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2019年5月の23件の記事

『法然上人行状絵図』(1)

 3年間かけて、法然聖人の『選擇本願念仏集』の講読を受講した。途中(第4章)からの参加で、一番大切な第一章、第二章、第三章が聞けなかったのは残念ではあるが、ひとりで講本を読んでいるよりも、直接、講義をお聞かせいただくことは、意味が深い。文章にはならないつぶやきや雑談に、興味深いことが語られたりもするからだ。その後に、講義本を読むと、このように訳してあっても、別の解釈(訳)や背景があることが、よく分かるのである。

 今年から、『法然上人行状絵図』の講読が始まった。別名『四十八巻絵伝』と言われるが、法然聖人やその門弟のご一生を詳細に記述した絵巻物で、原本は国宝に指定されている。さまざまある法然上人の伝記の中でも、決定版である。全四十八巻、253段もの長編で(現存する絵巻物では最大といわれる)、「絵伝」なので、色彩鮮やかな詳細な描写が描かれている。何度か、博物館で現物を見ているが、絵画もすばらしい。詞書の内容は、単なる上人の一代期だけでなく、法語やお手紙も示され(たとえば18巻では、第18願に合せて、選択集の要文が示される)、また有力門弟の事跡も収められているのである。

 これは、法然上人の没後、100年に成立したといわれるが、内容的には、伝記以上に教学書としての意味がある。同時に、「法然上人-浄土宗-知恩院」の三位一体性が主張されるという。今日では、これは当たり前のことになっているが、当時の情勢を考えるとなかなか興味深い。

 法然上人滅後、さまざまな流派に分かれて教線を拡げるが、九州の鎮西にあった「聖光房弁長」(二祖)の鎮西義が、「良忠」(三祖)に継承され、関東、鎌倉を中心に勢力を延ばし、同時に知恩院を源流を築いた源智(紫野門徒)の流れを吸収して、西山派の勢力が強かった京都にも足場を作る。その後、鎌倉と京都を中心に六流に分派や、三河(徳川家の庇護)に進出などして大きな勢力となっていくのだが、法然上人の没後百年に合せて、第八世、第九世の時に完成しているのである。天皇の勅願であることを前面に出し、膨大な絵巻物を百回忌に合せて作りその力を誇示し、「法然上人-浄土宗-知恩院」の三位一体性で、他流に対して正統性を主張する狙いがあったのだろう。

 このあたりの事情は、浄土真宗でも似たものがあって面白い。親鸞聖人の血脈と墓所を持ちながらも、勢力では聖人の門弟系の教団に押されていた覚如上人が、三代伝授の血脈を主張のために『口伝鈔』や『改邪鈔』を顕し、異端を批判し、親鸞聖人の本流、正統性を主張する。さらに弁長や證空を批判(まあ、ディスる)して、その鎮西義や西山派に対抗しているのである。その覚如上人は、『御伝鈔』(親鸞伝絵)も作成している。権力の正統性を主張するために行うことは、みな同じということであろう。(本願寺派や大谷派からみれば、覚如さんは、ある意味での暗闘も経験され、ご苦労されています、ということになる。これはまた別のお話)。

 ちなみに、浄土宗や浄土真宗では「法然上人」だが、親鸞様は「法然聖人」を使われているので、ぼくも「法然聖人」と記述することが多い。しかし、ここは講義にならって、法然上人といたします。

   この記事、後半はあくまでぼくの私見ですので、、。

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ご示談

 先週の真宗法座の集いでも、未消化のまま終わったのだろ。

 ただ聞くこと一つ。こんな易しい御法はない。しかし、そのたった一つが、難中の難である。

 対峙する二人が、共に苦しい時を過ごした。

 「ごちゃごちゃ言わずに、ただ称えさせてもらいましょう」

 「機を詮索は無用。ただ、法の手強さを仰ぐ一つ。凡夫は、なんのわずらいもなく、ただただおまかせしていきましょう」

 「求道などないのです。ただ仏さまの願いを聞くだけです」

 これまでぼくか、法座や真宗者の方から、どこかで聞いたことがあるフレーズだ。

 しかし、それらは、ぼくがこれまでお聞かせに預かってきた浄土真宗の肝要ではない。いや、似て非なるものだといってもいい。たとえつらい道ののりでも、たったひとりでも、この一大事を突破させてもらう。納得するのでも、言い聞かせるのでも、心の安らぎでも、念仏や体験を握ることでもない。誤魔化さず、真摯にまことを求める人と、ぶれることなく、愚直に、共に歩んでいこう。南無阿弥陀仏
 

 

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高山法座は篤かったか?

  暑かった高山法座。ぼくが初めてこの地で法座をもたせてもらった20数年前、各家庭にクーラーなどなくても、夏でもしのぎやすかった。それが、F家でも、1階にも、2階にも、クーラーが設置されていた。

 5月というのに、この異常高温である。この地でも、週末は、両日、33度くらいまで気温が上がり、暑かった。しかし。最低気温は7度しかなく、寒くて暖房を入れたという。朝は暖房、日中は冷房、寒暖の差が激しい週末だった。

 では、気温に負けず、座の内容は篤かったか。新潟や富山の皆さんのおかげで、なんとか暑い法座となった。しかし、高山だけなら、、。現状に満足せずに、ぼくはこれらかも、いろいろな分野で学び続けたいと思っている。どうか、皆さんも、まだ老け込まずに、ついてきてください。この地にもそれだけの先達の尊いお働きがあったことは、ご承知のとおり。

 ならば、仏法を大事と思うのなら、どうか自らをひき破り、鼓舞して、いまのお寒い現状を打破したいと願っております。

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さよなら、やさしい愛妻号

 数年前から兆しはあった。

 やさしいといっているのに、地震かと思うほどの振動。もしかして、爆発するのかと思うほどの爆音。

 それが、この1年、洗濯時間が表示より、2倍、その後3倍(45分とあるのに2時間でもまだ無理)とかかるようになった。水がチョロチョロしか出なくなったのだ。会館修繕時に、電機屋さんに見てもらったら、もう修理が難しいとのこと。まあ、時間はかかっても壊れるまではということになったが、もうアッという間に壊れた。

