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2019年4月の23件の記事

永代経法要の3日間~法に剥がされる~

 永代経法要の三日間が終わった。

  地元の方を中心に後片付けを行い、当番の京都支部と運営委員会の皆さんで反省会を行った。京都の皆さんは、オープニングソングまで作詞作曲し、また何度も相談を重ね、支部長さんを中心に力を合せて頑張ってくださった。ほんとうにお疲れさまでした。

 皆さんをお見送りし、事務所に戻るとまだ待っておられた方がある。彼女は、特に相談があるわけではないが、法話でひっかかった言葉(今日は「サザエ」)を尋ね、それから自分のことを脈絡なく一方的に話していかれた。これもまたいつも通りである。

 法衣を着替え、3階の母のところに顔を出したら、まだTさんが母と話していた。何気なく座ったら、そこから3人で永代経のふり返りが続いた。夕食前だったので、あまりにも遅いので、連れ合いも様子を見に来たが、そこからまだ話が弾んだ。当番の方が帰られてから、すでに3時間は経過していた。みな法に会って、昂揚しているのである。話は尽きなかったが切り上げて、遅い夕食になる。ここでも、いろいろと話が出た。なぜか、ぼくの近年のターニングポイントとなった2、3の出来事を話していた。

 結局、重荷を背負って生きている。さらに批判や突っ込まれないように、いろいろなもので防衛し、護っているのである。しかし、たった3日間でも、たっぷりと法に会うと、人生で身につけてきた鎧が、ひとつずつ剥がされていくのである。何故、こんな厚着をしていたのかと思わされる。
 今回は、珍しく2日間とも懇親会の終了の時間を守った。おかげで疲労度はましだったが、永代経は3日間に3度の法要があり、今回は2席の法話、信仰体験発表の司会役、分級座談会、さらに夕方には会議と、夜には分級反省会と、休みまもなく行事が続いて、さすがに疲れた。

 それでも、こころは温かい法に触れて満たされている。冷たい心に、固い心に、ご法の温かさが届いてくる。厚着を脱ぎ捨て、心が開いてくると、不思議と受容的な態度で接することができる。これも長年、学ばせてもらっていることではある。南無阿弥陀仏

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明日から永代経法要

 ちょうど第一期の修繕工事(内装)が終わたばかりだか、皆様をお迎えすることができる。

 お当番は地元の京都の皆様で、前準備にも関わってくださる。そこに、10月からの新制の運営委員会の皆様が絡んでくださった。

 他の行事と違って、ぼくも事前に用意せねばならないことがある。永代経法名軸に記載する作業である。だいだい例年並だったが、合せていつも以上に「法名」の依頼も受けた。記載は、苦手な気持ちがあって、グズグズした作業になってしまう。年に1度のことで、うまく書けずにことに落ち込むこともある。それでも、毎年のことなので、少しずつでもうまくはなってきていると思っている。これも(いい意味で)慣れが必要なようだ。

 法名を考えることにも、時間をかけた。その人の人柄や性格を考え、また俗名を考え、そして出拠を考える。なかなか思い浮かばないこともあるが、何日も、あれこれはからい、考えてるうちに、自然にふっと浮かみ上がってくる瞬間がある。そんなときは、お相手の方やご遺族がとても喜んでくださるものとなるようだ。

 他にも、お配りする粗供養の念珠を購入し、和蝋燭などの準備を行う。また、会議などの案内や配りものもち作る。

 だいたい前日から、当日始まってからもバタバタするのだが、今年は、直前の寺院布教がなかったので、前々日までにだいたいのやっかいな作業が終わったので、少し余裕もって法座に臨むことができそうである。3日間、楽しみである。

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4月の聖典講座~観音・勢至観(3)

 ところで、阿弥陀様よりも人気がある観音様であるが、「弥陀三尊」と呼ばれた場合は、中尊「弥陀」様、そして「観世音」(慈悲)「大勢至」(智慧)が両脇士となられる。有名な善光寺如来は、同一の光背に三尊を配した一光三尊仏ではあるが、しかし、浄土真宗では、三尊仏をおまつりしない。それは、「一向専念無量寿仏」とい立場で、「弥陀一仏」をおまつりしているのである。そのことを覚如様は、「かの二大士の重願、ただ一仏名を専念するにたれり。今の行者、錯って脇士に、事ふることなかれ。ただちに本仏(阿弥陀仏)を仰ぐべし」(御伝鈔・1046頁)とお示し下さっている。

 それでは、観音様や勢至様は讃えないのかというと、親鸞様は、観音・勢至菩薩の讃嘆される和讃がある。

 「観音・勢至もとともに  慈光世界を照曜し
  有縁を度してしばらくも 休息あることなかりけり」(浄土和讃・559頁)
 「弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
  生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ」(正像末・609頁)

