くものである。その理論や技法は多種多様であり、それだけ。現代人の悩みが複雑化している。
・しかし、種々の理論や技法の基礎にあるのが、「人間性心理学」。人間性を重視する流れである。たとえは、CRロジャーズやAマズローなどだが、
 ロジャーズ=人間の心の病を癒し、心を生き生きさせる原理と方法を明かにする。
 マズロー=人間の心は自己成長から、さらに自己超越に向かう深い欲求を持つ。
・上記の傾向は、仏教等の東洋の哲学や宗教に出会いや交流によって促進されてきた。すなわち、西洋の心理療法やカウンセリングは、実践や体験を重視する東洋の仏教と、既存の枠組みを破って融合し始めているといってもいい。
・しかしながら、日本仏教側からの架け橋(鈴木大拙等)は乏しく、真宗からの貢献は微弱だといのうが現状だ。
・「真宗カウンセリング」はささやかながら、対人援助という側面から、実践的に、真宗とカウンセリングを統合しようという試みである。

 しかし、この論文から30年近く経っても、真宗からの働きかけ、現実的にはまだまだお粗末なものであるのが現状。それでも、できる事から取り組んでいきたい。

 

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東京支部法座

   最近の東京支部は賑やかである。宿泊者数も復活し、新人も増えている。今回も、参加一年目の方が、法座の世話役を引き受けくださった。

   東京支部は、隔月に、1泊2日(2日間)で4座の法座を持っている。今回は、4座とも、それぞれに初参加の方がおられた。しかも、ここに至るまでの経過も異なている。母親に連れられた娘さん、家族でおいでくださった方、一人、緊張しながら参加された青年は、某会の出身者だった。また、これまで浄土真宗とは無縁ながら精神世界に興味をもった方が、ただHPだけでご縁を結んでくださったりもした。懇親会では、出会いの経緯や心境、そして質疑にもこたえることができた。

 すべてご因縁事とはいえ、不思議としかいいようがない出会いもある。ほんとうに「ようこそ」である。これからも仏縁がつながっていきそうで、それもまたうれしかった。

 ご法話は、身近な話題の分かり易いものもあれば、教義的に難しい話もした。また、グループに分かれての話し合い中心の法座も持った。ベテランの方も、初心の方も、また初めての方も、取り残されることがないようなイキイキして法座を目指していきたい。もちろん、道半ばではあるが、ぜひ皆さんと力を合せていきたいのである。

 

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訃報

東京の法座に出かける直前、電話が鳴る。豊岡の同行さんのご往生を知られる訃報だった。

親の代からの古い同人だ。日高法座の時には、欠かさず月忌参りをさせてもらうのだが、今年の3月には、お参りにおいでになれず、月忌参りもなかった。かなり悪いという話を聞いた。

衰えた姿を見られたくなかったのか、皆さんには会うのは躊躇されたが、ぼくには会いたいということだ。帰宅直前に、お見舞いを兼ねてご自宅へ。お顔が2倍以上に浮腫む、腫れ上がっていた。体のつらいを訴えられながら、これも受けていかねばならない業だ、と言われた。仏間まで出て来られず、聞こえるよう声を張って、ひとりでお勤めさせてもらった。素人目にも、かなり悪い状況だといことはすぐ分かった。これが、今生でのお別れになるだろうという予感があった。それでも、勤めて明るく別れた。お別れは寂しいが、念仏を喜んでおられた方とのお別れは悲しいだけではない。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、お念仏で見送らせてもらえるからだ。

願わくば、子息にもこのお念仏が届けどばと思う。それが故人の願いでもあった。
東京から帰宅したら、11月の日高法座の一座を、このお宅で持たせてもらいたいというメールが届く。さっそく還相回向で働いてくださっているのであろう。
   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(1)

   真宗カウンセリング研究会の月例会、今月から、西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の第四章「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」に入る。第一項の「真宗カウンセリングの成立」を担当する。

   まず、「『真宗カウンセリング』とは」の段落。
   冒頭「ビハーラ活動実践家は、真宗カウンセラーでなければならない」とあった。いきなり、「ビハーラって何ですか?」の疑問が、。この論文は、ビハーラ関係の書物に出たので、その定義がない。大半が、カウンセリングから入って、浄土真宗を学ぶ途上の人達だったで、細かく註釈をつけたレジュメを作っておいた。

  「ビハーラ」とは、サンスクリット語で、僧院・寺院あるいは安住・休養の場所を意味した言葉だ。今は、末期患者に対する「仏教ホスピス」、または苦痛緩和や癒しの支援活動をさすもので、欧米発祥の「ホスピス」が、キリスト教系の言葉であるのに対して、「ビハーラ」は、仏教の主体性・独自性を出したところに特徴がある。 
   この用語は、昭和60(1985)年、佛教大学の田宮仁先生が、水谷幸正学長に相談し、仏教を背景とするターミナルケア施設を「ビハーラ」と命名されたことに始まている。
  西光先生も、初期から関わりをもっておられて、この著述の論文も、水谷学長の記念論集に収録されたものである。