 公演があったので、その間は、母のところの洗濯機にご厄介になって、この度、購入を決めた。

 製品は連れ合いが選んだ。そのあと、ネットで調べ、量販店で調べて、損をしないように考える。これがなかなか曲者だ。値段が安く、配送料無料とあっても、設置料がべらぼうに高かったり、リサイクルの引取運賃が高かったり、逆に高いようでポインで割安だったりと、例によって心を悩ませた。結局、総合的に、家電量販店の大手のサイトが、一番お得ということがわかった。そのままネットで買ってもよかったが、そこなら京都駅前にあるお店なので、もう一度、現物を見てから購入することにした。

 で、お店に行ってまた驚いた。同じお店のサイトなのに、ネット販売よりもさらに9000円も安かったのだ! 即、決定かと思ったら、ここで連れ合いが悩みだした。10キロは大きすぎるので8キロと決めていたのに、その中間の9キロがあったからだ。どうも1階の現状よりも3階の8キロの洗濯機が小さく感じるというのだ。でも、感じるだけで、実際の数字ではないので、なかなか決まらないので、話を進めることにした。

 で、結論はよかった。もともとのものは6キロしかなく、やっぱり感じの問題だけ。その日のうちに、無事に納入されました。

 掃除機、電子レンジ、炊飯器、ドライヤー、デロンギ、そして洗濯機と、妻と共に新しくなって、「いよいよ冷蔵庫だね」と、次に最大の大物が狙われている。

 やさしい愛妻様、長年にわたりありがとうございました。さようなら。

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現代に『往生伝』は有効化か(2)

    まあ、それがだいたいの要旨ではあるが、ぼくも最後にいくつか発言した。
 一つ、浄土真宗では、江戸時代から明治期にかけて、『妙好人伝』が編纂されるが、浄土真宗の教義を逸雑する形で、臨終の奇瑞や臨死体験(蘇生)、死期の予言、来迎などが取り上げられたり、その人物像も、苦難を乗り越えて、正直、温和、孝行、また領主への忠義など、封建時代の倫理規範がそのまま反映されて、本来の浄土真宗の教義からはかなり逸雑しているが、民衆の要求には受け、また真宗の弘通には大いに役立ったこと。

 それが、現代では、教義体系の浸透し観念的な信仰となり、同時に、非論理的、非科学的な現象は切り捨てられて、たとえば三世因果や後生の解決よりも、「今を生きる」ことが中心課題となっている現状がある。

 一方で、今日取り上げられた、東日本大震災での「お迎え」現象は、確かに生きる者大きな力、癒しにはなるろう。それを頭から否定するつもりはない。では、それと浄土の教えとはどう関連するのか。ただ、科学や論理的なものさしで計りきれない、不思議な現象も、大いに役立つとしても、現状では浄土念仏とはまったく無関係である。それを前に、念仏者は、どう向きわい、折り合いをつけていくのか。そんな感想を述べさせてもらった。

 これまで問題意識のなかった問題で、いろいろと刺激を頂いた。

 

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現代に『往生伝』は有効化か(1)

 佛教大学ビハーラ研究会に出席する。

「現代に『往生伝』は有効化か」という研究発表。テーマが面白かった。

 浄土教が盛んになると、中国で「往生伝」が作られるが、日本でも、平安時代以降、10世紀の『日本往生極楽記』を嚆矢に、いわゆる「六往生伝」が成立する。その後、中世以降はあまり注目されないが、江戸時代に入って全盛期を迎え、次々と往生伝が生み出されていく。明治期に入ってもしばらくは続くが、その数が激変。明治四十四年の「第二新明治往生伝』以降は、本格的な往生伝の編纂がなくなっている。

 では、江戸後期の浄土宗系の「往生伝」はどんなものか。その人物像として、正直、温和、孝行、また忠義といった浄土宗の教えとは無関係で、むしろ時代的、社会的要求、倫理観が色濃く顕れてくるようになる。しかし、まだ往生行は専修念仏、臨終の奇瑞や死期の予知など、これまでの伝統的な往生伝の記述を継承している。また、例は少ないか臨終行儀などの作法も述べられている。がしかし、臨終の正念や奇瑞だけでなく、たとえ病苦や死苦も「転重軽受」と受け止めたり、臨終の奇瑞のみに偏重することを誡めあったりするという。

 それが明治期になると、「往生伝」そのものが減ってきて、内容も、来迎描写で浄土へ誘引しようというような奇瑞重視から、出来る限り事実を事実として描写する傾向が強くなってくるという。特に、廃仏毀釈の嵐の中で、堕落的な僧侶の有り様ではなく、厳しい生活条件の中でも、道徳的にも、倫理的にも模範的な往生者が描かれるようになる。同時に、宗学も確立され、教義的誤解を招くような非科学的な臨終の奇瑞や来迎の描写は減ってくる。しかしそのことは、皮肉にも、民衆の要請であった従来の「往生伝」の臨終の奇瑞や死期の予知などの科学では割り切れない不可思議で魅力を削ぐこととなって、魅力を失った「往生伝」は、その後、まったく編纂されなったというのてある。
 しかし、科学では証明できないような人々の抱く割り切れない思い、血の通った思いが我切れない思いが、非科学的とか、正統な教義で切れ捨てられていくだけで、ほんとうにいいのだろうか。現代には、現代に相応しい、「往生伝」があっていいのではないだろうか。

 そして、単に、非科学的として切り捨てられない例として、東日本大震災の被災者やその家族の間で多く体験された「お迎え」現象の事例が紹介された(『魂でもいいのでそばに居て』より)。家族を失い、生き残った(取り残された)思いが抱く生存者が、夢などで、亡くなった親近者と出会い、癒されていく体験を綴ったものが紹介された。

 

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第17回「真宗法座の集い」

 定員20名に19名が集い、世話人を含めると21名の皆さんが、車座に座った。ここでは、誰も尊重され、平等であることを確認されて、始まった。具体的なことは述べられない。この安心が担保されているのが、この集いのよさである。