そして、観世音菩薩は、阿弥陀さまの慈悲の面を顕すと共に、聖徳太子のご本地であると頂かれている。

 「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現し          
  多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ」(『皇太子聖徳奉讃』(正像末)615頁)

また、大勢至菩薩は、、阿弥陀さまの智慧の面をあらわし、法然聖人のご本地であるとされている。法然様は、「智慧第一の法然房」である。
 「以上大勢至菩薩 源空聖人御本地なり」(577頁)ど、『勢至和讃』で『浄土和讃』を結び、『高僧和讃』が始まるのである。
その『高僧和讃』の『源空讃』(596頁)には、
 「源空勢至と示現し あるいは弥陀と顕現す
  上皇・群臣尊敬し 京夷庶民欽仰す」とあったり、
 「智慧光のちからより 本師源空あらわれて」(智慧光=勢至菩薩のこと)と示されている。

 つまり、親鸞さまにとっての観音・勢至両菩薩は、聖徳太子さまと法然さまということになる。
 京都の六角堂は、聖徳太子が四天王寺建立のための材をこの地に求めたのを縁に、念持仏の如意輪観音を安置したのが始まり。この地で、親鸞様は、よき師を求めて百日間参籠し、九十五日目の暁に、聖徳太子のご示現によって、後生の助かる縁を求めて、吉水の法然聖人の元を尋ねる決意をされている。つまり、弥陀如来の慈悲を顕す観世音菩薩(聖徳太子)のお導きにより、阿弥陀如来の智慧を顕す大勢至菩薩(法然聖人)に出会い、そして弥陀の本願に帰す身となったと喜んでおられる。
 これを拡げると、観音様の慈悲は、仏法に心ない者を仏道に導き入れてくださり、勢至様は、阿弥陀様の智慧光をもって、その人を摂取しようと、共に、常に、果てし無く働き続けられているというのである。南無阿弥陀仏

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4月の聖典講座~観音・勢至観(2)

  阿弥陀如来の左の脇士で、阿弥陀様の慈悲の徳を顕しておられる。
「観世音」とは、梵語「アヴァローキテーショヴァラ」の旧訳で、略した「観音」菩薩の名称が、広く親しまれている。新訳(玄奘三蔵の以降)では、「観自在」菩薩とも訳されている。
 観世音とは、世界の衆生が救いを求めるのを聞くと、直ちに救済するとの意味。観自在とは、一切諸法を空と悟り、一切の衆生の救済も自在であるとの意味。救いを求めるものの姿に応じて大慈悲を行ずるために、千変万化の相となるという。東アジアやチベットで、もっとも広く庶民の信仰を集めている。
 1聖観音を総体に、2千手・3十一面・4如意輪・5准胝・6馬頭(ここまで六観音)・7不空羂索(七観音)と続き、他に三十三観音が説かれる。この三十三という数字は、「西国三十三所」「三十三間堂」「三十三年に一度の御開帳」と、いまでも馴染みがある。
 インド南海岸にあるという伝説の補陀落山=ボータラカに住するというわれるが、。例えば、チベットでは、ダライラマは観世音菩薩の化身で、ボタラ宮殿が、中国では普陀山、日本では那智山がそうであると言われる。
 十二礼では、「観音頂戴冠中住 種々妙相宝荘厳 能伏外道魔驕慢 故我頂礼弥陀尊」とある。
 子供聖典では、「観音さまは冠に、お阿弥陀さまを頂かれ、悪魔外道もくじきます お阿弥陀さまたてまつる」とあるように、冠に阿弥陀仏の立化仏を頂かれているのである。

 次いで、大勢至菩薩についてである。
 観音様に比べる人気薄で、馴染みもないが、阿弥陀如来の右の脇士で、阿弥陀様の智慧の徳を顕している。
 「大勢至」とは、梵語「マハー・スターマ・ブラープタ」の漢訳。「大精進」「得大勢至」とも訳されるが、「勢至」菩薩の名が一般的。智慧の光の威勢があらゆるところに至り照らして、人々を教化し、三塗(地獄・餓鬼・畜生)を離れさせ、無上の力を得させて、浄土へ導く大勢力もった菩薩なので、大勢至と呼ばれる。
親鸞様は、『首楞厳経』による『勢至讃』を著し、かって十二の如来によって、念仏三昧を受けたので、今この世界で念仏の人々を摂取して浄土に帰される菩薩と頂かれている。右手に、蓮華を持ったり、合掌するなどの姿で顕されているという。(また続く)

 

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4月の聖典講座~観音・勢至観(1)

