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2019年3月の20件の記事

東京支部法座~出会いがテーマ~

    木曜、金曜の名古屋での仏の子供大会に続いて、土・日の週末は、東京での支部法座。名古屋から直接、東京に入りたかったが、皆さんを車で送迎する関係もあって、一端京都に戻って、東京入りした。早くからサクラの便りが聞こえている東京だったが、今日はすいぶん肌寒かった。
 
 法座が続くと、ご法義が篤くなってくる。ましてや子供大会では、最後に悟朗先生の遺言に触れたようなものだから、最初から燃えている。法話は4座、長い話が続いた。参加の皆さんは、今生の仏とも法ともない日暮らしの中からお参りで、まだエンジンがかかっていない。にもかかわずら、機関車は煙を吐いてを勢いよく走るが、客車が連結されていないとおいけきぼりをくらってしまうので、こんな時は要注意。

 一貫して流れていたテーマは、出会いということか。会うという漢字は、悟朗先生の「法に遇う」に詳しい。しかし、単に会うのではなく、「出会う」というのは、文字通り「出て」会うのである。部屋の中に閉じこもっていては、人との出会いはない。もっとも、部屋をできなてくも、ネットを通じて、さまざま人達との出会いはあり、買い物もできる。ぼくもブラジルの子供たちでも、スカイプで会話をすることはできるのだ。しかし、それは画面上での文字や映像であって、ほんとうの意味での人のもつ空気感に触れることはできない。やはり、一歩の踏み出すことが、出会いなのである。ご示談の場面でも、その場に座っていただけでは動かない。実際に、一歩、前に出たものだけが、出会う世界があるのだ。

 たとえば、今回も三名の初参加の方があった。そのうち2人は、これまで浄土真宗のご縁のなかった方で、HPや『仏敵』を手がかりにご参加くださった。ほんとはう昼座でお帰りの予定だったが、話の詳細は難しくても、ぼくと同人のやりとり、またその態度を通じて、何かを感じてくださって、夜座も延長してご参加くださり、誰も勧めていないのに、同人会にも加入るたさった。勇気をもって、一歩を踏み出して参加くださったからである。

 そして、法座に出るようになったならば、今度は自分の枠や殼を出て、出会ったいくるである。阿弥陀様は、正覚の座を一歩出で、法蔵比丘に成りさがってくださった。もし「私は仏になった」に止まっておられたなら、凡夫との出会いはなかったのである。阿弥陀様が正覚をかけものに、一歩を出てくださったならば、私も、小さな自分の枠、殼を出て、その阿弥陀様にお応えさせてもらいたい。それは、勇気のいることかもしれないし、恐いことかもしれない。そのために、友同行の励ましがある。その一歩に、阿弥陀様の十劫が昔からのご苦労があるからだ。 南無阿弥陀仏

 

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嘉納治五郎先生が、、

Img_1935    今年の東京は暖冬で、季節外れの陽気で、かなり早くサクラの開花宣言があった。だいたい開花から、一週間で満開になるのだから、。Img_1926この週末が見頃になる予定だった。ところが、開花後、寒い日が続いてる。今日も、かなり肌寒くて、 コートが手放せない。おかげで、サクラの満開が遅れて、その分、長く楽しめるようだ。Img_1948

 昼休み、会場近くの公園を散策。7分咲きというところか。

 いままで知らなかったが、教育の森を奥に行くと、こんな場所があった。都心とは思えない森であImg_1940る。筑波大学の附属小学校の庭園、占春園。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E6%98%A5%E5%9C%92

Img_1947   こんな場所に、ひっそりと銅像が立っている。いま、大河ドラマで放映中の、嘉納治五郎氏。近代柔道の創始者で、前身の東京師範学校の創始者でもある。大河ドラマでは、龍谷大学大宮学舎で学校のシーンは撮影されている。今年、ドラマを見てなかったら、あまり関心もなったかもね。

