「水上勉と釈迦内柩唄展」
東本願寺の「しんらん交流館」の1階では、作家の水上勉生誕100年周年を記念した「水上勉と釈迦内柩唄展」が開催されていた。水上勉と釈迦内棺唄展
劇団公演に先立って、ギャラリートークに参加。水上氏の故郷である、若狭(福井県おおい町)にある「若州一滴文庫」の学芸員が、パネルや著作を基に、水上勉の生涯について語ってくれた。
今回の公演を、20~30代の若い方にお勧めしたら、「水上勉って誰ですか」という声を多く聞いて、驚いた。でも、案外、年輩の方でも、名前は知っていても、作品は読んだことがないという方もある。数々の有名な賞を受賞し、映画やテレビ化された作品も多い有名作家でも、死後15年にもなると、忘れられていくのだ。最後に、学芸員の話が、「どんな有名作家でも、時代が過ぎ去るに連れて、どんどんと忘れさられていくのだ」という話が、とても印象的だった。(もし水上作品の中で、忘れられずに残るものかあるとするなら、そのひとつが、戯曲『ブンナよ、木から降りてこい』だと本人が語ってという)。
ぼくは、大学生になった5月(たぶん降誕会の記念公演か)で、水上氏の講演を聞いた。40年も前のことだが、水上氏が60歳のときである。テーマは、「わが六道の闇夜」だったと思う。何よりもタイトルに引かれた。自身の若き日の歩みを、かなり赤裸々に話されたのが、感銘深く、その足で購買部に行って、自叙伝でもある『わが六道の闇夜』と『一休』を購入した。その後、しばらくは水上作品を読み漁った。、中学生のころから文学少年で、高校、大学生のときは、文庫本の小説ばかり読んでいた。いまでは考えられないことである。
もうひとつ、日曜学校で、花祭りの高学年の出し物で、影絵劇をやったことがある。セットも、照明もある、本格的なもの(いまは保存されてる)で、そのときに、水上作品の『ブンナよ、木から降りてこい』を行った。ぼくが脚本を書き、先生方で、影絵を造って、子供たちと何度も、何度も練習して、本番の臨んだ。これもいまでは、考えられないが、ぼくが学生時代の日曜学校では、花祭り、成道会には、先生方だけでなく、子供たちにも(低学年、中学年、高学年)に別れて、人形劇や影絵劇、または演劇(舞台も造った)などを、かなり練習して取り組んでいたのだ。こちらも、いまでは考えられないことである。
その後、縁あって水上作品である「釈迦内柩唄」を公演する劇団所属の連れ合いと一緒になった。連れ合いは、昔、原作とは異なる秋田の木挽き唄を唄って、「なぜ、その唄を歌のですか。原作通りにしてください」と、直接、水上氏からご指導(お叱り)を受けたこともあるという。1000回公演を目指して、全国を旅しているが、もう折り返しての500回を超えている。これから公演がはじまる。
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