では、「真宗カウンセリング」とは何か。その当面の以下のように定義されている。

「浄土真宗に生かされている者が、心の問題を抱えている人との直接的触れ合いを通して、その人を援助する実践である。援助の目的は、その人の心の病が癒え、その人の心が健やかに育ち、その人が真実にめざめることによって、身心が安らげるような、ひとつの縁となることである。」
 そして、その実践に自覚的に取り組む主体が、「真宗カウンセラー」だというでのある。

  いつも思うことだが、「実践」がキーワードだ。真宗もカウンセリングも、また真宗カウンセリングも、机上や文字の中にあるのではなく、生きている人の上に、直接的な人間関係を通して、しかも実践体系として躍動している点が、強調されている。ここは何度でも押さえておきたい箇所だ。

  そして、この西洋と東洋、心理療法と宗教との出会いは、一方的な方向だけでなく、両方向からの出会いであり、交流であることが述べられいる。つまり、
1)「真宗からカウンセリングへ」の方向
2)「カウンセリングから真宗へ」の方向である。

  1)の「真宗からカウンセリングへ」の方向では、
 カウンセラーは真宗者でなくてもいいし、真宗者がカウンセラーでなくてもいい。しかし、もし、真宗者が、心の問題を中心に、援助的に関わろうとする時、真宗カウンセリングは成立する。その時、真宗者は、相手との関わりで真宗カウンセラーだといっていいのだ。

  同時に、2)「カウンセリングから真宗へ」の方向では、
よりよきカウンセラーとなろうと実践している人が、その人間観を深めていく過程で、仏教や真宗に出会い、真宗者の生き方や態人的程度に共感する時に、意識していようが、していない場合でも、その人は、真宗カウンセリングを実践しているともいえるときがあるというのである。

  つまり、真宗からカウンセリングだけでなく、カウンセリングから真宗へという両方向からの出会いがあり、そこに「真宗カウンセリング」の成立と、可能性・必然性があるというのだ。ともすれば、「真宗からカウンセリング」の面だけで見られがちだが、「カウンセリングから真宗」もまた、時代の要請であり、必然だというのである。

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阿弥陀如来の御修理

   高山から一位一刀彫の名工、Hさんがおいでくださった。

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  3階研修場にある仏壇と、阿弥陀様の修繕である。

   先の改修工事で、仏壇が少し前にせりだしていることが分かり、修繕をお願いしていた。しかし、木のそのものが反ってきただけで、緊急性はないらしく、しばらく様子見ということになった。修復するとなると、せっかくの神代杉(水中や土中にうずもれて長い年月を経過した杉材。過去に火山灰の中に埋もれたものという。青黒く、木目が細かく美しいという)の材質が損なわれかねないというのである。扉ひとつにも、最高の材質を使ってくださっているのだ。

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   阿弥陀様は、仏壇のおそうじをしてくださった時に、御光の一部と、左手が外れたのだ。修復機材も持参されていたが、結局、高山の工房で修繕されることになった。

   この阿弥陀様も、Hさんの作品だ。しかし、一刀彫ではなくて、寄木造なので、いくつかに解体することができる。修復箇所だけを丁寧に包んで、高山に持ちかえってくださった。

  3階の阿弥陀様は、華座と光背だけが残った。『観経』の第七華座観や第八像観ではないが、こうして部分部分を拝ませていただこくは滅多にない。でも、お留守の間、前に「南無阿弥陀仏」のお名号を安置することにした。

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SDGs、ってなあに?

 6月のビハーラ研究会のテーマは、「カードゲームでSDGsを体感する」と題して。

 案内文に、「国連で2015年に採択された「SDGs」(持続可能開発目標)達成のために、私たちには何ができるのかを、カードゲーム体験を通して皆様と共に考え、さらに「SDGs」と仏教との接点を探ってみたいと思います。」

 とあった。まったく「???」である。唯一わかったのは、カードゲーム体験があるということだけだ。正直、参加も躊躇した。が、逆にまったく知らないからこそ、学びもあるかもしれない。仏教との接点というからには、何か関連があるのだろうと、「?」の頭で恐る恐る参加した。

 いきなり、岸田外務大臣(当時)とピコ太郎の映像を見せられ、早見優の歌声に合せて、「皆さん、立ってダンスしましょう」と始まった。びっくりしたが、まあ参加する以上は、積極的にが最近の心情なので乗っていくことにした。