 それにしてなんとも不思議な集りだ。顔ぶれによって集いの雰囲気は変わる。たったひとりの言動でも、場が動く。そこが面白くもあるし、また怖くもある。

 グループ分けひとつでも、なかなか決まらない。作業だけみれば、非効率で、邪魔臭いことである。関西弁なら、「しんきくさい」時間がすぎる。普段なら、そんなことはどうでもいい。さっさと決めて、もしくは誰かに決められても誰も文句はない。確かに、誰かに依存したり、流れにまかせているのが楽な時もある。しかしである。もし、そう選択をするにしても、よく我が胸で何が起こっているのかをよく点検して、つまり自分に向き合って決めていくこと。発言がなくても、誰もが胸のなかでワークをしていく。そんな時間と空間が大切にされている場である。

 どう進むのかも、自由である。しかしそれには、それだけに責任が伴う。そのことをよく自覚した上で行動しないと、この場では、逆にしっぺ返しにあう。いわゆる世間の常識、生半可な親切は通用しないのだ。しかしそれも他人のせいではない。全部、自分の問題なのである。

 結局、二つのグループに分かれたが、この時点で、自分が何がしたいかが、自分で点検され、確認されていると思う。

 また、ぼくのグループでは、「聞く」ということがテーマになっていた。私が感じることと、あなたが感じることは、それぞれ違う。あなたのことを、自分の体験や枠で図っても聞いたことにはならない。その意味では、自分の思いや感じを感じつつ、それはそのまま置いておいて、相手のままを聞かせてもちう。聞いたところを、そのままフィードバックさせてもらう。そして確認をとることが、聞くということなのだろう。そんなことを、実践の場面で、確認しなから進んでいた。ほんとうに聞くことの難しさ、伝えることの難しさを感じさせられた2日間だった。

 とにかくまだ参加されたことのない方は、ぜひ、ご参加してみてください。

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講座「仏教カウンセリングを求めて」(2)のご案内

呼びかけ
昨年大好評だった、講座「仏教カウンセリングを求めて」を、今年も企画しました。奈倉道隆先生をお迎えし、日本生まれで、独自の仏教とカウンセリグ・心理療法の統合を提唱された先哲(藤田清氏、森田療法、吉本内観法)を基盤に、浄土門の実践的な仏教カウンセリングを探求する講座です。参加者との対話、課題のロールプレイ実践なども行います。今回が初めての方も、奮ってご参加下さい。お待ちしております。
終了後は会員・参加者の交流の場です。懇親会からの参加も歓迎です。合掌
    
日 時:2019年7月6日(土)13時30分(13時受付)~17時30分
     (懇親会)       18時~20時頃終了

場 所:華光会館(075-691-5241)(近鉄十条駅徒歩1分)
    京都市南区西九条東柳ノ内町22(075-691-5241)

参加費:(一般)3,000円・(会員)2,000円

懇親会:近鉄十条駅前「來人(らいと)」実費清算(4,000~4,500円)

内 容
 この講座では、まず先哲が開発された日本生まれの仏教カウンセリングの方法を学びます。『藤田清の龍樹の中観論(否定的啓発法)による目覚め』・『自身の乳児期から再出発し、あるがままを受容できる自己を再構築する森田療法』・『内観三法によって罪深く恵み多き自己に目覚める内観法』などです。これらを基盤として浄土門の仏教カウンセリングを探求してまいります。
 10名程度エンカウンター体験、参加者全員が3名の組を作り、与えられた課題でロールプレイなどの実践体験などを行います。多角的に自己を鍛錬してほしいと思います。(奈倉)

ご講師:奈倉道隆先生 京都大学医学部卒。龍谷大学社会学部元教授。東海学園大学名誉教授(仏教概論・共生人間論担当)介護福祉士・老年科医師

〆 切:出来れば、前日までに増井 信まで。(懇親会は定員〆切)

申込先:Eメール(mhg03073@nifty.com)、Fax(075-661-6398番)、又はハガキ に、(1)~(4)を明記しお申込み下さい。(1)氏名(2)連絡先(電話、メール)(3)会員の有無(4)懇親会の有無

主 催:真宗カウンセリグ研究会

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講座「仏教カウンセリングを求めて」の事前学習

 真宗カウンセリング研究会の月例会では、『育ち合う人間関係』を輪読中が、今月はお休みして、奈倉先生のお話を窺った。
 7月6日(土)に、講座「仏教カウンセリングを求めて」(2)と題した講座がある。昨年に引き続き、奈倉道隆先生にお願いした。その奈倉先生から、進行や内容の相談がしたいということで、レジュメに基づいて、一足早く、講座のあらましをお聞きすることができたのだ。

 レジャメに基づいた、だいたいのあらましは、

1仏教カウンセリングの特色

2目覚めの「談合」蓮如上人」とエンタカンター・グループ

3藤田清氏のの「佛教カウンセリング』

4森田療法-症状に執着する心を克服し、健康に生きる努力

5内観-過去の人生の最体験(回想)、人格の発展をはかる

6来談者に寄り添って傾聴せさていただくロールプレイ。

六項目だったが、その中心は、2と6、つまり10名程度での「エンカウンター・グループ」と、3人組での「如是我聞ゲーム」(ロールプレイ)という二つの実践を行うことが提案された。その時間配分や進行の相談が主だったが、ここに参加する皆さんが、自由に意見を出し合う雰囲気が出来ていた、エンカウンター・グループのようだったのが印象的だった。

真宗カウンセリングではなく、「仏教カウンセリング」と名乗っているのもミソで、参加者も、そのあたりも深く探求してもらいたいが、まずは、この講座をきっかけに、カウンセリングなり、仏教カウンセリングに興味をもってもらえばと思っている。奮ってどうぞ。(詳細は、次項に掲載中)

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5月の華光誌輪読法座

 輪読法座は、内装工事の関係で、3、4月はお休みをした。今日は、中心メンバーも入院中、常連の母も、連れ合いも欠席で、参加者が数名になるかと心配したが、初めての方、久しぶりの方もあって、それなりの顔ぶれになった。「見舞いに来るより、法座に出てほしい」との声に背中を押されて、お見舞いより、何ケ月ぶりに法座に参り下さる若い方。押し出されてでも、踏み出されたのは有り難い。でも、病気になられた方に驚いても、いざ、我が身の無常となると、まったく驚かないのも、凡夫の姿。