 30年近く訪れていても知らなかった。ほんの少し寄り道しただけで、新しく知ることもあるのだな。

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仏の子供大会In名古屋(2) 写真篇

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〈東海支部の有志による特選カレー。大好評〉
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〈朝は豚汁とおにぎり。そのための具材を切りを、子供たちが担当〉

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〈早起きし時刻を知らせる梵鐘を打たせてもらう。寺ならでは〉
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〈公園で、浅野屋特選弁当を賞味する。おいしかった〉

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〈スタンプラリーは、七高僧を探せ〉

 

 

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仏の子供大会In名古屋

 名古屋市のお寺を会所にしての「春の仏の子供大会」。春休みなので、平日の木曜日・金曜日の開催となる。夏と違って1泊2日と短い。そして、小学3年生からではなく、幼児も親が同伴するれば参加を受け入れた。

 テーマは「感謝」だったが、盛り沢山の企画で楽しかった。なによりも、会所のお寺が会場も広く、さまざまな企画が出来た。七高僧のスタンプラリー、朝食の食材準備、手作りカリーに、浅野屋の特製弁当(これは絶品)などなどである。

 現在、華光会館が改修中なので、春の子供大会は中止の予定だった。消極的な理由だけでなく、もともと初春の仏青研修会を代わりなおに、子供会のお手伝いが仏青からはほとんどなくなっている。いまは、仏青の皆さんのお育ての必要性を感じているので、仏青の1泊法座に戻す案を考えていた。

 ところが、仏青メンバーだった今のパパ・ママ世代の皆さんが、自分たちで企画・運営するので、ぜひやりたいという声をあげてくれた。会館改修中で、現実的に準備も行えないこともあって、皆さんで運営面を含めたお世話を条件に、開催をお願いした。会場も、元仏青メンバーのお寺に、すんなりと決まった。仏青の皆さんは、日高支部の合同法座に出席してもらおうことになった。

 とはいっても、開催までの歩みは簡単ではなった。あちこちこら不協和音が聞こえきた。アイディアはでるが詰めができておらず、不安だらけ。個々の企画は、それぞれしっかりとやっておられることは分かった。しかし、全体の運営という面では、責任がぼやけている。もし華光会館が会場なら心配はない。問題は、初めての会場、しかもお寺ということだ。手製カレー作りや子供たちによる朝食作りなどの計画では、人出の確保の不安の声も入ってきた。もちろんなるようにしかならない。しかし、幼児を含めた子供さんを預かるのだから、運営面の相談が大切だ。60年の経験からみても、そんなときにケガや事故が起こっている。安全面や健康面は、特に油断大敵。

 不安もあって久しぶりに進行に加わった。打ち合わせにも中心になって参加したのも、何年かぶりだった。先生役で参加してくれた、高校生、大学生を育てる意味もあったが、主体的に関わったおかげで、収穫も大きかった。お世話の皆さんにとってもいい経験になったのではないか。ありがとうございました。
 
 そして、連綿と続くお働きに気付かされて、最後は心撃たれた。相手の成長を待つのも他力のお働きだが、こちらの思いに関わらず働きかけてくるのも、また他力のすばらしさだ。子供たちの反応は正直だ。面白くなければすくに飽きる。それでも、それを超えて真摯に向き合わねばならない時もある。何のための集いなのか。たとえうまく運営ができても、また楽しい集りであっても、ご法の相続がなければ何の役にも立たない。それをどう態度で示すのか。いまのままなら、65年前に仏の子供大会を初めた悟朗先生に叱られる。先生からの鉄槌を最後に受けた。南無阿弥陀仏

 

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中間点検

Img_1496  京都は、まだサクラの便りはない。それは染井吉野に限ったことで、早咲きのサクラは、もう満開である。散髪の帰路、梅小路の公園を通る。きれい である。

 午後一番に、広島のM先生がお出でになって、現場監督さんたちと、工事の中間の点検。内装工事か始まって、ちょうどImg_1519 1ケ月。半分が経過したところだ。もう完成しているところを見て回った。