 わからないままペアを組んで話し合ったり、ちょっとしたワークをしたりを繰り得しながら、まだ「?」のまま、「カードゲームでSDGsを体感する」体験へ。実は、始まったても、まだ「?」のままだったが、個人の願い(欲望というより、もっと深いところでの欲求)と、社会との関わりの中で、社会全体で説く組む17の課題(貧困や飢餓をなくすとか、教育の機会や差別の解消、女性の権利、環境問題)などなどを国際的な課題を、社会全体で取り組み、「誰ひとりとして取り残さない」という宣言をなされている。SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、SDGs(エス・ディー・ジーズ)と発音するそうだ。

 経済と環境と社会の3項目に分けて、個人の活動が社会に与える影響、個人の夢と、よりよい社会(地球環境であり、公共の福祉であり、経済発展でもある)を実現させていくために、いかに活動するのか、どうすればいいのかを、体験的に学んでいった。

 実は、今回は前半で、9月にも後半が開かれることになった。それで、「仏教との接点を探ってみる」という課題には、まったく触れられることはなかったが、いろいろと感じることは多かった。

 感じたことはひとつだけ述べるのなら、阿弥陀様の本願も、苦悩する一人一人にほんとうの幸せを与えたいというものであるけれど、同時にそれは、平和で差別でもなく、貧困もな安らぎの国(極楽浄土)という建立することから始まっている。社会(国土)と、衆生(ひとりひとり)は、切っても切り離せないということである。ともすれば、個人(自己)の安心の問題として、矮小化してしまいがちであるが、利己主義に止まることなく、社会にも開かれていくものであることを改めて考えなおされた。

 次回は、さらに深く学んでみたい。詳しくは、以下の外務省ホームページなどで。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html  

https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/

 

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下水溝の詰まり

 「通路の下水溝の点検にきましたす」と、水道局業者と一緒に来館される。下水の詰まりを見つけた町内会の方が、下水道局に連絡をしてくださっていたのだ。

 2年前に、下水溝が詰まり排水ができなくなて、洗濯機が水浸しになったばかりだ。ちょうどアメリカ布教の準備で忙しくしていた時で、焦ったことを覚えている。その時は、長年の生活排水の汚れだといわれた。20年間の垢や油脂分が、徐々に詰まっていたという。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-aa8b.html

 今回も、同じ箇所だ。「20年間の汚れ」は納得したが、今回はまだ2年である。応急処置で「大丈夫ですよ」と言われた。しかし、こんなに短期間で詰まるといのうは、もっと根本的なところで問題があるんじゃなかいとも思った。しかし、如何せん、素人の目にはなにもわからない。目に見えないところにあるのが、下水道なのである。表面に顕れた時だけ問題にするが、見えない部分で、何が起こっているのか。もしそこに問題があるとしたら、また近々同じことが繰り返されるだろう。

 人間の業も同じではないか。ぼくたちは、縁によって表面に現われた部分でしか内省ができない。目に見えないところで蓄積されている業を如何に知るのか。それは凡夫の目ではわからない。だからこそ、仏智に照らされて、聞かせていただしかないのである。そして、応急処置や対症療法ではなく、根本的な解決をさせていただくのである。残念ながら、その場の苦しさをしのぐ対症療法で癒されている(誤魔化していく?)のが、大半ではあろうが、、。

 

 

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6月の聖典講座~『観経』散善(概説(3))

(4)最後に散善三観の概観である。
 上品の三機は、   大乗の行である「行福」を修する善凡夫
 中上・中中の二品は、小乗の行である「戒福」を守る善凡夫 
 中品下生は、 世間倫理的な善である「世福」を行う善凡夫
  (以上は、善人の往生相)
 下品の三機は、平生から善を成さない(三福無分)の悪人
 (下品は、悪人の往生相)

 特に、下品の三機は、平生は悪しかなさないが、それでも臨終に念仏を行い、浄土往生するので、一応、散善の機とみていいのである。その当面では、廃悪修善の念仏行で、自力念仏である。しかし、本願力回向の行である他力の念仏は、自力の散善ではなく、定散二善を超えた本願他力の行であると、特に親鸞様は深く頂かれている。

 散善三観(三福九品)

     1上品上生-行福-大乗上善の善凡夫
 上輩観  2上品中生-行福-大乗次善の善凡夫
      3上品下生-行福-大乗下善の善凡夫
     1中品上生-戒福-小乗上善の善凡夫
 中輩観  2中品中生-戒福-小乗下善の善凡夫
      3中品下生-世福-世善上福の善凡夫
      1下品上生-   十悪軽罪の悪凡夫
 下輩観  2下品中生-   破戒次罪の悪凡夫
     3下品下生-   五逆重罪の悪凡夫
  
