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現代に『往生伝』は有効化か(2)

    まあ、それがだいたいの要旨ではあるが、ぼくも最後にいくつか発言した。
 一つ、浄土真宗では、江戸時代から明治期にかけて、『妙好人伝』が編纂されるが、浄土真宗の教義を逸雑する形で、臨終の奇瑞や臨死体験(蘇生)、死期の予言、来迎などが取り上げられたり、その人物像も、苦難を乗り越えて、正直、温和、孝行、また領主への忠義など、封建時代の倫理規範がそのまま反映されて、本来の浄土真宗の教義からはかなり逸雑しているが、民衆の要求には受け、また真宗の弘通には大いに役立ったこと。

 それが、現代では、教義体系の浸透し観念的な信仰となり、同時に、非論理的、非科学的な現象は切り捨てられて、たとえば三世因果や後生の解決よりも、「今を生きる」ことが中心課題となっている現状がある。

 一方で、今日取り上げられた、東日本大震災での「お迎え」現象は、確かに生きる者大きな力、癒しにはなるろう。それを頭から否定するつもりはない。では、それと浄土の教えとはどう関連するのか。ただ、科学や論理的なものさしで計りきれない、不思議な現象も、大いに役立つとしても、現状では浄土念仏とはまったく無関係である。それを前に、念仏者は、どう向きわい、折り合いをつけていくのか。そんな感想を述べさせてもらった。

 これまで問題意識のなかった問題で、いろいろと刺激を頂いた。

 

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