4月の聖典講座~観音・勢至観(1)
4月の聖典講座は、『観無量寿経』の「 定善十三観」の最終回。定善十三観は、第一観~第七観が依報観(浄土についての観法)、第八観~第十三観が 正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)に分科することができる。前回は、定善の中心である真身観で、阿弥陀如来のお姿の観想が終わった。今回は、阿弥陀様の両脇士である観音(第十観)・勢至観(十一観)と、そして自らの往生想を起こす普観(十二観)、最後に力が劣ったものへの総合的な観法である雑想観(十三観)を窺った。
まず、第十観・観音観【十八】である。『観経』では、「観観世音菩薩真実色身想」とある。
阿弥陀様の両脇士である観音・勢至両菩薩の観想のうち、観音菩薩の相好や光明についてであるが、観音様の相好(お姿や光明)の記述が実に詳細である。が、そのお姿は、結局、阿弥陀様の相好と同じであるとされる。ただ違いは、「頂上の肉髷と、無見頂(肉髷の頂点、誰も見ることができないので)」だけが劣っているのだと示される。
最後に、この観が成せれば、禍に遭わず、業障も除かれ、量り知れない生死の罪が除かれるという功徳が説かれ、またその名を聞くだけでも無量の功徳が得られるのだから、観想することは、それ以上の功徳が得られると述べられるのが、だいたいの要約である。
次いで、第十一観・勢至観【十九】だが、『観経』では、「観大勢至色身想」とある。
勢至菩薩の相好が述べられるのが、その相好は観音菩薩と同じであると示されている。ただ、両菩薩の相好は、第十三観でも「頭部の様相を見る」ことで区別されるとあるように、観音様は、天冠に阿弥陀様(化仏)を頂かれ、勢至様の頭頂は、肉髷に宝瓶があるのが特徴だと示される。
また、勢至様は、別名「無辺光」(十二光の一つ)と名付けられ、智慧光の一切を照らし、衆生を三塗から離れさせて、無上の力を得させて、浄土へ導く大勢力もった菩薩なので、大勢至と名付けられていると示されている。
本論とは別に、両菩薩について少し詳しく見ていた。浄土真宗とはあまり問題にしていないが、身近にある菩薩様方であることが分かって、面白かった。(続く)
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