 ほんとうに明るくなり、きれいになった。

 しかし、すべてが新品になるのでなはない。逆に、回りが新しくなると、古いところがやけに目につく。「ここも追加しないとな」というM先生の声。抜けているところ、実際手をかけてみたら、難航した箇所などの、追加工事も多い。それを確認する作業に、新たな見積りもお願いした。何もかもやっていきたいが、こちらにも決められた予算がある。この先せ、二期工事、三期工事と続く。どこかで折り合いをつけていくしかない。今だけでなく、これからの将来の念仏者の集う場としても、少しでもいい環境を作っていきたいのである。

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広島支部法座~本願の実機~

    広島支部法座。

 華光誌輪読法座として、「本願の実機が知れる」を読む。

 昨年、伊藤康善先生の五十回忌に合せて、「仏敵」の旅に出た。その時の現地での法話である。

 伊藤先生の『仏敵』は、学生時代の伊藤先生が、一文不知でありながら、廃立(捨てもの・拾いもの)の水際を厳しく教示されるおよし同行に出会い、彼女が危篤となり、往生されていく間に、およしさんに育てられた在家の同行方に導かれ、「本願の実機」が知れる、つまり獲信するまでの求道物語である。この伊藤先生とおよしさんとの出会い、そして同行との出会いこそが、いまの華光の出発点になのである。

 そして私たちも、よき師、よき友との出会いを通して、弥陀の本願のお目当てである、ほんとうの自分に出会っていくのである。獲信とは、何かを得たり、つかんだり、有り難いものを納得することでなはい。本願の実機である、これまで一度もあったことない、自分でも分かっていない、阿弥陀様が立ちあがらねばならなかった、ほんとうの自分に出会っていくのだ。だからこそ、十八願にブチあたれば恐ろしいのである。

 広島では、先の日高法座に参加して方が多かったが、一様に、まだその余韻が残っていた。日高の古老たちに出会って、『仏敵』で繰り広げられる同行たちと同じ匂いを感じたのでる。古い華光の伝統を体現されているといってもいい。そんな人に出会えた喜びを分かち合えた、いいご法座となった。朋同行の集う法座は、いいな~

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同行の態度に撃たれよ~大阪支部法座より~

 奈良県生駒市での大阪支部の家庭法座。春と秋のお彼岸に、K家を会所にさせてもらっている。

 まだ日高支部の余韻が残っている。法話の冒頭は、その時の経験から。やはり、日高の古老たちの「態度」というところだ。いくら言葉が巧でも、そこに姿勢や態度が一致していなければ、人の心はなかなか動かないものだ。逆にいうならば、どんな稚拙な言葉であっても、たった一言であっても、態度と言葉が一致しているとき、人の胸をうつということもある。

 それは僕自身にしてもそうだ。善知識である父や母の言葉以上に、その態度、生きる姿勢に、心撃たれてきた。それは、華光に集う同行や同人の姿でも同じである。そんな先達の中で、お育てをいただいてきたのである。

 中でも、決定的な出来事は、小学生の時の夏に起こる。仏の子供大会の海水浴で、目の前で二人の溺死者を見た。夏休み中、自分の死が、自分の上に迫ってきたのだ。特に夜は不安で不安でたまらなかった。そしてお盆の夕方、ひとり泣いているぼくの所に、お盆参りの行く直前の父が、顔を出した。その時の父の態度がなければ、ぼくは仏の子供になっていなかったかもしれない。子供相手ではなく、一個の大切な求道者、聞法者として向き合ってくれたのである。

 お盆参りの予定を延期して、すぐにご示談をしてくれたのだ。お盆参りなので2時間ほどのことだ。夕食後にだって、時間とたっぷりある。その方が、ゆっくりとご示談することが出来るだろう。第一、他人様とのお約束を優先するのが、当たり前のことだ。商売上、約束を守ることが、一番大切なはずだ。しかし、その時の父は違った。「聞かせてください」と泣いてる、後生の一大事に心をかけた求道者が目の前にいれば、それが我が子であっても、今生事のお参りより後生こそ一大事だと、その場で、すぐに懇切な丁寧なお取り次ぎをしてくれた。