 誌上法話は、先の親鸞聖人の750回忌の時の企画「これからの求道と伝道を考える」から、トップでお話くださった松岡先生の法話を読む。誌上法話というより、信仰体験発表に近い。先生の独自の歩みは、本人曰く「しつこい、しつこい」歩みで、また「お前はダメだ、ダメだ」と自己否定するものとの自己内葛藤の歩み。決して、真似をしようと思ってもできるものではない。同時に、率直な心理描写は、とても魅力的だ。一念の時、その体験を「グーッ」と握りにかかったり、それを念仏で誤魔化す心が起こるくだりは、誰もが誤魔化しかねない自力の心で、これを具体的に、赤裸々に語ってくださっているのに、心引かれた。

 お寺のご縁から、初参加された方が、「お寺さん、ご住職とえいば、葬式や法事ばかりだと思っていたけれど、こんな方がおられたことに驚きました」という趣旨の発言された。華光での当たり前は、真宗全般では、稀なることなのだろう。

 僧俗(緇素)の別なく、一個の凡夫の身で、おのれ後生の解決を求めていくのが、この場の尊さである。その場に押し出されたのなら、その流れに乗らせてももって聞き開かせていただきたい。南無阿弥陀仏

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自力整体~体癖を知る~

  会食や飲み会が4日間続いたが、顔ぶれが違うと雰囲気は違う。同級生と飲み、劇団員と飲み、法事で飲み、そして今日は、自力整体の生徒さんとの会食。教室では、黒一点だが、食事会でそうだった。昔からのおつきあいの方もおられるが、初めてお会いする別会場の方もおられた。人生の先輩方である。ただこの教室、自力年数では、ぼくがかなり先輩である。

 午前中、自力整体を終えた会場で、会食する。しばしば利用しているイタリアンローフードの京町家のレストランである。
 
 先生から、「体癖」という話を聞いた。癖は体にもある。それを「上・下」「前・後」「左・右」「開・閉」「ねじれ」の5種類に分け、それぞれに「開・閉」を加えた8種類に分類して、体の癖に連動した性格や心の癖をタイプ別にしたものである。

 「なくて七癖」というが、しぐささ、思考には癖があるように、体にも癖があるのだ。たとえば、足ひとつでも、右にくむのと、右にくむでは違う。振り向くのでも、右と左でも、やり易いほうがある。楽な方が緩んでいてい、片方が縮んでいるのだ。かといって、楽な姿勢ばかりを続けていると、それが凝りや痛みとなっていくのである。しかも、体は心に連動しているのである。姿勢が変わることで、気持ちだった変わるのだ。もしかすると、身(姿勢)が心を造っているといてもいいかもしれない。世間は、だいたい逆の発想(心が第一)ではあるが。体の癖、タイプが異なると、発想や行動が変わる。そのことを、よく知って、見極められれば、他のタイプの人と軋轢が軽くなるのかもしれない。その意味、体を癖を知ることは、人生を楽に生きることにつながるのかもしれないなー。

 

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日高での法事

日高での法事に向かう。

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 前夜は劇団の打ち上げがあり、遅くまで飲む可能性を考え、電車を予約しておいた。予想は半分は当たった。ぼくは早めに帰ったが、連れ合いは華光の人と飲んで遅くなった。色々あって、こちらも遅くなってしまった。山陰線に乗って、日高法座に向かうのは久しぶりだ。まだ免許がなかった10代の頃は、いつも「急行」に乗って訪れいていた。その車中でもいろいろなこと(酔っぱらいに絡まれている女性を助けたり、逆に、妙な男に人に出会ったり)を思い出した。

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でも、列車の乗り心地も、車窓の風景も、40年前とは大きく違う。その40年前から一番お世話になっていた方で、いわば、ぼくの外護の善知識の一周忌である。3年前に娘さん亡くされた。それでずいぶんガックリされた。葬儀、一周忌、三回忌と3年続けての勤めが終わって、一段落と思ったら、昨年、ご主人(お父さま)が亡くなった。また法要が続いている。このお家の皆様とは、ほんとうによくよくのご因縁だと思う。

 仏法のご縁がなければ、この皆様とも出会うことがなかった。それだけの念仏の法地だ。皆さんと一緒にお念仏し、勤行をしたが、次の世代、その後の世代の若い方には、お念仏の相続はこれからだ。ご法話もそのあたりに焦点をあてた。

 「恥ずかしがらず、口に出して「南無阿弥陀仏」と申してください」とお願いした。なぜ、心の中で留めないで、言葉にするのかをお話申しあげた。心の中は見えない。しかし、口に出すとはっきり見えることがある。しかしそれが難しいのだ。

 今日は母の日だった。誰でも「ありがとう」の5文字は、簡単に言えるが、母親と向かって、正面から「お母さん、いつもありがとう」「お母さん、産んでくれてありがとう」と言うとなると、照れ臭さや恥ずかしさが起こって、素直になれない。家族に対して、悪いなーと思って時も同じ。分かっていも、素直に「ごめんね」の言葉は、勇気が要る。たった一言。いや、ワンフレーズであるのに、難しいということを日頃経験している。それでいて、そうしようという思いはあるのにである。素直になれなくて、真逆な態度や言葉を出して、自己嫌悪になった経験は、誰もがもっている。

 「南無阿弥陀仏」も同じことだ。たった六字を称えることに抵抗する心が起こってくる。たった六字「南無阿弥陀仏」が素直に言えない。「恥ずかし」とか、「照れ臭さ」とか、「本心ではい」とか、「そんな殊勝な心はない」とか「そこまで熱心ではない」とか……。とにかく言葉にできない「気持ち」がどんどん湧いてきて、声に出さない。実は、そこに向き合うだけでも尊いのである。そして、その六字のお心を諄々と聞かせて頂くことが、ご聴聞である。その六字が、誰のために、なぜ、出来上がったのか。なぜ、南無阿弥陀仏の六字ですべてが終わるのか。

