5月の華光誌輪読法座
輪読法座は、内装工事の関係で、3、4月はお休みをした。今日は、中心メンバーも入院中、常連の母も、連れ合いも欠席で、参加者が数名になるかと心配したが、初めての方、久しぶりの方もあって、それなりの顔ぶれになった。「見舞いに来るより、法座に出てほしい」との声に背中を押されて、お見舞いより、何ケ月ぶりに法座に参り下さる若い方。押し出されてでも、踏み出されたのは有り難い。でも、病気になられた方に驚いても、いざ、我が身の無常となると、まったく驚かないのも、凡夫の姿。
誌上法話は、先の親鸞聖人の750回忌の時の企画「これからの求道と伝道を考える」から、トップでお話くださった松岡先生の法話を読む。誌上法話というより、信仰体験発表に近い。先生の独自の歩みは、本人曰く「しつこい、しつこい」歩みで、また「お前はダメだ、ダメだ」と自己否定するものとの自己内葛藤の歩み。決して、真似をしようと思ってもできるものではない。同時に、率直な心理描写は、とても魅力的だ。一念の時、その体験を「グーッ」と握りにかかったり、それを念仏で誤魔化す心が起こるくだりは、誰もが誤魔化しかねない自力の心で、これを具体的に、赤裸々に語ってくださっているのに、心引かれた。
お寺のご縁から、初参加された方が、「お寺さん、ご住職とえいば、葬式や法事ばかりだと思っていたけれど、こんな方がおられたことに驚きました」という趣旨の発言された。華光での当たり前は、真宗全般では、稀なることなのだろう。
僧俗(緇素)の別なく、一個の凡夫の身で、おのれ後生の解決を求めていくのが、この場の尊さである。その場に押し出されたのなら、その流れに乗らせてももって聞き開かせていただきたい。南無阿弥陀仏
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