和歌山寺院布教
昨日、家庭法座の会場を提供くださったOさんと一緒に、和歌山市冬野のお寺を目指す。Oさんとは、3月の生駒での家庭法座、名古屋での仏の子供大会と、3週連続の車での旅、しかも、法座は2日連続でご一緒される。
冬野のこのお寺を訪れるのは、2回目だ。それも大昔。まだ大学生の頃に、子供会のお手伝いをさせてもらったのだから、40年前になる。その後、内観に力を入れられるようになってが、それに対する父の態度が厳しかったこともあって、ご縁が遠くなっていた。
もともとは、曾祖父の方が伊藤先生の親友であったことから、ご縁が始まる。今のご住職の坊守様は、学生服姿の母を知っているというのだがら、たいへん古いご因縁である。ぼくも、先代の女住職、また今の娘さんである坊守様には、ずいぶん可愛がってもらった。学生時代、和歌山での子供大会での会場探しの時には、一緒に会場を何カ所も探して回った。
仏の子供大会では、お子さんたちとのご縁も長い。お声をかけてもらったとき、「お声は変わらないですね」と、ご子息に言われた。たぶん、35年前ぶりにお会いする。
決して大きくはない本堂は、一杯である。単立のお寺で、檀家の数は多くはないが、ほぼ檀家さん(家族の代表だが)が出席されているという。見知った顔も、少しはあったが、ほぼ初対面。ただ、最初にお念仏をしたが、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてこない。そん時は、「皆さん、お寺は何のためにあるのでしょうかね。ここは、お念仏を申す場であり、真実信心の人が生まれる場所ですよ」というところか、手を合せ、お念仏を申すことを、冒頭と最後の、それぞれ4回話したが、反応はいま一つ。ただ、法話は遠慮なく、最後には、後生の一大事と、僕自身か仏法に出会った体験、地獄一定ということも、自分を開いてお話申し上げた。涙ぐみながら聞いてくださる方はあったが、あまり声に出した反応はなかった。
何度か、講師室にお出でくださるように促したが、結局、うまくいかなかった。お寺の方も、檀家さんも、法話の反応はないまま、法縁は終わった。いろいろと育てを思い出して懐かしかったが、少し寂しさも残った。
口に出してお念仏を申すこと、聞いたところを味わい、口に出して法悦を語るということは、簡単なようでお育てがないとできないことである。仏法の相続は難しい。
| 固定リンク
「法味・随想」カテゴリの記事
- 修正会(2)~地震~(2024.01.03)
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)