第17回「真宗法座の集い」
定員20名に19名が集い、世話人を含めると21名の皆さんが、車座に座った。ここでは、誰も尊重され、平等であることを確認されて、始まった。具体的なことは述べられない。この安心が担保されているのが、この集いのよさである。
それにしてなんとも不思議な集りだ。顔ぶれによって集いの雰囲気は変わる。たったひとりの言動でも、場が動く。そこが面白くもあるし、また怖くもある。
グループ分けひとつでも、なかなか決まらない。作業だけみれば、非効率で、邪魔臭いことである。関西弁なら、「しんきくさい」時間がすぎる。普段なら、そんなことはどうでもいい。さっさと決めて、もしくは誰かに決められても誰も文句はない。確かに、誰かに依存したり、流れにまかせているのが楽な時もある。しかしである。もし、そう選択をするにしても、よく我が胸で何が起こっているのかをよく点検して、つまり自分に向き合って決めていくこと。発言がなくても、誰もが胸のなかでワークをしていく。そんな時間と空間が大切にされている場である。
どう進むのかも、自由である。しかしそれには、それだけに責任が伴う。そのことをよく自覚した上で行動しないと、この場では、逆にしっぺ返しにあう。いわゆる世間の常識、生半可な親切は通用しないのだ。しかしそれも他人のせいではない。全部、自分の問題なのである。
結局、二つのグループに分かれたが、この時点で、自分が何がしたいかが、自分で点検され、確認されていると思う。
また、ぼくのグループでは、「聞く」ということがテーマになっていた。私が感じることと、あなたが感じることは、それぞれ違う。あなたのことを、自分の体験や枠で図っても聞いたことにはならない。その意味では、自分の思いや感じを感じつつ、それはそのまま置いておいて、相手のままを聞かせてもちう。聞いたところを、そのままフィードバックさせてもらう。そして確認をとることが、聞くということなのだろう。そんなことを、実践の場面で、確認しなから進んでいた。ほんとうに聞くことの難しさ、伝えることの難しさを感じさせられた2日間だった。
とにかくまだ参加されたことのない方は、ぜひ、ご参加してみてください。
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