 4月の聖典講座は、『観無量寿経』の「 定善十三観」の最終回。定善十三観は、第一観~第七観が依報観(浄土についての観法)、第八観~第十三観が 正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)に分科することができる。前回は、定善の中心である真身観で、阿弥陀如来のお姿の観想が終わった。今回は、阿弥陀様の両脇士である観音(第十観)・勢至観(十一観)と、そして自らの往生想を起こす普観(十二観)、最後に力が劣ったものへの総合的な観法である雑想観(十三観)を窺った。

 まず、第十観・観音観【十八】である。『観経』では、「観観世音菩薩真実色身想」とある。
 阿弥陀様の両脇士である観音・勢至両菩薩の観想のうち、観音菩薩の相好や光明についてであるが、観音様の相好(お姿や光明)の記述が実に詳細である。が、そのお姿は、結局、阿弥陀様の相好と同じであるとされる。ただ違いは、「頂上の肉髷と、無見頂(肉髷の頂点、誰も見ることができないので)」だけが劣っているのだと示される。
 最後に、この観が成せれば、禍に遭わず、業障も除かれ、量り知れない生死の罪が除かれるという功徳が説かれ、またその名を聞くだけでも無量の功徳が得られるのだから、観想することは、それ以上の功徳が得られると述べられるのが、だいたいの要約である。

 次いで、第十一観・勢至観【十九】だが、『観経』では、「観大勢至色身想」とある。

 勢至菩薩の相好が述べられるのが、その相好は観音菩薩と同じであると示されている。ただ、両菩薩の相好は、第十三観でも「頭部の様相を見る」ことで区別されるとあるように、観音様は、天冠に阿弥陀様(化仏)を頂かれ、勢至様の頭頂は、肉髷に宝瓶があるのが特徴だと示される。
 また、勢至様は、別名「無辺光」(十二光の一つ)と名付けられ、智慧光の一切を照らし、衆生を三塗から離れさせて、無上の力を得させて、浄土へ導く大勢力もった菩薩なので、大勢至と名付けられていると示されている。

 本論とは別に、両菩薩について少し詳しく見ていた。浄土真宗とはあまり問題にしていないが、身近にある菩薩様方であることが分かって、面白かった。(続く)

 

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『グリーン・ブック』

 今年のアカデミー賞の受賞作やノミネート作の主要な作品は、ほぼほぼ観た。作品賞は『グリーン・ブック』だった。

 まだ黒人差別が顕著な1960年代の南部に旅する、天才音楽家の黒人男性とその用心棒兼ドライバーの白人男性のバディー(相棒)ロードムーピー(旅物)。さすがに、映像も、音楽も、ストーリーも、飽きることなく面白く、最後は幸せな気分になれるおすすめ映画。

 何よりも二人の演技がよかった。水と油の二人のバディーで、差別を受ける黒人の男性が、知的、スマートで、冷静沈着で、堂々としているが、常に黒人としての差別を受けつづける男の覚悟を、マハーシャラ・アリが、孤高の威厳さ、天才の孤独を巧みに演じている。
 一方 イタリア移民で「イタ公」と罵られる、労働者階級のヤサグレな男。無教養で、ガサツで、ケンカ早く、口は達者なので、常に腕力と、口先で問題を解決していく。これをヴィゴ・モーテンセンが、かなり増量(役者さんも大変)して、腹の出た大食漢役を演じている。

 食べるものも、音楽も、趣味も、生活スタイルもまったく違うからこそ起こるトラブルが笑いのネタになる。本当なら会わないはずの異質との出会いがある。特に差別意識のあるものとの出会いは、他者を理解することから始まるが、相手が稀なる才能ある天才だったことも、理解の発端にはあったし、自己の無いものを互いが相手に見つけ、嫌いつつも引きつけってくだけの、人間的な魅力があったというだろう。結局は、他者ではなく、新たな自分自身に出会うことだろ。それは世界の拡がりであり、より豊かになるということだ。そのことを教えられた。
 ただ黒人差別を扱っている割には、あまりにも安定調和の世界での優等生の作品だ。万人向けの感動作だが、ぼくには猥雑さというか、もう少し毒気が欲しいところ。

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『ローマ』

 ベルリンでは金獅子賞、アカデミー賞では最多ノミネート、しかも配給がネット配信中心という映画『ローマ』を観る。

 日曜日のレイトーショーで終了が0時をすぎるので、観客は誰もいなかった。すぐに中年のカップルがぼくの前の座席に座ったが、観客は合計3名。一度、大劇場で、ひとりで映画を鑑賞してみたいと思っているが、他にも1名や2名ということがあって、いまだに1人だけということない。

 モノクロなのに、色彩が溢れてくる作品だった。カメラワークも秀逸で、映像も美しかった。冒頭も斬新な映像で、最初と最後、中盤にも、飛行機が頭上を飛んで行く姿が映し出されるのが、何かの暗示なのか印象的だった。