 しかし、ぼくは分かりたい、不安をなくしたいばかりで、話が聞けなかった。焦るばかりで、時間はどんどんとすぎていく。そのとき、父が子供のぼくに向かって、「これ以上の時間ない。もしほんとうに聞きたいのなら、命をかけて聞くか。そうでないのなら、これ以上の話はしない」と突き放した。そのとき、父もまた必死で、真剣そのものだった。結局、その姿に促されたのである。自分の心の変化や心境ではない。相手の態度に動かされたのである。意味など考えず、ただ間髪入れず、「はい、聞かせてください」と頭を下げた。

 すると、そこで飛び出したのが、「南無阿弥陀仏に飛び込むんや」の一言だった。まさに、善知識の仰せ、勅命である。それがどうすることやら、こうすることやらというはからいはなかった。ただ、その仰せに従うだけ。南無阿弥陀仏」と身をかけて飛び込むだけであった。

 今日の法話は、冒頭で日高の同人の、最後に父の態度について触れた。そこを中心に、光明の二つの働き、調熟の色光の照育の働きと、摂取の心光の照破・照護の働きについて話した。しかし、なかなかうまく皆さんに聞いてもらうことが出来なかった。目の前の事柄やエピソードは聞けても、何が中心で、テーマなのか、そのお心はと、話の核を聞こうとする人は極めて稀である。聴聞は、なかなか難しいものだ。

 

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ココログにストレス

頼みもしていませんが、3月19日、ココログのブログシステムが、リニューアルしています。ところが、いまでに閲覧しにくい状態が続いています。スマホや携帯から、見入られないという連絡も、複数の方から受けています。 申し訳ありませんが、もし、表示されない場合、一度戻るボタンで戻って再読み込み(再度記事リンクをクリック)をお試し下さい。
書き込みも、写真のアップも今のところ、不自由極まりありません。すごく時間がかかって、ストレスです。このままの状態なら、乗換も考えています。しばらくご容赦ください。

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後ろ向き発言

  今年度、最後の月例会。

 参加者が少なくて、寂しい。4名の参加があったが、2人が1時間足らずで退席されて、二人だけになる。

 今年度は4月から始まったが、たった一人の参加の有る無しで、雰囲気がよくなったり、逆につらくなくなったりするのを体感させられる1年だった。来年度もこの調子が続くようだ。

 月例会なので、しっかり内容を読みこみたい。たったそれだけの願いが、そうはならない。各人が自由に発言する場でもあるから、自分のフィールドだけにもちこんで、長々と発言をされる方がある。それはそれでいいのだが、内実に不一致を強く感じられて、正直、つらい。

 月例会の世話役を初めて、ずいぶんと長い。30年近くになる。そろそろ変わってもらってもいい時期だ。このテキストまでは責任があるので、来年1年は続ける。4月の総会では、事務局が刷新されることになるので、来年以降の、月例会の世話役の交代をお願いしたいと思う。残念ながら、後継者はなしてある。

 ずいぶんマイナスイメージの文章になった。それだけ、拒否反応があるということだろう。すみません。

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早咲きのサクラ

 お彼岸に入る。今年は、記録的な暖冬だったが、このごろも各地で20度を超える気温が続く。

 自力整体の教室が変わった。この教室に通い出して、17年目。ぼくが覚えているだけでも、8ケ所目の会場。金曜日は、華光会館を会場提供しているが、火曜日は鉾町である新町通り沿いの町家イタリアン(ローフード)の店が、会場だ。

近くの高辻通沿いにある元小学校のサクラがきれいに咲いていた。近くにある中華料理屋は、連日、中国からの団体観光客で大賑わい。バスに戻る前に、ここで写真を撮っている。東京では、サクラの開花宣言が近いとうニュースをやっていた。京都はまだ1週間ほど先のことだが、それは染井吉野のこと。サクラの種類によって、すでに咲いているものもあるし、もう散りかけているものまであれば、まだこれからというところも。