 心に正直であることも大切だが、行動が気持ちを造っていくということもある。「恥ずかしからず、声に出してください。一緒に、お念仏申しましょう」と、最後はお念仏を申して終わった。

 どこまで伝ってから知らないが、とにかく一座、一座のご縁を大切にしながらお伝えさせてもらった。南無阿弥陀仏

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~神鍋高原での会食。ご馳走過ぎて、苦しかったです~

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東本願寺で「釈迦内棺唄」を観る(2)

 京都在住の連れ合いが、今回の責任者である関係で、準備段階から動き回っていた。チケットの売れ行きをすごく心配していた。各種新聞に取材をうけて、写真入りで掲載されたら、その日は、効果があったが、全体像はなかなか見えてこなかった。

 ぼくも微力ながらお手伝いした。ボスターを張りやチラシをお店においてもらった。仏書店、念珠屋、行きつけのカフェ、オガニックカフェ、イタリアンリストランテ、自力整体教室、美容室に、歯医者、同朋観光さんに、佛教大学の四条センター、京都シネマなどなど。結局、それが、ぽくの京都での行動範囲ということになる。快く引き受けてくださっても、ボスターを張ってもらうだけでは、チケット販売には結びつかない。やはりチケットは、個別に、直接、売り込みが一番だ。

 これもまた自分の行動範囲の皆さんにお願いした。一番は、近郊の華光同人の方。近郊といっても、京都、大阪、滋賀だけでなく、三重、愛知、そして広島や福岡からもお出でくださった。ありがとう。町内会や文化教室の方は、不発だったが、自力整体の教室方は、10年以上のおつきあい方の反応がよかった。真カ研の会員も同じで、長年の知人が来てくださった。他にも、お寺関係の方、小中学校の同教生、思わぬところで思わぬ方がお出でくださった。夫婦連れ、お子さん連れ、懐かしい顔もあって、ぼくの関係だけで50名以上の方がお出でくださったが、大半が土曜日である

 それだけに入りが心配だったが、土曜日は満席で、急きょ、席を作った。金曜日でも、9割近くは埋まった。

 自力整体の先生の横に、華光の同人の方が座り、その後ろにはカウンセリングの知人が座り、ぼくは小中の同級生と座り、大学の同級生がいる、別々の場所、空間で出会う人が、一同で空間に座り、芝居を見ていることが不思議だった。

 初日は、お世話頂いた同級生と、広島のM君というまったく想像外の顔ぶれで飲んだ。
 2日目の打ち上げは、劇団の皆さんと、しんらん交流館のスタッフ(大谷派の職員)、お手伝い華光の皆さんとご一緒した。
 ある意味、に異文化コミニケーションのようで、いずれも楽しかった。

 妙心寺派の花園大学の学生さんが撤収作業を、テキパキと手伝ってくれていたのが、印象的。
 このトラックを、連れ合いが運転して、次の公演先の厚木市に向かった。

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東本願寺で「釈迦内棺唄」を観る(1)

   東本願寺の「しんらん交流館」で、2日間に渡っての劇団希望舞台「釈迦内柩唄」の公演が始まる。昨春の東京築地本願寺での公演を見て以来、ちょうど1年ぶりである。
 これまでこの演目は、5年間で4度観だが、演出がそれぞれ違うので、雰囲気は違った。最初は、米倉斉加年氏の演出。前回は、劇団代表の由井数氏で、今回は、加藤頼氏が演出補である。 何度も観ても、新鮮なのは驚いた。それぞれの感想は以下で、、。

 築地公演

 和歌山公演

 大阪公演

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  (劇団希望舞台提供・顔ぶれから昨年の舞台から)

 しかも、同じ芝居を、2日間続けて観れたのは、貴重な体験だった。映画好きのぼくは、2度、3度と気に入った映画をみることはある。それは期間を空けてのことで、連続で観たことはない。観るこちら側の状態が変わっただけ、印象は異なるのだ。しかし、映画そのもの内容については、演技を含めてまったく変わらない。当たり前である。
   ところがである。演劇は違う。今回、それがよく分かった。セリフが同じでも、その間、トーン、雰囲気が異なる。それは舞台上の役者だけではない。観客の雰囲気が、舞台に影響するように思えた。いや、役者の演技が観客に影響しているのかもしれない。とにかく、エンカンターグループや華光の法座と同じである。話す者と聴く者との相互のコミニケーションであるように、舞台も生きたコミニケーションの場であった。

 両日とも、2列目のほぼ同じ場所で鑑賞したが、断然、2日目の方がよかった。連れ合いの演技も白熱していたように思う。

 初日は、舞台上もなんとなく緊張感があった。1列目には、大谷派や東本願寺のおエライ方(鍵役様ご夫妻、宗務総長を初めとする役員)方が座っておられたが、固い感じがした。静かだったので、咳が止まらない方がいて(またいいシーンほどうるさい)、気にもあった。一方、2日目は満席で、追加でイスが設けれた。観客の反応も、劇場の雰囲気も違った。おかしなシーンでは笑い声も断えず、また「リエちゃん~」と声がかかり、最後の拍手も鳴り響いた。

 同時に、お誘いした皆さんの反応も気になったが、皆さん、異口同音に喜んでくださった。「感動した」「迫力があった」とか、「奥さま、プロの役者さんだったのですね。驚きました」とかの声を頂いた。ある方の御礼メールで締めます。

   本当に素晴らしいお芝居に出会えて、今もその余韻に心が震えています。「差別」と「人間の尊厳」について深く考えさせられました。時代はあれから、人権の尊重や平和主義へと進んできたはずなのに、ますますこの舞台が求められる厳しい現実に直面していますね・・・。
   渡辺淳さんの絵に初めて出会えたことも幸せなひと時でした。何と優しく温かい絵の世界でしょう!
   有馬理恵さん始め、希望舞台のゆかりさんの奥深い演技に、自分も釈迦内の地のふじ子たち家族と一緒にその場に居させてもらってる感覚を覚えました!
   本当にありがとうございました。