(5)ところで、序分と正宗分では、順序の違いがある。
 序分の説き方では、
「散善」[世善(世間的善)→戒福(小乗の善)→行福(大乗の善)]→「定善」の順序であるが、
 正宗分での説き方では、
「定善十三観」→「散善」[「上輩観」(行福)→「中輩観」(戒福→世善)→ 「下輩」(三福無分)]→「他力念仏」へ の順序となる。つまり上位(難行)の行から下位の行へとなっている点に、注目した。
 
 以上、今回は散善全体を概観して窺った。
 7月からは詳細に読んでいくので、奮ってご参加ください。

 ★行事 聖典講座「観無量寿経」
 ★日時 7月7日(日)昼1時30分~5時

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6月の聖典講座~『観経』散善(概説(2))

(2)では、三福九品とは何か。
 まず、三福とは、福をもたらす三種の善行(世福・戒福・行福)、いわば善行の総称である。
 すでに、序分の「散善顕行縁」(164頁)で、三福を十一行で示されている。

一、世福=世間倫理的な善
(1)孝養父母
(2)奉事師長
(3)慈心不殺(四無量-慈・悲・喜・捨の一番目)
(4)修十善行(一、不殺生、二、不偸盗、三、不邪淫、四、不妄語、五、不両舌 六、不悪口、七、不綺語、八、不貪欲、九、不愼恚、十、不邪見)

二、戒福=戒律を護ること。小乗の善
(1)受持三帰(仏・法・僧の三宝)
(2)具足衆戒(衆戒-もろもろの戒・五戒、八戒、十戒、具足戒
(3)不犯威儀(威儀=規律にかなった立ち居振る舞い)

三、行福=自利利他行の大乗の善
(1)発菩提心
(2)深信因果
(3)読誦大乗
(4)勧進行者(利他行)

  九品(くぼん)とは、三福行を実践し浄土往生する人々を、九種類に分類して、詳しく述べている。品は、「ひん」ではなく「ぼん」と読む。人に等級や格差をつけて区分すること。浄土往生する人々を、上品・中品・下品を三分類し、それぞれにまた上生・中生・下生に三つに分けて、合計九種類の等級分けをされたものである。

(3)では、『大経』三輩段との関係とどうか。
『大経』下巻(72~75頁)には、浄土願生の人を、上輩・中輩・下輩に三分類されている。輩とは、「ともがら」「やから」で仲間のこと。
 法然様は、三輩と九品は開合の異(詳しく説くのと、合せて説くのの違い)であるといわれた。つまり、開ければ九品、合せれば三輩となる見られている。
「『観経』の九品と『寿経』の三輩と、本これ開合の異なり」(『選択集』・七祖篇1220)(続く)

 

 

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6月の聖典講座~『観経』散善(概説(1))

(大意)
 『観無量寿経』も、前回で「定善十三観」が終わって、今回から「散善三観」(三福九品)に入る。
 定善が、息慮凝心(精神統一し淨土や阿弥陀仏などを観想する)で、十三通りの順序立てられた観法だったのに対して、散善は、精神統一が出来ない者への廃悪修善(悪を廃し善を修める)の行が説かれる。これは『大経』の三輩(上・中・下)段に対応し、さらにそれぞれを「上生・中生・下生」に分け、合計九品に分類される。すでに序分(発起序)の「散善顕行縁」で、三福(世・戒・行)として散善の行が明らかにされているので、三福九品ともいわれる一段である。特に、最後の下品では、悪人のために念仏行が説かれていく。
  
(1)この散善では、聖道諸師と善導大師の分類に相違があるのが特徴だ。
 善導様は、正宗分を、定善十三観と散善三観(三福九品)に二分類されるが、それまでの聖道の諸師方は、分類をせずに十六種類の観法として捉えられた。それは『観経』に、「これを上輩生想と名づけて、第十四の観と名づく」「これを中輩生想と名づけて、第十五の観と名づく」「これを下輩生想と名づけて、第十六の観と名づく」と、十六の観法として説かれているからだ。それで、第十二観(普観)が、自身の往生を思い浮かべる「自往生観」であるのに対して、この九品段(第十四~十六観)を、他の衆生が往生する九種類の姿を浮かべる「他往生観」(聖者から悪人まで)だと見られていた。

 それに対して、善導様は、定善十三観までは韋提希夫人の要請に応えた説法だったが、それは、息慮凝心(精神統一をし、淨土や阿弥陀仏などを観想する)の難行で、すぐれた能力の者以外には困難である。精神統一できない心が散り乱れた凡夫のために、釋尊自らが説き開いてくだったものが散善であると、御覧になられた。すでに序分で「定善示観縁」の前に「散善顕行縁」を説かれ、廃悪修善(悪を廃し善を修める)の善行を、三福(世福・戒福・行福)として示された。そのありさまを開き、詳細に知らせるために、散善とし九種類(九品)に分類されたとのだと、善導様がご指南くださった。(続く)