 基本はネット配信用の映画で、劇場は限定的という代物だが、これこそ映画館の大画面で観る価値のある映画だと思った。
 
 タイトルから、イタリアのローマを想像していたが、そうではなく、アルフォンソ・キュアロン監督が少年期に居たメキシコの地区の名前で、監督自身の自伝的映像だという。1970から71年にかけての時代の匂いが伝わってくる。地震、学生運動、弾圧する民兵組織、テレビ番組やヒット映画など、もしぼくが、メキシコの歴史や時代背景にもっと詳しければ、さらに楽しめただろう。そんな時代を背景に、主人公は、メキシコの中流(中の上か)白人家庭に住む込みで働く家政婦(ネイティブ系)の若い女性を中心に、その雇主一家の物語で、誰の上にもおこる人生の一コマが、丹念に拾われていく。

 作品賞の最有力だったそうだが、しかし、非英語圏、しかもネット配信を主にしたもの、そして少し退屈なアート系の作品だったことなどが影響したのか、作品賞は逃した。それでも監督賞の受賞(他に撮影賞と外国語映画賞も受賞)となったところをみると、この機微は面白い。確かに、全体的には退屈ではあるが、ぼくには、印象的な映像も多く、また感情を動かれる場面が、終盤に何カ所がやってきた。全般に静かな映画だったが、余韻が残る作品だ。

 

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老兵は消え去るのみ

 館内引っ越しを繰り返して、いろいろなものを捨てた。

 これは何かわかりますか?

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 空けてみたのがこれです。

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 平成の生れの方には分からないかもしれませんね。

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 正解は、豆炭「あんか」でした。

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 初代華光会館で、報恩講の時に、皆さんの足を温めきた「あんか」。報恩講の名物は、夜座の「ぜんざい」だった。夜座の間に、1階の台所で、「ぜんざい」のために餅を焼き、そして宿泊する人たちのために「あんか」の豆炭を焼くのが、婦人会の当番のたいせつな仕事でした。

 またひとり、老兵が静かに消え去っていきました。

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転倒の姿

 工事中、お休みしていたピアノ教室が再開された。小学生の生徒さんが玄関に入った途端、「わー、きれいになったなー」と声あげた。「(ピアノ教室のある)3階の研修室も床の色が変わったよ」というと、「何色に成ったのかな? 青色がいいなー」といいながら、階段を駆け上がっていった。

 新しくなって、古い机や家具が置くのがためらわれる。会館中が、傷つけないようにと慎重に慎重に、作業を進めている。なかなか時計も、カレンダーもかけられないでいるほどだ。

Img_2153  工事の中、廊下や階段のタイルカーペットを交換する作業の時、新旧のタイルカーペットの写真を取った。色だけではない、古いものは表面もツルツルでカチカチにImg_2155 なっている。だから古くなって捨てられていくのだが、それは、23年間、一時も休まず私たちを支えてくれたいのちである。ほんとうは、捨てられていくものを拝まなければならないのだが、新しくなったものを喜び、きれいだという理由で拝んで、大切にしている。

 そんなにきれいに使いたいのなら、何も置かずに、私が住まなかったらいいのである。人が入らないときれいなままだ。案の定、聖典講座で使用したら、さっそく畳が傷つき、道場のドアも「ギリギリ」と傷ついていしまった。いわば、新車に乗った時のような気分だ。でも、そのうちに、汚れ、傷ついいくと、なんとも思わなくなって、粗末していくのである。

 人間関係でも同じことがいえる。若い者、きれいなの、新しいものを新鮮に想い大切にするが、年老いたのも、見慣れたもの、いつもある のは何とも思わなくなる。Img_2158 Img_2157
 それが轉倒し、迷っているということであろう。
    左が新・右が旧

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内装工事終わる!

Img_2103    約2ケ月に渡る内装工事が、やっと終わった。

 今日は、細かな調整と、広島から建築士のM先生が来館されて、館内を細かく見て回られる。内装工事の最終点検であImg_2106 る。

 全館のクロス、床のタイルカーペット、畳の表替え、襖や障子、教室などの一部の天井、桟やドアの塗り直し、トイレの蛇口と床、それに設備として給湯器の交と、9割方の電灯がLEDに変Img_1389 わった。

 ずいぶん明るく、きれいになった。おかげて、永代経法要を迎えることができそうだ。ただ館内を引越した時の荷物は、まだ戻ってはいない。こちらも、連日、京都や大阪支部の皆様が助っ人にきてくださり、少しずつ片づき始めている。2階道場、3階研修場、講師室は、いつでも使用できる状態に戻った。

Img_1446  問題は、1階の庫裏のダンボールだ。永代経までは片づかないだろうが、分級座談会や就寝には使ったいただける。片づけは、永代経のちの連休中、ボチボチと行う予定ではいる。