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「水上勉と釈迦内柩唄展」

 東本願寺の「しんらん交流館」の1階では、作家の水上勉生誕100年周年を記念した「水上勉と釈迦内柩唄展」が開催されていた。水上勉と釈迦内棺唄展

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 劇団公演に先立って、ギャラリートークに参加。水上氏の故郷である、若狭(福井県おおい町)にある「若州一滴文庫」の学芸員が、パネルや著作を基に、水上勉の生涯について語ってくれた。

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 今回の公演を、20~30代の若い方にお勧めしたら、「水上勉って誰ですか」という声を多く聞いて、驚いた。でも、案外、年輩の方でも、名前は知っていても、作品は読んだことがないという方もある。数々の有名な賞を受賞し、映画やテレビ化された作品も多い有名作家でも、死後15年にもなると、忘れられていくのだ。最後に、学芸員の話が、「どんな有名作家でも、時代が過ぎ去るに連れて、どんどんと忘れさられていくのだ」という話が、とても印象的だった。(もし水上作品の中で、忘れられずに残るものかあるとするなら、そのひとつが、戯曲『ブンナよ、木から降りてこい』だと本人が語ってという)。

 ぼくは、大学生になった5月(たぶん降誕会の記念公演か)で、水上氏の講演を聞いた。40年も前のことだが、水上氏が60歳のときである。テーマは、「わが六道の闇夜」だったと思う。何よりもタイトルに引かれた。自身の若き日の歩みを、かなり赤裸々に話されたのが、感銘深く、その足で購買部に行って、自叙伝でもある『わが六道の闇夜』と『一休』を購入した。その後、しばらくは水上作品を読み漁った。、中学生のころから文学少年で、高校、大学生のときは、文庫本の小説ばかり読んでいた。いまでは考えられないことである。

 もうひとつ、日曜学校で、花祭りの高学年の出し物で、影絵劇をやったことがある。セットも、照明もある、本格的なもの(いまは保存されてる)で、そのときに、水上作品の『ブンナよ、木から降りてこい』を行った。ぼくが脚本を書き、先生方で、影絵を造って、子供たちと何度も、何度も練習して、本番の臨んだ。これもいまでは、考えられないが、ぼくが学生時代の日曜学校では、花祭り、成道会には、先生方だけでなく、子供たちにも(低学年、中学年、高学年)に別れて、人形劇や影絵劇、または演劇(舞台も造った)などを、かなり練習して取り組んでいたのだ。こちらも、いまでは考えられないことである。

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 その後、縁あって水上作品である「釈迦内柩唄」を公演する劇団所属の連れ合いと一緒になった。連れ合いは、昔、原作とは異なる秋田の木挽き唄を唄って、「なぜ、その唄を歌のですか。原作通りにしてください」と、直接、水上氏からご指導(お叱り)を受けたこともあるという。1000回公演を目指して、全国を旅しているが、もう折り返しての500回を超えている。これから公演がはじまる。

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東本願寺の和敬堂

  連れ合いの演劇公演が、東本願寺の「しんらん交流館」である。

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 朝、準備ために訪れる。準備が進んでいた。

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 差し入れのお酒を持ってきた。大吟醸、純米酒、焼酎の3本である。ここで、姉弟での共演があった!

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 公演は夕方からなので、一端、戻ることにしていたが、久しぶりに東本願寺にお参りした。ひとつ目的があった。

 「和敬堂」を探す。すぐには分からなかったが、阿弥陀堂の端にある同朋会館のところにある。別に建物や、誰かに合いに来たのではない。

 和敬堂の看板が目的である。

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 この看板、高山の一位一刀彫の名人、東勝廣氏の作品なのだ。書は、三島多聞師。
 制作途中ものを見せてもらったが、そちらはもってノミの後が荒々しくついていて、迫力があった。完成作品は、青色が塗られ、ゴツゴツした荒い感じはうすらではいた。

 もちろん、看板だけを拝むのでなく、御影堂にも、阿弥陀堂にもお参りしてきた。

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 夜の公演が楽しみだ。

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かもさん、おとおり

Img_2288  散髪の帰り、梅小路公園を散歩する。

  池には、小鴨の赤ちゃんたちが、親の後をついて泳いでいた。ぼくが、小さい時に大好きだった、絵本「かもさん Img_2304 おとおり」の世界である。
   
   常連さんが話しているのを聞いてると、昨日は、まだいなかったらしい。ということは、昨晩か、早朝に生まれたばかりだというのである。それなのに、もう母親について泳いでいる。最初に目にしたものを親と思ってついていくらしい。父親の方 Img_2280 は、われ関せずに、ひとり優雅に泳いでいた。

   その人の話では、こんな公園でも外敵はいるらしく、毎年、大半は赤ちゃんのうちにや られていくらしい。自然の厳しさである。

 

 

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真宗法座の集い~まだ間に合います~

 いまのところ、14名の申込みがあります。締め切っていますが、まだ大丈夫です。ご参加されませんか?
 司会役の研修を希望される方も大募集です。ぜひご相談下さい。

(呼びかけ)
 老若・男女・僧俗の区別なく、固定した少人数で、きめ細やかに、ご法を中心に交流し、みんなでよりよい聞法の場(法座)を創造していきます。プログラムは聞法のみです。一人一人とじっくり、丁寧に関わっていく法座を目指しますが、誰かにおまかせではなく、参加者の意欲や問題意識によって、より活性化された法座になればと思います。法座の運営も、話し合いながら進めてまいります。初参加者も大歓迎です。特に法座での司会役(在俗の方)も一緒に研鑚しませんか(大募集中!)。誰もが自己の古い殼を破って、一歩前に出ることができるような法座を造っていきましょう。聞法の長短・信未信に関わらず、ぜひご参加下さい。共にお聞かせに預かりましょう。 合掌

(参加要項)
日 時  5月18日(土)1時30分(1時受付)~19日(日)16時30分
会 場 華光会館(申込先に同じ)
世話人  瀧山真理、増井 信
資  格  全日程参加者を優先し、20名限定
参加費 同人会員=10,000円(非同人会員は、12,000円)
           懇親会=500円
           宿泊費  3,000円
大至急、お申し込みください。

