『法然上人行状絵図』(1)
3年間かけて、法然聖人の『選擇本願念仏集』の講読を受講した。途中(第4章)からの参加で、一番大切な第一章、第二章、第三章が聞けなかったのは残念ではあるが、ひとりで講本を読んでいるよりも、直接、講義をお聞かせいただくことは、意味が深い。文章にはならないつぶやきや雑談に、興味深いことが語られたりもするからだ。その後に、講義本を読むと、このように訳してあっても、別の解釈(訳)や背景があることが、よく分かるのである。
今年から、『法然上人行状絵図』の講読が始まった。別名『四十八巻絵伝』と言われるが、法然聖人やその門弟のご一生を詳細に記述した絵巻物で、原本は国宝に指定されている。さまざまある法然上人の伝記の中でも、決定版である。全四十八巻、253段もの長編で(現存する絵巻物では最大といわれる)、「絵伝」なので、色彩鮮やかな詳細な描写が描かれている。何度か、博物館で現物を見ているが、絵画もすばらしい。詞書の内容は、単なる上人の一代期だけでなく、法語やお手紙も示され(たとえば18巻では、第18願に合せて、選択集の要文が示される)、また有力門弟の事跡も収められているのである。
これは、法然上人の没後、100年に成立したといわれるが、内容的には、伝記以上に教学書としての意味がある。同時に、「法然上人-浄土宗-知恩院」の三位一体性が主張されるという。今日では、これは当たり前のことになっているが、当時の情勢を考えるとなかなか興味深い。
法然上人滅後、さまざまな流派に分かれて教線を拡げるが、九州の鎮西にあった「聖光房弁長」(二祖)の鎮西義が、「良忠」(三祖)に継承され、関東、鎌倉を中心に勢力を延ばし、同時に知恩院を源流を築いた源智(紫野門徒)の流れを吸収して、西山派の勢力が強かった京都にも足場を作る。その後、鎌倉と京都を中心に六流に分派や、三河(徳川家の庇護)に進出などして大きな勢力となっていくのだが、法然上人の没後百年に合せて、第八世、第九世の時に完成しているのである。天皇の勅願であることを前面に出し、膨大な絵巻物を百回忌に合せて作りその力を誇示し、「法然上人-浄土宗-知恩院」の三位一体性で、他流に対して正統性を主張する狙いがあったのだろう。
このあたりの事情は、浄土真宗でも似たものがあって面白い。親鸞聖人の血脈と墓所を持ちながらも、勢力では聖人の門弟系の教団に押されていた覚如上人が、三代伝授の血脈を主張のために『口伝鈔』や『改邪鈔』を顕し、異端を批判し、親鸞聖人の本流、正統性を主張する。さらに弁長や證空を批判(まあ、ディスる)して、その鎮西義や西山派に対抗しているのである。その覚如上人は、『御伝鈔』(親鸞伝絵)も作成している。権力の正統性を主張するために行うことは、みな同じということであろう。(本願寺派や大谷派からみれば、覚如さんは、ある意味での暗闘も経験され、ご苦労されています、ということになる。これはまた別のお話)。
ちなみに、浄土宗や浄土真宗では「法然上人」だが、親鸞様は「法然聖人」を使われているので、ぼくも「法然聖人」と記述することが多い。しかし、ここは講義にならって、法然上人といたします。
この記事、後半はあくまでぼくの私見ですので、、。
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