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浅野屋洋食店

名古屋市内のお寺を会場にした法座。

新名神の延伸で渋滞が解消され、予想より早く到着した。会所の近所に浅野屋洋食店がある。今日は、仏青の若手(20代前半)も一緒だったので、ダメもとで電話した。土曜日のランチタイムで、もう予約で一杯だったが、なんとか4名分を確保してもらえた。急だったのに、ありがとう。

定番のミンチボールやエビフライなどを堪能した。

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お店は移転後、小ぶりになって席が、すぐ埋まる。名古屋にお出かけの時には、ご予約の上、ぜひお寄りください。
http://asanoya.cocolog-nifty.com/

夜は、東海・仏青合同での懇親会。こちらは、食べ飲み放題の中華料理。しかもこれが、3,000円という豪華な内容。20代の若い人達も、これには大満足。今日は、食べる方ではみちみちておられた。では肝心の法では、さて腹一杯堪能されたのでしょうか.

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華光誌編集作業

 5月末から華光誌の編集作業が続いていた。今回は、かなり効率よく作業が進み、また編集作業のIさんの頑張りもあって、いつもより数日早く、印刷所に渡すことができる。

 誌上法話は、先の750回大遠忌での企画のひとつ、「これからの浄土真宗の求道と伝道を考える」の続編で、真宗大谷派の孤杉師の誌上交流会。前半が、本願寺派の松岡師で、上下2回で終わる予定だったが、その後の質疑や補足も面白かったので3回連載に変更して、次に質疑応答部分が続く。

 信仰体験記も、ちょうど今回で二人が終わって、次回からは、新たなお二人を連載の予定である。

 今回の随想で面白いのは、最近、末期のガンと告知された京都の同人の病床記。自由闊達に筆が進んでいる。別に難しいことや深刻なことではなく、身近な話題を材料に、深い味わいを述べておられる。特に、厚化粧のところが面白い。法座や座談会で、厚化粧では面白くないと、、。ごもっとも。
 
 他に、
 8月の仏の子供大会
 9月の聞法旅行(四国の法然上人の流罪と、庄松同行)
 来年1月の「インド仏跡巡拝」の案内状が同封されている。

 発送は、7月2日(火)の予定である。お楽しみに。

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京都タワー

 今回の同窓会。いつもの東急ホテルではなく、京都駅前の京都タワーホテルが会場。

 57年以上京都にいるが、京都タワーホテルを利用したのは、今回が初めてだというのが不思議。

 その縁もあって、みんなで京都タワーの夜景を楽しむことになった。

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 ぼくの記憶では、京都タワーに登るのは、これで3回目。それでも、夜間は初めてである。これもまた面白い思い出。

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 〈任天堂を目印に華光会館を探したが、、残念〉

 

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今年の同窓会

 ぼくは、龍谷大学の二つの同窓会に出席している。
 一つは、年代を横断した信楽ゼミの関係者の集い。信楽先生がお元気をうちは講義もあった。今は門下生が成果発表があり、その後に宴である。
 もう一つが、真宗学専攻の卒業生の同窓会だ。どちらも2年おきに開催されるが、うまい具合にズレていて、年に1度、どちらかの同窓会がある。

 有り難いことに、共に京都で開かれる。京都在住は数名しかいないが、大学が京都にあり、そして本山があるのも大きい。それでも、九州や北海道など遠方の方が中心である。
 ほぼほぼ本派で、住職と坊守方なので、皆さん、ご挨拶が上手い。業界の人の集まりにちょっと腰が引いて、居心地が悪くもないが、京都在住で欠席は申し訳ないと、これまで皆勤している。

 今年は、同じテーブルに北海道の同窓生とご一緒。遠方から「ようこそ」である。学生時代に、間違いなく顔を合せているのだが、「初めまして」というご挨拶。ほぼ誰ともそんな感じで始まり、だんだん顔見知りになっていく。不思議なものである。しかも、連れ合いと同郷、出身の高校までも同じだという。当然、共通のお知り合いも多く、お互いにびっくりした。深川駅に近いので、今年の1月もお寺の前を通っていた。連れ合いは、かってお参りしたこともあるという。
 次回の深川行きで、楽しみがひとつ増えた。

 