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聖典講座~観経・定善まとめ~

  10連休の最後は、快晴。「聖典講座」で締めくくった。

 連休で、逆に常連はお休みだったが、初めての方が3名あって新鮮な顔ぶれ。

 前回で、定善十三観が終わった。そのまま散善に入ってもよかったが、改めて、定善十三観を、初観の日想観から、第十三観の雑想観までを、まとめて声に出して読むことにした。現代語であるが、みんなで声を揃えて読むだけでも、かなりの労力が必要だった。すべて通すとかなり量なので、初観(第一観)~第三観、第四観~第六観と、区切りがはっきりしている(第三、第六はまとめで、改めて呼びかけがあり、「ほぼ」(荒く)観たと言われ、滅罪が説かれ、正・邪観の定型の記述が繰り返される)ところを分割して読む進めた。すると、これだけでもついていくのがたいへんでフラフラとなってくる。するとすかさず、「諦聴、諦聴」と注意喚起があり、「除苦悩法を説くぞ」という釈尊のお言葉が染みてくるのである。悟朗先生の言われる、「身の程を知らず、自ら定善を説くことを要請しながら、疲れ果てて思わず居眠りをしてしまった」という韋提希夫人の状況が、身をかけて分かるのである。確かに、疲れて居眠りもでそうになる。そこで、苦悩を除く法として、阿弥陀如来が目の前に立ち現れてくださり、第七観の華座観があって、ここで依報観(浄土という国土の有り様を観想する)から、主報観(仏とその聖衆方を観想する)へと展開していく。

 第八観像観、第九観真身観と読む。名所だけに要点も多く、少し詳しく解説をして、一気に、第十観観音観から第十三観の雑想観までを読む進んだ。今日は、暑かったことこともあって、ただ声にだして読むだけでも疲労した。というのも、あまりにも凡夫の人知を超えた世界なので、ついていくのもたいへんだった。それでも、まだ西の方角に、具体的な姿もって示してくだされる(指方立相)のは、凡夫(善凡夫)のためのご方便ではあるが、結局、それすらも悪凡夫(極重悪人)には、イメージも、理解もできないのである。ただ読むだけでもしんどい、ということを身をもって知ってもらった。頭から、「観経」は方便とか、定善は捨てものと、正解だけを聞いているが、その定善がどんなものなのかも知らないのが、私たちである。その意味でも、ザッーとでも触れてもうことに意味があった。

 もう詳しくは述べないが、最後に、「法然上人行状絵図」(四十八巻伝)から、第 巻の法然上人の臨終のありさまを窺った。法然さまが、三昧発得して、阿弥陀さまを常にみたてまつっている様子が詳しく説かれているのである。凡夫には不可能でも、善導さまや法然さまのような聖衆方の境地は、これなのである。そして、最後の最後まで、称名念仏されつづけて、最後は「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」(光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず)」文を口にして、臨終をされる姿を窺った。同時に、『御伝鈔』から、親鸞さまのご臨終のありさまを窺ったが、まったく見事なほど一切の奇瑞も起こらず、静かに臨終を迎えられるところに、浄土真宗の平生業成のすごさを味わった。これはまたの機会に触れたいと思う。

 晴天で暑かったが、終わる間際には、夕立があって、冷気が入り込んだ。

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十連休中の広島法座

 10連休も、残り2日間。

 初日~3日目が「永代経法要」、9日目が「広島支部法座」、10日目が「聖典講座」。半分が法座で、中の5日間がOFF。しかし、事務所の皆さんはお休み、連れ合いも永代経の直後から東京の劇団事務所での舞台稽古に缶詰状態で不在ということもあって、ぼくも、映画館に行く以外は、会館で留守番が中心である。

 5日は、広島の法座が、連休中の初遠征。ちょどう上りの移動がピーク日にあたる。1ケ月前の4月5日に新幹線指定券を押さえたが、その時点で、すでに夕方の新幹線の上りは、どの時間帯も満席状態に近かった。ところが、行き(下り)は、拍子抜けするほどガラガラだった。帰路は、カープとジャイアンツのデーゲームが終わったことろで、広島駅も一段と混んでいた。

  広島支部法座は、案の定、人数が少なかった。今回は、広島から永代経からの参加者が多かったが、引き続く人もあれば、都合の悪い人も多かった。人数が少ないぶん、あえて、分かち合いの時間を多く取った。法話は1時間ほど、光明に二つの働きについてお取り次ぎして、あとの時間は、少人数での座談会である。

 別に劇的なことが起こったわけでも、特別深い話題が話題がでたわけでもないが、参加者が、リラックスしながら自分を開いて話してくれた。もちろん、黙っていたい人は黙ってもいた。人数が少ない時は、少ないなりの深め方があるということだ。

 

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『誰がために憲法はある』

憲法記念の日、京都シネマで2本ドキュメンタリー映画を見る。

まずは、『誰がために憲法はある』である。まもなく米寿を迎えベテラン女優である渡辺美佐子が、日本国憲法を擬人化した「憲法クン」役になって、ボク(憲法)を巡る情勢を語っていく。「古くなった」「現実にそぐわない」という理由で、リストラの危機にある状況を述べ、その「前文」を暗唱していくのである。この憲法の3本柱である「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」が生まれてきた背景が、先の大戦のあまりにも深い傷と反省によるものにほかならないこと。それは崇高な理想であって、現実に合せるものでないことなどが語らされるのだ。第九条の戦争放棄が注目されるが、改めて暗唱される前文を耳に聞くと、とても新鮮であった。

 しかし、この映画はこれだけで終わらなかった。「憲法クン」の一人芝居は20分ほどの作品で、映画の大半は、複数のベテラン女優による広島原爆の朗読劇の舞台やその裏側が中心になっている。結局、戦争の悲惨さを繰り返してはならないという憲法の理念をあらわしているのだろう。

 有名な女優さんばかりだが、ほとんどが舞台の制作には携わったことがない。主催者を探し、支援者を集め、宣伝をして、チケットを売り、そまざまな段取りをしていくことは、みな不慣れだったという話が続いてく。そして、三十三年に渡って続いてきた取り組みも、女優陣の高齢化にくわえ、支援者の高齢化もあって、今年一杯で幕を降ろすことになったという話である。