 一部、計画になかった、道場のじゅらくの壁の交換も行うことになったが、これは連休明けということになる。

 これで工事は半分がすんだ。まだ秋の外装工事に向けて準備が必要で゛いろいろと難問ある。しかし、一応の完成にホッと一息である。工事関係者が、連日、朝8時過ぎから人の出入りが続いていたので、これだけでも気が楽になる。

 皆さま、ありがとうございました。

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福岡での九州支部法座

 今週末は、福岡での九州支部法座。昨年に続き、A家が会場となる。12階の自社ビルの最上階が会場である。まだ新築なのできれいで、眺望も素敵だ。ここにお念仏の声がこだまする。そのことが一番すばらしい。

 初めて参加される若い方があった。たぶんこれきりにならず、ご縁が深まることだと思っている。20年ぶりに参加の古い同人(伊藤康善先生にあっている)もあったし、1年ぶりに参加された学生さんもある。人数は多くはないが、聞法の長短、参加の思いはそれぞれ違う。焦点をどこにあてるのかで、法話難しかった。

 ただ、すべての方が、「仏の力で参りきて、喜び、敬い奉る」法の仲間である。皆さん、それぞれの仏縁が熟して、ここに足を向けられたのである。

 娑婆往来八千遍。釈尊の身命が捨てられた場であるからこそ、ここで法座がたつのである。考えれば不思議なことだ。お寺でもなければ、法事でもない。それがマンションの12階で、ご信心について真剣に問い語り合う。そしてお念仏かこだまする。現実には、「念仏がこたまする」とは、少し誇張気味ではあったが、なかなか稀なことであるのには違いない。
 
 さて、今後、ここはお念仏が染みわたる家となるのか、それとも愚痴だけがこだまする家で終わるのか?
 南無阿弥陀仏

 

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希望舞台公演にむけて

ちょうど1年前、東京の築地本願寺のホールで芝居を見た。水上勉作の『釈迦内柩唄』の公演だ。
今回は、連れ合いが京都での公演に向けて、毎日、走り回っている。会合や集会の場でPRしたり、紹介された方にあってチケットの販売や宣伝をお願いして回ってる。出演者でもあるが、本公演の責任者であり、制作のために頑張っているのだ。

どれだけ賛同者を集められるのか。また熱をもって公演に協力してもらえるの方があるのか。客層ひとつでも、大きく舞台の善し悪しに影響が生まれていくるという。それには、熱心な支援者ひとりでも多くいることが大切だ。そのご縁づくり、ネットワークづくりのためである。興味だけでは、有料(3000円)のチケットは購入してもらえないのだ。

七条堀川にある興正会館にもポスターが貼られていた。今回は、東本願寺にある「しんらん交流館」公開事業ということで、真宗大谷派が共催になっている。また、真宗教団連合や全日本仏教会が、協賛や支援をしてもらっているので、宗派を超えて寺院や宗門関係にお願いしやすい。ある意味、内容以上に肩書が大切ということである。

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 日時=2019年5月10日(金) 開演18時30分~20時10分
           11日(土) 開演14時-15時40分
 会場=しんらん交流館(2階大谷ホール)烏丸通花屋町通西入
 前売=一般3,000円・大学生2,000円・高校生以下1,500円(当日券は、いずれも500円増)
 問合=しんらん交流館内 075-371-9208
 又は、希望舞台(荻原)090-4064-6981(前売あります)
     kibou_butai#mac.com(#を@に置き換えてください)
   HP=https://www.kibou-butai.com/schedule

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お旅所の桜

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今年の冬は、暖冬だった。ただ乾燥ぎみで、手足(特に足)の乾燥肌でかゆみが続いて、掻いて炎症を起してしまった。

滅多に病院にはいかないが、久しぶりに皮膚科に入った。歯医者以外院にいくのは、5~6年ぶりか。珍しく、弱めのImg_2152
ステロイドも塗った。1週間で回復して、薬は不要と言われて、すぐに収まった。

帰路に通った松尾神社のお旅所。桜がきれいだった。西大路七条界隈は、松尾神社の氏子町ということなのだろう。

4月に入って寒くて、桜は長持ちしているようだ。

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大仏の日に南都仏教の話

Img_7491  「昨日、4月8日は花祭りでしたが、今日(9日)は、何の日がご存じですか?」と、ご講師。

「ここに来る時に、車のカーナビが、「今日、大仏の日です」と教えてくれました。それで調べたら、752(天平勝宝4)年のこの日に、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われんですね」と。
 
 知りませんでした。 決して、余談ではない。東大寺に関連する話題だった。

 2年間をかけて、東大寺の碩学 凝然大徳の『浄土法門源流章』を読み終えて、今年から永観(ようかん)律師の『往生十因』を原文(漢文)で講読するという。それに先駆けて、南都浄土教の概観の講義があった。

