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『誰がために憲法はある』

憲法記念の日、京都シネマで2本ドキュメンタリー映画を見る。

まずは、『誰がために憲法はある』である。まもなく米寿を迎えベテラン女優である渡辺美佐子が、日本国憲法を擬人化した「憲法クン」役になって、ボク(憲法)を巡る情勢を語っていく。「古くなった」「現実にそぐわない」という理由で、リストラの危機にある状況を述べ、その「前文」を暗唱していくのである。この憲法の3本柱である「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」が生まれてきた背景が、先の大戦のあまりにも深い傷と反省によるものにほかならないこと。それは崇高な理想であって、現実に合せるものでないことなどが語らされるのだ。第九条の戦争放棄が注目されるが、改めて暗唱される前文を耳に聞くと、とても新鮮であった。

 しかし、この映画はこれだけで終わらなかった。「憲法クン」の一人芝居は20分ほどの作品で、映画の大半は、複数のベテラン女優による広島原爆の朗読劇の舞台やその裏側が中心になっている。結局、戦争の悲惨さを繰り返してはならないという憲法の理念をあらわしているのだろう。

 有名な女優さんばかりだが、ほとんどが舞台の制作には携わったことがない。主催者を探し、支援者を集め、宣伝をして、チケットを売り、そまざまな段取りをしていくことは、みな不慣れだったという話が続いてく。そして、三十三年に渡って続いてきた取り組みも、女優陣の高齢化にくわえ、支援者の高齢化もあって、今年一杯で幕を降ろすことになったという話である。

 まるで連れ合いの劇団のような話で、これだけでも共感せざるおえなかった。制作の苦労などは普通は分からない。観客は、俳優さんに拍手する。照明や音響、大道具、小道具などの裏方の仕事も、裏方でもまだ見えている。演出や脚本の善し悪しも語られる。しかし、いちばん大切なのは、その芝居の主催者を探し、支援者を集め、集客をしなければ、芝居は成り立たないのだが、そこは、普通はまったく見えてこない。実は、制作がしっかりしないないと、いい芝居などできないというである。

 たぶん、制作も担当する劇団員と結婚していなければ、制作の苦労、高齢化による持続の困難、若い後継者不足、、、。連日、食卓の話題になることもなく、この映画でも違ったところが印象に残っていただろう。

 もうひとつ、心に残ったことは、朝ドラのヒロインに抜擢されて、突然、売れっ子になり、仕事に謀殺されていた日色ともゑに、宇野重吉は、仕事を選ぶ基準は「その仕事に正義があるのか」という言葉を送ったという。今は、「その仕事が儲かるのか」とか「効率がいいのか」とか、「役立つのか」、せいせい「自分が好きか」といった基準でよし悪しが判断される。効率よく、楽で、儲かる仕事に価値があるのだ。もし「人さまに喜んでもらえるか」が入れば、かなり上等である。そんな中で、儲からず、効率も悪く、たいへんな仕事であっても、「そこに正義がある」というものに打ち込めるとしてなら、その人生は豊かで、幸せだということになるのだろう。この言葉を聞いただけでも、この映画の収穫である。

 

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