4月の聖典講座~観音・勢至観(3)
ところで、阿弥陀様よりも人気がある観音様であるが、「弥陀三尊」と呼ばれた場合は、中尊「弥陀」様、そして「観世音」(慈悲)「大勢至」(智慧)が両脇士となられる。有名な善光寺如来は、同一の光背に三尊を配した一光三尊仏ではあるが、しかし、浄土真宗では、三尊仏をおまつりしない。それは、「一向専念無量寿仏」とい立場で、「弥陀一仏」をおまつりしているのである。そのことを覚如様は、「かの二大士の重願、ただ一仏名を専念するにたれり。今の行者、錯って脇士に、事ふることなかれ。ただちに本仏(阿弥陀仏)を仰ぐべし」(御伝鈔・1046頁)とお示し下さっている。
それでは、観音様や勢至様は讃えないのかというと、親鸞様は、観音・勢至菩薩の讃嘆される和讃がある。
「観音・勢至もとともに 慈光世界を照曜し
有縁を度してしばらくも 休息あることなかりけり」(浄土和讃・559頁)
「弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ」(正像末・609頁)
そして、観世音菩薩は、阿弥陀さまの慈悲の面を顕すと共に、聖徳太子のご本地であると頂かれている。
「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現し
多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ」(『皇太子聖徳奉讃』(正像末)615頁)
また、大勢至菩薩は、、阿弥陀さまの智慧の面をあらわし、法然聖人のご本地であるとされている。法然様は、「智慧第一の法然房」である。
「以上大勢至菩薩 源空聖人御本地なり」(577頁)ど、『勢至和讃』で『浄土和讃』を結び、『高僧和讃』が始まるのである。
その『高僧和讃』の『源空讃』(596頁)には、
「源空勢至と示現し あるいは弥陀と顕現す
上皇・群臣尊敬し 京夷庶民欽仰す」とあったり、
「智慧光のちからより 本師源空あらわれて」(智慧光=勢至菩薩のこと)と示されている。
つまり、親鸞さまにとっての観音・勢至両菩薩は、聖徳太子さまと法然さまということになる。
京都の六角堂は、聖徳太子が四天王寺建立のための材をこの地に求めたのを縁に、念持仏の如意輪観音を安置したのが始まり。この地で、親鸞様は、よき師を求めて百日間参籠し、九十五日目の暁に、聖徳太子のご示現によって、後生の助かる縁を求めて、吉水の法然聖人の元を尋ねる決意をされている。つまり、弥陀如来の慈悲を顕す観世音菩薩(聖徳太子)のお導きにより、阿弥陀如来の智慧を顕す大勢至菩薩(法然聖人)に出会い、そして弥陀の本願に帰す身となったと喜んでおられる。
これを拡げると、観音様の慈悲は、仏法に心ない者を仏道に導き入れてくださり、勢至様は、阿弥陀様の智慧光をもって、その人を摂取しようと、共に、常に、果てし無く働き続けられているというのである。南無阿弥陀仏
| 固定リンク
「聖典講座」カテゴリの記事
- 『口伝鈔』第七条「凡夫往生章」(2023.01.29)
- 『口伝鈔』第五条「仏智護念章」(2022.11.13)
- 『口伝鈔』第四条(2022.10.16)
- 聖典講座『口伝鈔』(1)(2022.10.15)
- 『御伝鈔』下巻第七段(3)「~廟堂創立の経緯とその後~(2022.02.22)