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大仏の日に南都仏教の話

Img_7491  「昨日、4月8日は花祭りでしたが、今日(9日)は、何の日がご存じですか?」と、ご講師。

「ここに来る時に、車のカーナビが、「今日、大仏の日です」と教えてくれました。それで調べたら、752(天平勝宝4)年のこの日に、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われんですね」と。
 
 知りませんでした。 決して、余談ではない。東大寺に関連する話題だった。

 2年間をかけて、東大寺の碩学 凝然大徳の『浄土法門源流章』を読み終えて、今年から永観(ようかん)律師の『往生十因』を原文(漢文)で講読するという。それに先駆けて、南都浄土教の概観の講義があった。

 日本の浄土教には、叡山浄土教、南都浄土教、そして密教浄土教の流れがあるが、互いに関連しあいながら流れている。ただ、南都といえば「南都六宗」、三論宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、成実宗、律宗であるが、三論の寓宗である成実、法相の寓宗である倶舎を除くと、実質的には四宗で、その中でも、当時は三論宗と法相宗が力をもっていた。龍樹菩薩や、天親菩薩の御宗派ではあるが、それ以外は浄土教とは無関係の気がしていた。しかし、よく考えると、法然聖人の批判の急先鋒である、明恵上人も、解脱上人(貞慶)も、共に南都の僧であり、浄土教にも明るくて、専修念仏の立場を真っ向から批判している。

 その背景には、日本独自の山岳仏教(修験道)や、源信和尚の影響などもあるやうだ。また、本宗だけでなく、より広くまざまな教えを修める兼学が、当たり前であった。

 彼らのように、南都六宗を本宗としながら念仏による極楽往生を目指した僧侶が、一定数あったという。その場合、自己の依って立つ本宗と教義的に矛盾する浄土の教えを如何に会通するのかが、大きな課題になっていた。またその時々に問題になった課題もあった。にもかかわらず、法然上人の「選択本願念仏」の立場から、それをすべて収めてしまった。「本願」であるかかどうの一点で、選捨されていったのである。当然、その捌き方に納得いかなかったことも、弾圧の背景になっていたのだというのだ。

 詳しくない世界なので、これからが楽しみ。

 

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