 日本の浄土教には、叡山浄土教、南都浄土教、そして密教浄土教の流れがあるが、互いに関連しあいながら流れている。ただ、南都といえば「南都六宗」、三論宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、成実宗、律宗であるが、三論の寓宗である成実、法相の寓宗である倶舎を除くと、実質的には四宗で、その中でも、当時は三論宗と法相宗が力をもっていた。龍樹菩薩や、天親菩薩の御宗派ではあるが、それ以外は浄土教とは無関係の気がしていた。しかし、よく考えると、法然聖人の批判の急先鋒である、明恵上人も、解脱上人(貞慶)も、共に南都の僧であり、浄土教にも明るくて、専修念仏の立場を真っ向から批判している。

 その背景には、日本独自の山岳仏教(修験道)や、源信和尚の影響などもあるやうだ。また、本宗だけでなく、より広くまざまな教えを修める兼学が、当たり前であった。

 彼らのように、南都六宗を本宗としながら念仏による極楽往生を目指した僧侶が、一定数あったという。その場合、自己の依って立つ本宗と教義的に矛盾する浄土の教えを如何に会通するのかが、大きな課題になっていた。またその時々に問題になった課題もあった。にもかかわらず、法然上人の「選択本願念仏」の立場から、それをすべて収めてしまった。「本願」であるかかどうの一点で、選捨されていったのである。当然、その捌き方に納得いかなかったことも、弾圧の背景になっていたのだというのだ。

 詳しくない世界なので、これからが楽しみ。

 

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花祭りに道場が整う

Img_2100  4月8日は、釈尊の誕生日である「花祭り」である。

 日本では、当たり前に思っているが、南方の仏教国では、4月8日ではない。また名称も、ウエサク祭 と呼ばれているが、、。

 その4月8日に、2階の道場の襖と畳が入った。いつも会館の掃除をしてくださる京都の同人の方が、新調なった道Img_2104 場を眺めて、「改めて心機一転で、聞かせてもらいたいですね」と言われていた。

 新会館の再建の時、道場の畳をお世話くださったのは、日高支部の皆さんだった。そこに高山支部のHさんによる仏壇が収まった。道場が完成したとき、日高支部の当時の支部長さんのUさんが、仏壇に手合わせて、「先生、ほんとうによかったです」と、涙を流しながら喜んでくださったのを思い出した。

 昨日は、大阪や京都支部の有志の方々が、汗を流して、道場に仮置きしていた本や家具を運んでくださった。

 そんな皆さんの念力によって、念仏精舎は相続されてきたのである。そして、私が、お念仏申し、信心を喜ぶためである。

 

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和歌山寺院布教

 昨日、家庭法座の会場を提供くださったOさんと一緒に、和歌山市冬野のお寺を目指す。Oさんとは、3月の生駒での家庭法座、名古屋での仏の子供大会と、3週連続の車での旅、しかも、法座は2日連続でご一緒される。

Img_2052  冬野のこのお寺を訪れるのは、2回目だ。それも大昔。まだ大学生の頃に、子供会のお手伝いをさせてもらったのだから、40年前になる。その後、内観に力を入れられるようになってが、それに対する父の態度が厳しかったこともあって、ご縁が遠くなっていた。

Img_2046  もともとは、曾祖父の方が伊藤先生の親友であったことから、ご縁が始まる。今のご住職の坊守様は、学生服姿の母を知っているというのだがら、たいへん古いご因縁である。ぼくも、先代の女住職、また今の娘さんである坊守様には、ずいぶん可愛がってもらった。学生時代、和歌山での子供大会での会場探しの時には、一緒に会場を何カ所も探して回った。

 仏の子供大会では、お子さんたちとのご縁も長い。お声をかけてもらったとき、「お声は変わらないですね」と、ご子息に言われた。たぶん、35年前ぶりにお会いする。

Img_2054  決して大きくはない本堂は、一杯である。単立のお寺で、檀家の数は多くはないが、ほぼ檀家さん(家族の代表だが)が出席されているという。見知った顔も、少しはあったが、ほぼ初対面。ただ、最初にお念仏をしたが、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてこない。そん時は、「皆さん、お寺は何のためにあるのでしょうかね。ここは、お念仏を申す場であり、真実信心の人が生まれる場所ですよ」というところか、手を合せ、お念仏を申すことを、冒頭と最後の、それぞれ4回話したが、反応はいま一つ。ただ、法話は遠慮なく、最後には、後生の一大事と、僕自身か仏法に出会った体験、地獄一定ということも、自分を開いてお話申し上げた。涙ぐみながら聞いてくださる方はあったが、あまり声に出した反応はなかった。

 何度か、講師室にお出でくださるように促したが、結局、うまくいかなかった。お寺の方も、檀家さんも、法話の反応はないまま、法縁は終わった。いろいろと育てを思い出して懐かしかったが、少し寂しさも残った。