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バズ・セッション

   今年の支部長研修会の講義。 一方的な講義をするつもりはなかった。単なる話し合いではなく、ブレーンストーミングの手法での「バズ・セッション」を行う。

 バズとは、ハチがブンブンという音のこと、セッションとは、会議のことだ。6名のグループを作り、その中でルールを設けて活発に話し合う手法だ。

 これは、全体のメンバーが多くても(30~50名)でも、6名ずつのグループを作れば、誰もが平等に発言できる。その様子が、まるで、ハチの巣を突っついたときのように、ブンブン、ガヤガヤと、にぎやかなのが、「BUZZ」という名前の由来だと聞いたことがある。 多くの人数でも、平等に、自由に活発な討議ができるというメリットがあるのだ。しかも、一つのテーマを 「6人で6分ずつ」(6×6)をひとつの標準にしている。

 華光では、もう40年以上前から導入されている手法だ。

 これは、ブレーン・ストーミングの一種である。ブレーン・ストーミングとは、文字通り、頭脳を出し合い、協力して、アイデアを出しあう発想法で、テーマに対し、参加者が自由に意見を述べることで、多彩なアイデアを得るための会議法。後は、ぼくが独自に考えて、事前に皆さんにお話するルールである。

1)誰もが協力的に、積極的に参加する。
2)頭から相手の主張を否定しない。
3)そのためにも、私(I)メッセージを遣う。
4)そして、最後まで聞く。
5)ただし、限られた時間なので、特定者だけの発言では終わらない。(1の協力的に関連)
6)時間と交通整理のための、司会役を置く。
7)後で発表するので、意見を書記役をもうける。ただし、無理に意見をまとめなくも、出たままの発表でもよい。

 ここで大切なことは、誰もが勇気をもってメンバーとして参加し、積極的に発言することだ。こんな考えは笑われるだろうなとか、これは正解ではないなーでは、新しい発想も生まれないし、気づきも起こらない。それを否定的しないで、積極的に傾聴する。誰もが平等に尊重されると、何よりもイキイキとした雰囲気になるのがいい。安心感が育成されていくのだろうと思う。

 今回は、「浄土真宗の魅力は何ですか」とか、「華光のよいところは何ですか」などというボジティブなテーマから始めて、いま抱えている課題について深めてもらった。この雰囲気を信仰座談会にいかしたいという声もあった。次回の法座ではぜひにという支部も。 

 面白かったです。

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大谷大学での真宗連合学会

 真宗連合学会に出席のために、久しぶりに大谷大学へ。長らく学会発表はしていないが、発表や講演を聞くだけでも刺激がある。専門分野でなくても、いくつか面白い発表を聞けた。

 ぼくの学生の頃と違い、最近の院生(ドクター)の発表は、かなりレベルは高い。ただ、学生の先生の違いは、発表の態度にはっきりにである。学生は、主張を一方的に目一杯するので余裕がない。先生の方の発表には、まだ余力が感じられて、その分、深みがあるように思える。

 講演は、大谷大学名誉教授の延塚知道先生が、「『大無量寿経』と『教行信証』」と題して。延塚先生のお話をお聞きしたいと思っていた。ただ、分かり易いようで、少し理解し難いところもあった。結局、何がおっしゃりたいのだろうみたいな、。学会の記念講演なのに、映画『ビリギャル』の話題(「バカな生徒がいるんじゃない。バカな先生がいるだけだ」)というような、法話みたいところあった。そして、そんな立派な先生ならお会いしてみいたと思えるが、それはちょうど東方を十方諸仏国土の菩薩方が、悪凡夫を救う仏様がおられるのならお会いしてみたいと、阿弥陀様の極楽浄土に往覲される。それまでの彼らは、何になりたいのか、何をしたいのかわからないが、阿弥陀様に出会って、このような仏になってみたい、こんな浄土を建立してみたいと願いと発願すると、阿弥陀仏から微笑みと共に記を授かり、そして力を得て、またそれぞれの国に帰っていくのだと。ある意味では、還相の菩薩方の活動相であると。その話が心に残った。

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「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」

「踊り念仏」で有名な時宗の一遍上人の展覧会である。一遍上人は、別名「捨聖」とも呼ばれた。特定の寺院に止まらず、もちろん宗派を開かず、財産もお聖教も捨て、ひたすら全国行脚(遊行)して、身分の隔てなく念仏札を配り(賦算・人々の念仏を結び、極楽往生できるという証)、踊り念仏を勧めるご生涯だった。

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 あまり時宗には詳しくないが、このブログでは、ウド鈴木が演じた映画『一遍』のことや、別府地獄を鎮めたいわれで時宗のお寺におまいりしたとき、踊り念仏をご縁にあったことなどが、直接関係する話題。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-676e.html

 さて今回の見どころは、国宝の「一遍聖絵」。法然展など、何度か観たことはあるが、前後期を合せて「一遍聖絵」が全巻展示される。たいへん詳細を描写で、当日の風物や時代が偲ばれる逸品だった。