 まるで連れ合いの劇団のような話で、これだけでも共感せざるおえなかった。制作の苦労などは普通は分からない。観客は、俳優さんに拍手する。照明や音響、大道具、小道具などの裏方の仕事も、裏方でもまだ見えている。演出や脚本の善し悪しも語られる。しかし、いちばん大切なのは、その芝居の主催者を探し、支援者を集め、集客をしなければ、芝居は成り立たないのだが、そこは、普通はまったく見えてこない。実は、制作がしっかりしないないと、いい芝居などできないというである。

 たぶん、制作も担当する劇団員と結婚していなければ、制作の苦労、高齢化による持続の困難、若い後継者不足、、、。連日、食卓の話題になることもなく、この映画でも違ったところが印象に残っていただろう。

 もうひとつ、心に残ったことは、朝ドラのヒロインに抜擢されて、突然、売れっ子になり、仕事に謀殺されていた日色ともゑに、宇野重吉は、仕事を選ぶ基準は「その仕事に正義があるのか」という言葉を送ったという。今は、「その仕事が儲かるのか」とか「効率がいいのか」とか、「役立つのか」、せいせい「自分が好きか」といった基準でよし悪しが判断される。効率よく、楽で、儲かる仕事に価値があるのだ。もし「人さまに喜んでもらえるか」が入れば、かなり上等である。そんな中で、儲からず、効率も悪く、たいへんな仕事であっても、「そこに正義がある」というものに打ち込めるとしてなら、その人生は豊かで、幸せだということになるのだろう。この言葉を聞いただけでも、この映画の収穫である。

 

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田を耕す~永代経で味わったこと(2)

 3日間の法縁で、いろいろなことを味わった。

  数年前のことだが、ある同人のお通夜に参列させてもらったことがある(このブログでも話題にしている)。交際が範囲の広い故人だったので、お寺ではなく、街の広い葬儀会館が会場だった。お導師が入場すると、ホールにお念仏の声が拡がり、お正信偈が勤まると、皆さん、一切に声を出して勤行され、ホール全体に拡がった。本来なら当たり前の話だが、都会ではあり得ないことだ。それだけご教化が行き届いているのだ。稀にみる法徳の地ではあるが、それは並大抵のことでそうなったのではない。先代、さらに先々代からの命懸けのご教化の賜物である。
 そのことを改めて思い出した。

 今、この華光の道場に集う人々から、念仏の声がほとばしる。そのおかげで、これまで念仏のご縁のなかった方でも、その中に身を置くうちに、自然と念仏を称える人に育っていくのである。そして、その環境の中で、お念仏を喜ぶ信心の人が誕生していくのである。しかし、そんな場づくりは一朝一夕のことではない。そのために先達のご苦労があったのだ。ただ、その上に私たちは乗せてもらっていることを忘れはならない。

 しかし、せっかくの美田も、日々の手入れを怠るとすぐに荒れ地となる。開墾までの苦労も、あっという間に廃れていくことも忘れてはならない。

 そして、この無仏法の荒涼の世にあって、たとえ小さくても、ひとりひとりが、おのれ分の地を耕して、念仏の種をまいて、信心の実りを刈り取らせてもらいたい。日々の相続こそがその力となるのである。南無阿弥陀仏

 ある時、托鉢中の釈尊に、ある男が言い放った。

「沙門よ、私は毎日、田を耕し、種を蒔いて、食を得ている。あなたも、自ら耕し、種を蒔いて、食を得てはどうか」と。

 釈尊は、「私も、毎日、田を耕し、種を蒔いて、食を得ている」とお応えになった。

 納得いかない男は、重ねて問うた。

「いやいや、誰もあなたが田を耕しているところを見たことはありませんよ。いったいあなたの鋤はどこにあり、牛はどこにいるのか。第一、あなた何の種を蒔いているのですか」と。

 すると釈尊はと仰った。

「信はわが蒔く種子である。
 智慧はわが耕す鋤である。
 身口意の悪業を制するのは、わが田における除草である。
 精進はわが牽く牛にして、行って帰ることなく、
 行いて悲しむことなく、われを安らけき心に運ぶ」と。
       (『仏教百話』増谷文雄著より)


 

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仏法は具体的に聞け~永代経で味わったこと~

  3日間の法縁で、いろいろなことを味わった。

  よく仏法は「若いうちにたしなめ」といわれる。蓮如上人のお言葉だ。確かに、年をとると、体も不自由になり、頭も衰えてくる。耳も遠くなり、法席でも居眠りしてしまう。体力もなくなり、心だって頑になっていく。年齢と共に、そう実感されている方も多かろう。その点、若い人は、新しいことにもすぐ対応できるし、第一吸収がいい。心も柔らかいし、体力も、記憶力も、衰えがない。

 しかし、年齢を重ねることは悪いことばかりではない。重ねただけの経験値が増え、わが身を通して豊かに聞くことができるのだ。座談会の発言でも、身近で、具体的なテーマを出されるのは、若い方より年輩の方である。言葉を換えれば、それだけ業が深いということにもなるが、、。

 学生さんが心境を話された。非の打ち所のないその通りの発言だったが、あまりにも正解すぎて、何か面白みが感じられない。ぼくの感性がおかしいのだろうが、正解をいわれると、どこかでケチをつけたくなる。

 これは子供大会や仏青の座談会でよくあることだが、優等生発言というか、正解を並べて事足りるということがある。もちろん、それは、若い時は、法話の内容も頭にはいり、要点を押さえて、しっかり発言できるということだ。ただ、それだけではわが身と言葉とが離れている気がしてならない。つまりは、どこまで身を通して聞いているのか。日々の暮らしの中で、具体的に聞いていくかである。それがないと、今生の生活と、仏法聴聞がバラバラになってしまって、なかなか自身の味わいが深まっていかない。

 伊藤康善先生は、「仏法は具体的に聞け」と言われた。何も法座の場だけが、聴聞の場ではない。日常の生活の中でも、自分の姿を通して、ご法を聞かせてもらうのである。そうでないと、仏法が観念的になり、言葉だけの世界で事足りてしまう。生きた力になってこないのである。

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