 口に出してお念仏を申すこと、聞いたところを味わい、口に出して法悦を語るということは、簡単なようでお育てがないとできないことである。仏法の相続は難しい。

 

 

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選挙と夜桜と

Img_2035     O家の帰路、東寺を経由して、ブラブラ帰る。東寺が夕陽に映えてきれいだった。

帰宅し、母を乗せて期日前投票に向かう。また東寺の前を通ったら、夜桜見物の長蛇の列にびっくりした。サクラのライトアップ中だが、今日Img_2033が満開、しかも土曜日、陽気もいいと、好条件が重なった。入場口の東門から始まり南門まで列が続いている。東寺の有料区間の境内は、それほど広くはないが、こんなに大勢の人が押しかけているのに、驚いた。もちろん、夜桜は見ていない。

 さて、統一地方選挙である。京都市南区は、京都府議は無投票なので、自民、共産、公明で決まっていた。

Img_2024  京都市会議員のみを投票する。3人で出向いたが、アッという間に終わった。

翌日の結果では、こちらも前回と同じで、自民2名、共産2名、公明1名という現職の当選。府会も市会も、政党の構成は同じた。

Img_2028  それよりも、驚いたのは、投票率の低下だ。市会はとうとう40%を切り30%台に入った。市会のみの南区は、その 中でもさらに低い。つまり有権者のうち、2/3近くは投票していないということだ。昔は、その反対(1/3程度が投票しない)だったのに…。

Img_2039   夜桜の長蛇の列に比べて、政治への無関心ぶりが心配になる結果。

 

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盛況だったO家家庭法座

Img_2008  4月は、京都支部の家庭法座。家庭法座といっても、会場は華光会館だ。しかし、今年は修繕工事中で、会館を使用することができない。

 その時、名乗りを上げてくださったのが、Oさんである。かなり昔に、悟朗先生を招いた家庭法座があったそうだが、それから何十年もたっている。「手狭で、座談会ができないかも」と心配されていたが、Tさんが下見され、「大丈夫」とのお墨付きで、会場に決定。もしギュウギュウでも、距離が縮まる家庭法座のメリットもあるだろ。

Img_2030 近鉄東寺駅からも、また京都駅からも近く、東寺の東門につながる東寺道から路地に入ってすぐのところの京都の長屋。門構えに比べて、奥行きが広くなっている。二間を縦長に拡げて会場に、悟朗先生の若かりしころの六字名号が掲げられる。光っていました。

  お誘いの声かけも盛んで、同時に「Oさんのお家、どんな感じなのかな?」という興味半分の方も多く、通常の支部法座よりは5割増(?)のお参り。珍しい参加者もあって、うれしい意味でギュウギュウになって、会場は熱気に包ま れていた。入院中のMさんもご夫婦で参加。「当番の永代経のオープニングテーマ曲を作ってきたよ」と、ご夫婦で歌の披露される、サプライズも。ご夫婦の法味の語らいもよかった。何より、全体も活気があり、一言の法味を語るだけで時間がきてしまった。

 もともと亡くなったOさんとは、古い古いおつきあいだ。一時、華光会館のお手伝いもされていた。でも、病気になられて、肉体的も、精神的にも、かなりつらい時期が続いて、いまの皆さんとはご縁がほとんどない。しかし,ぽくは、子供の頃からすいぶん可愛がってもらった。中学生の時の着衣式で、子供用の五条をOさんのお母様が寄進くださった。45年も前の懐かしすぎる思い出だ。Oさんも、亡くなったご主人からの言葉を随想として、4月号の華光誌に掲載されている。ぜひご一読を。通り一遍の味わいでないところが、いいです。

 もの珍しさもあって、仕事を休んで参加されたという方もあったが、それはたぶん今回だけのこと。O家家庭法座が、2年、3年…と続くうちに、参加者は減っていくことだろう。それは仏法も今生腹での聴き方だからだ。大方の方は、「お金も大事、家族も大事、趣味も大事、そして仏法も大事」と、いろいろある「大事」の中の、ひとつぐらいで仏法を聞いてる。そこまで育つのも、たいへんなことではある。しかし、そこで止まっていけない。もろちん、「ひとつでも『仏法大事』の順位をあげていきましょう」という話でもない。

 いろいろある大切なものの中での「大事」でも、また大切なものと比較して一番の「大事」でもない。

 「後生の一大事」は、比較級ではなく、最上級なのだ。いくらこの世のこと、目の前のことが大事でも、すべて死と共に崩れさっていくのである。しかし、後生の一大事だけは、違う。そこからがほんとうになっていく、取り返しのつかない一大事が待っている。「そこに心をかけて聞けよ」というのが真宗の教えである。まあ、そんなこともお話申し上げた。南無阿弥陀仏