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 個人的には、西山派の影響が色濃い(證空上人の孫弟子、法然様からは曾孫弟子になる)ので、浄土宗との関係の展示が面白かった。また、阿弥陀様の立像が尊く思えた。殊に知恩院にある法然様の臨終仏のおいわれも尊く、その着衣も独特で心引かれた。二河譬や当麻曼陀羅など、時宗以前のもの方が、ぼくには馴染みがある。

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 今回は、たまたま説明をくださった方があった。その話で面白かったところ。

 ある時、一遍が出会った僧に、念仏札を渡そうとするが、「信心がない」という理由で拒否される。押し問答の上、無理に渡すが、その対応に悩んで、熊野に参拝する。すると、夢告で、山伏姿の熊野権現が現れ、
「なぜ、間違った念仏を勧めているのか。あなたの勧めによって、初めて人は往生できるのではない。すべての人々の往生は、十劫というはるか昔に、法蔵菩薩が覚りを得て阿弥陀仏に成った時、南無阿弥陀仏と称えることにより往生できるのである」と語ったられた。この時をもって、時宗では立教開宗としているそうだ。
 ちなみに、熊野権現の本地は阿弥陀様で、浄土真宗でも「平太郎の熊野詣」が有名である。

 「法然や親鸞よりもさらに進化して、信心も念仏すらいらない。身分の分け隔てなく救われる教えが、後発でありながら、たいへん民衆に師事されたという」言われた。うーん。ぼくには「?」。確かにすべてを捨て去る潔さ、踊躍歓喜の身のあり方、心ひかれる点はあるが、それは発展というより逸脱ではないのかなーと。

 ただし、信心など難しいことはいらない。すでに阿弥陀様が十劫の時に成仏された時に、衆生の往生も決定しているのだという「心情」(十劫安心)は、表現に注意されながらも、今も真宗者にも色濃いかもしれませんね。

 そんなことも考えさせられた展示だった。南無阿弥陀仏

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『仏敵』を読む(1)

 今月の「仏書に親しむ会」から、求道物語『仏敵』を輪読する。『仏敵』の初回ということで、輪読初参加の方もあり、久々に二桁の参加者。

 初回なので、悟朗先生の「あとがき」から読む。その後『仏敵』の構造、時間軸を基にして流れを説明した。

 〈大学生の体験と筆〉
 伊藤先生は、この時、大学2回生の春休み(3回生になる)ということである。
 しかも、野口道場での聴聞は、5日足らず。全体としても(4章の回想部分を除く)、その春休みの出来事を綴った書物で、その回想部分を遡っても、2月下旬から4月にかけて、極めて短い間の出来事を綴った、求道物語だ。。
 そしてその1年後は、「仏敵」の原型が出来たという。つまり、伊藤先生は、大学生で、これは青年(学生)の体験であり、大半は、学生時代の筆によるのだからら、また驚きである。

 〈伊藤青年は「善き知識」を求めていた〉
 第4章に、野口道場での衝撃を癒すために、夜に外出される場面で、この2月下旬からの回想部分がでてくる。ここに、伊藤青年が、なぜ春休みの帰省(休暇)を伸ばして「善き知識」を求めていたのか。ここを合わせて読まないと、伊藤青年の悩みは理解できない。その悩みの解決のために、第1章で、京都で「念仏庵」を尋ねたり、他に日課数万遍の念仏を試みたり、参禅を考えたりしたのも、後生の指南となる「善き知識」を探しておられたということになる。
 しかも、求めてたいのは、学識のある先生ではなくて、一文不知の尼入道のように無碍に法を慶んでいる善き知識でした。そんな人に、本当に頭が下がるのかという疑問を持ちながらも…。それが、第2章で、野口道場に足が向く、つまり、およしさんに会ってみたいという伏線の役割をしているのである。
(各章の構造の表は、また次の機会に載せます)。

 7月は、第一章から読むので、この機会に、ぜひご参加を!

