« 高山支部法座~ボーと聞いてるんじゃねえよ~ | トップページ | ビフォー・アフター »

お見舞い

   高山法座に出かける直前、京都同人から電話。「Mさんのこと聞きましたか?」。Mさんの緊急入院のことで、驚きと、動揺が伝わってきた。彼女は、先日の輪読法座にも、日曜日の講習会にも参加され、いつものように発言されていた。常々、会館での法座、たとえば、輪読、日礼、京都支部などの信仰座談会では、いつもその輪の中心におられる方である。ご法も積極的に勧めておられて、京都の方は、お世話になっておもらる方が多い。日頃、無常と聞いていても、存在が遠い人なら何も感じなくても、身近な方ほど、突然の知らせに、皆さん、驚いておられた。

 治療が始まる前にと、夫婦でも自宅近くの病院にお見舞いに行った。

 第一声。「無常と聞いていたけれど、分かってなかったですわ。ほんとうに突然、ドーッとやってきました」と、身振り、手振りを交えて話された。

 ぼくも一言、「ほんとうに仏説まことですね」と、お声をかけた。

 今年になって、インフルエンザで体調崩されていた。それから、グズグズと体調不良が続いていたが、それでも法座では相変わらずのMさん節を聞かせてくれていた。でもあまりにも不調がないので、検査に行き、念のために撮ったMRAの結果、即入院となったようだ。本人も家族も、まったく予想もされていない結果だ。診断書に「もうハッキリダメと書いてありますわ」と、少し力なく笑われた。そこには、膵臓、肝臓、そして脾臓の腫瘍と書かれていた。ステージ4で、外科の手術は施せない状態だというのである。「まだ余命宣告はないけれど、先生は、はっきり言われますわ」と、笑いながらいわれた。そしてそこからは、いつものようなMさん節か炸裂。仏法のこと、家族や同人の皆さんの思いなど、不満や愚痴を交えて滔々と尽きることがなかった。

 仏法を喜ぶ身であっても、凡夫の情として驚くばかりだ。でも、同時に、「仏説のまこと」と私自身の不実も教えられる。実際、こんなことを目の当たりにても、これはベッドに横たわるMさんの問題であって、ぼく自身の無常ははるかに遠くにおいている。まさに無明。この麻痺した無自覚さこそ、迷っている身の恐ろしさである。南無阿弥陀仏
 

|

« 高山支部法座~ボーと聞いてるんじゃねえよ~ | トップページ | ビフォー・アフター »

法味・随想」カテゴリの記事