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東京支部法座~出会いがテーマ~

    木曜、金曜の名古屋での仏の子供大会に続いて、土・日の週末は、東京での支部法座。名古屋から直接、東京に入りたかったが、皆さんを車で送迎する関係もあって、一端京都に戻って、東京入りした。早くからサクラの便りが聞こえている東京だったが、今日はすいぶん肌寒かった。
 
 法座が続くと、ご法義が篤くなってくる。ましてや子供大会では、最後に悟朗先生の遺言に触れたようなものだから、最初から燃えている。法話は4座、長い話が続いた。参加の皆さんは、今生の仏とも法ともない日暮らしの中からお参りで、まだエンジンがかかっていない。にもかかわずら、機関車は煙を吐いてを勢いよく走るが、客車が連結されていないとおいけきぼりをくらってしまうので、こんな時は要注意。

 一貫して流れていたテーマは、出会いということか。会うという漢字は、悟朗先生の「法に遇う」に詳しい。しかし、単に会うのではなく、「出会う」というのは、文字通り「出て」会うのである。部屋の中に閉じこもっていては、人との出会いはない。もっとも、部屋をできなてくも、ネットを通じて、さまざま人達との出会いはあり、買い物もできる。ぼくもブラジルの子供たちでも、スカイプで会話をすることはできるのだ。しかし、それは画面上での文字や映像であって、ほんとうの意味での人のもつ空気感に触れることはできない。やはり、一歩の踏み出すことが、出会いなのである。ご示談の場面でも、その場に座っていただけでは動かない。実際に、一歩、前に出たものだけが、出会う世界があるのだ。

 たとえば、今回も三名の初参加の方があった。そのうち2人は、これまで浄土真宗のご縁のなかった方で、HPや『仏敵』を手がかりにご参加くださった。ほんとはう昼座でお帰りの予定だったが、話の詳細は難しくても、ぼくと同人のやりとり、またその態度を通じて、何かを感じてくださって、夜座も延長してご参加くださり、誰も勧めていないのに、同人会にも加入るたさった。勇気をもって、一歩を踏み出して参加くださったからである。

 そして、法座に出るようになったならば、今度は自分の枠や殼を出て、出会ったいくるである。阿弥陀様は、正覚の座を一歩出で、法蔵比丘に成りさがってくださった。もし「私は仏になった」に止まっておられたなら、凡夫との出会いはなかったのである。阿弥陀様が正覚をかけものに、一歩を出てくださったならば、私も、小さな自分の枠、殼を出て、その阿弥陀様にお応えさせてもらいたい。それは、勇気のいることかもしれないし、恐いことかもしれない。そのために、友同行の励ましがある。その一歩に、阿弥陀様の十劫が昔からのご苦労があるからだ。 南無阿弥陀仏

 

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