 ▶7月の『仏書に親しむ会』
 7月3日(水)夜6時50分~9時

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大きな宝

 法座が終わったら、「先生、となりの集落ですが、ぜひ、うちにもよってください」と誘われた。今は、生駒におられる同人のご実家である。急な話だったが、とても熱心に誘われた。なぜか車3台でお邪魔することになった。

 当家の主に「初めまして」とご挨拶したが、初めてではないことを思い出した。この方は、子供大会にも、仏青大会にも参加されている。そのお子さんも奥さんも、子供大会に参加されていて、実はよく知っている方であった。先代にも、先々代とも、華光とのご因縁のあるお家だ。いまは、疎遠になっているので、そのために引き合わせたいという、お気持ちであったようだ。

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 それにしても、立派な仏壇である。それだけ、ご法に篤い家である。在家でありながら、男の兄弟が複数あれば、誰か一人は、必ず得度されるという。いまでも、ブラジル開教師として、ブラジル総長にまでなられたのも方も、ここの方で、彼の地でぼくの子供たちもお世話になったのだ。不思議なご因縁である。

 家宝として、「蓮如様のご真筆」と伝えられているお名号まで見せていただいた。うん、確かにすごい。しかし、ほんとうの宝は、この胸に他力の信心の燈火が灯り、この口から出る「南無阿弥陀仏」であろう。なんという大きな宝をもらったことなのか。

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 また再び、仏法のご因縁ができることを願って、お別れをした。

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空閑処での聞法

 お経に、「空閑処」という言葉がある。心静かに、仏道修行に励む場という意味である。その言葉がぴったりな緑豊かな地で、ご聴聞の機会をいただく。 

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 高速道路網が拡がり、時間は短くなった。幹線道路から離れると、一気に山の中に入っていく。対向車もほとんどない。村落に入ると、細い山道の向こうに本堂の屋根が見えている。今は檀家数も減った山寺だが、鄙びた山里にこんな立派なお寺が建っていることに、信仰の篤さが窺える。しかも、ただ建物があるだけではない。過疎が続くといえ、お念仏の相続がある。

 あいにくの天気だったが、逆に、雨に緑が映え、霞がかかり、また別の風情がある。
  「すばらしい場所ですね」とか「こんなところに住むのは贅沢ですね」などという。といっても、所詮、たまに旅行や観光で訪れて「いい」と言うのであって、やはり都会の便利さは捨て難いのである。いい加減なものである。

 それにしても、長年に渡ってお世話になってきた。ご迷惑をおかけすることもあったが、前住様からたいへん可愛がっていただいた。善き知識として、その受けた影響は、はかりしれないものがある。もちろん、現住職さまとも、妹さんとも、若い時からの聞法の友である。

 ただ、聞法旅行に参詣させて頂いた以来、久しぶりである。何度かお声をかけてもらったが、なかなかご因縁が整わなかった。13年前は、父も一緒だったが、ぼくがご法話をさせていだたいだ。義敞先生のご往生の2年後のことである。

 今日は、華光からも大勢お参りくださり、町に出ている門徒さん、昔、仏の子供大会に参加した方がお子さん連れでお参りくださるなど、見知った顔もボチボチあって、うれしかった。

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 何よりも、お念仏の声が絶えないのが尊い。当たり前のように大声で勤行され、当たり前のようにお念仏される。たとえ、真宗の教義に精通していたとしても、その方からお念仏の声がでないとしたなら、こんな空しいこたとはない。逆に、このお念仏されるのも、先代、先々代、その前からの、たゆまないご教化の賜物である。荒れ地を開き、石や木を除き、日当たりをよくし、水はけをよくして地を耕していく。そのように、お念仏の土徳を整えてくださった上にあるのだ。しかし、それが荒れ地に戻るのもまた一瞬である。法の相続ほど、難しいことはない。それを思うとき、当たり前のことなは何一つなく、たいへんな尊いお育て、照育の光明の働きがあってのことだ。

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 しかし、当たり前すぎると、私たちはそれを粗末にする。いや、そこにご恩徳のあることなど忘れている。それを毎日、毎日、毎日見ている硬貨や、簡単な図形の伝達ワークで、身で確かめてもらった。 

 皆さん、一応に驚かれた。見ているのに、見ていないのですね。聞いているのに、聞いていない。触れているのに、触れてないない。結局、無明とはそういうことかと。そこを智慧の光明で破ってくださるのが、阿弥陀さまの照破の光明のお働きなのであろう。智慧の光明なので、無明の愚痴の目が覚めるのである。

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ブラジル移民111周年記念

朝、ブラジルの子供たちとスカイプ。ちょうど12時間の時差がある。ブラジルは日本に前日の夜だ。

お寺あるカラオケ大会の練習中。立派な講堂(舞台付)で、順番にリハーサルがある。二人も参加するので、練習の様子をライブで伝えてくれた。日本の裏側で、日本語の歌が披露されている。なんとも不思議である。

同時に、ブラジル移民111周年記念事業の一環のポスターを送られた。ころがサンパウロの街角に貼られているという。小さな時から、日本の古風な文化が好きな彼女は、ブラジルで日本舞踊を習っている。かなりの高年齢の方ばかりの中で、ひとり平均年齢を下げている。古風のことが好きなだけに、お年寄りも好きである。

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センターの白拍子が、長女。ブラジルの街角に貼られてると思うと、また不思議な気分。

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