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高瀬川のサクラ(写真あり!バージョン)

Img_1955   4月に入って、京都は肌寒い日が続いていた。1日には、山沿いで雪が舞った。市内でも最低気温が2度までさがった。

 Img_1971  夕方、高瀬川のサクラを見たが、まだ3分程度というところ。開花した宣言のサクラも停滞気味だ。夜には、冷たい雨が降っていた。

 それが、4日の木曜日頃から、春の陽気に戻って、一気にサクラも満開に近くなってきた。

Img_1997  金曜日の自力整体の教室は、五条の河原町に近くて、木屋町のサクラを少し眺めた。今日(5 日の金曜日)の時点での満開宣言はでていないが、もう満開間近である。それにしても、ここ数日、京都の街は海外からの観光客で溢れている。賑やかなのは結構だけれもど、オーバーツーリズムの問題も身近に感じられる、今日この頃。Img_1994

 

 

 

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ココログの不具合続く

 3月にリニューアルされたココログ(ブログ)の不具合は、4月に入っても続いています。このペースの解消なら、令和になっても続くのかも。恐ろしい~

 何事も新しくなると、慣れた手順を変える必要があり、慣れるまでは不自由なもの。しかし、いま不具合は、シススムそのものの破綻か。利用者の声を聞かずに、@niftyの都合だけで行ったとしか思えない、改悪です。無料提供の利用者は「無料なのでしかたない」という声もあるけれど、有料利用者からは、強い不満が続出中。「恥を知れ」とか「損害賠償します」といった書き込みまで。その気持ち分かります。

 公式には「不具合が解消されています」ということですが、実際は、1日に1つの解消程度で、亀の歩み。昨日までよかったのに、翌日には違う箇所で不都合がでるということが、日常茶飯事で、いい加減にしてもらいたいですね。

 昨日からは、最新記事やカレンダーに反映されず、また新しい写真がアップできない状態が続いています。せっかく満開のサクラや、新しいリニューアルなって会館の写真を載せたいのに、残念。

 

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研修室での華光誌発送

 四月号の華光誌発送をする。修繕工事で編集作業を心配していたが、予定どおり完成することができた。
 ただ、まだいつもの発送作業とは違う。通常は、道場で作業をしているのだが、まだ畳が入っていない。すでに完成した3階の研修室を使う。今日は、奈良と京都の二人の同人が助っ人くださった。4月27日~29日からの永代経での「永代経法名軸」のご案内を同封している。

   お楽しみに!!

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 さて、3階の研修室の床は、グレーのタイルカーペットだったが、冬は下から寒さが伝わるので、せめて明るい色にしてほしいという声があった。 色を変えても、冷たさは変わらないが、色合いだけでも気分は少し違う。青色という選択もあったが、みんなで相談した結果、緑色になった。敷きつめるとまるで人工芝である。まあ、これはこれで気分は変わるだろう。

 

 

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十七回忌年忌法座

  午前中、京都の同人宅での、十七回忌の年忌法要に赴く。

 単なる法要ではなく、ご親戚の方への法座として営んでくださっている。有り難いことだ。でも、伝道という意味では、参詣者が高齢になられ、難しさも感じている。いつものように、「ご一緒に、声を出してお念仏申しましょう」とお伝えして、お念仏を申させてもらった。

 先の仏の子供大会のテーマであった「感謝」ということから、当たり前のことなはく、みんな有り難いこと、頂き物だということをテーマに、かみ砕いた法話につとめた。頂き物は、このからだも、いのちもそうだ。そして、その口から出る「南無阿弥陀仏」、すべて阿弥陀様のお命でないものはない。

 

 

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例話? 零羽? いえいえ「令和」でした

 4月1日、5月からの新しい元号が発表された。エープリルフールではありません。その時間帯の特別ニュース程度かと思っていたら、各局とも特別番組で放映され、号外まで配られる狂騒ぶり。ちょうど外出中で、少し経ってから、カーラジオで知った。画像がないので、まずは言葉だけが入ってきた。「レイワ」? 一番に最初に頭に浮かんだのは、「例話」、次に「零羽」である。でも実際は、「令和」だった。

 新しい呼び名には無関心ではなかったが、しかし、お祝いムードとか、浮かれた気分にはまったくならず、歴史的な転換期とも思わない。むしろ、世間の商魂たくましさや、無自覚な熱狂ぶりに、冷めた目を向けている自分がいる。やはり、根っからの変わり者か、ひねくれものなのであろう。

 お釈迦様のお誕生は、紀元前のはるか昔。その仏法が日本に入って来た時も、日本の最初の元号である「大化」より古い昔のことだ。そんな壮大な流れを汲み、仏法者としての矜持もあるからだろうか。
 

 

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