サクラといっても、ほんとうはいろいろと楽しみがあるということだなー。

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それは違う

 華光会館の改修工事は、廊下や階段部分のクロスの張り替え、教室の天井工事と電気配線、そして1階の住居部分と、バラバラに同時進行している。繁忙期とあって、クロスの職人さんも朝8時に来て夜も8時前まで作業される。新規ではなく、古いものを剥がしての作業はなかなか難航しているようだ。階段部分は内部に足場を組んでいるので、工事中は立ち入りができない。

 夜、仮住まいで3階の救護室に寝ている連れ合いが、慌てて戻ってきた。 「あんな色を頼んだの? クロス、間違ってるんじゃないの?」と。

「電気も撤去中で、暗くてくすんで見えるのじゃないかな」と言いながら、作業が終わっていた4階から3階の部分を見る。一目で、こんな色を頼んではいないという色だ。

クロス、天井、幅木、トイレの床、襖と、とにかく細かい決め事が多い。クロスだけでも、廊下も2種類にしてポイントを作り、事務所、教室、研修室、1階の庫裏と、それぞれ違うクロスにしている。真っ白は汚れが目立ち、少し冷たい感じがするので、アイボリやベジューが混ざったものを選んだが、どれも白系統であることは確かだ。でも、これは濃いグレーで、ずいぶん、廊下の印象が違って暗く見える。

 大急ぎで見本を探し、大量に発注されていた在庫と、型番を照らし合わせた。番号が違う。たった1番号だけなので、デザインは同じだが、色が違うのだ。もしかして、ぼくが発注ミスをしたのか。慌てて書類などを探す。どうやらこちらの記録では、間違いないようだが、間違って伝わったということもある。深夜なので連絡はできずに、心配なままで休んだ。

 翌朝一番、現場監督に報告。すると、「ああ、そうなんです。あれ、間違いよったんですわ」と、アッサリ。「乾かないと剥がせないので、そのままにして帰ったんです」とのこと。いや、それなら伝えてよとい感じもしたが、正直、ホッともした。終わってからだと工期が伸びたり、もし伝え間違いなら、お互いにいやな気分になることろだった。

  タイトル、あなたのことじゃなくて、よかったね。

 

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日高支部法座~絶滅危惧種?~

Img_1434  日高支部法座は、仏青有志の集いと合同として企画。仏青の方は少なかったが、それでも20代、30代の方が4~5名はあった。一座だけだが、日高の同人のお孫さんが参加してくださったのは、うれしかった。実際は、仏青というより広島支部合同法座で、広島や鳥取からの参加者が、日高支部の参加者を上回って賑やかだった。

 でも、日高の古老たちは健在であった。いま同人方の生き残りは、10代の娘時代に聞き開かれた方ばかり。古株の中でも若手だった方が残られている。しかし、彼女たちも、老・病の苦しみに苛まれている。ガンでの余命宣告を受けておられる方、腎臓の病で顔が2倍に膨れ上がっている方、肺炎で寝込んでおられる方、そして悟朗先生の同世代の方は、おうちの仏間に出てくるのが精一杯という方もある。  それでも、法に向かう態度は、往時を彷彿される。どれほどこの念仏者の法に向かう姿勢や態度に教えられてきたことか。今日もまた、過度に忖度するのではなく、また相手に合せるのでもない。自分のところで、一致した言葉を発しておられる。カラダはボロボロ、頭も認知になって、とんちんかんなことも多い。しかしである。 「皆さん、ここで信心喜ぶ身になってください。どうか信心獲得の身となってください。無常は待ったなし。いまここで、聞き開いてください。」と。

押しつけるわけでも、厭味がなるわけでもない。相手の事情を、あれこれ察する(忖度)するのでもない。ただ、率直に、自分のところ表明されている言葉は、強い。そして、その態度に、心が動かされる。結局、仏法は、お聖教や教義の中にあるのでも、単なる感情でもない。一人一人の中に息づき、それがどう発揮されているのか。その姿勢、態度の中にある。そのことは、すでに伊藤康善先生が『仏敵』の中で指摘されていることだ。

そんな同行に接すると、ぼくの中でもご法の火が立ち上がる。甘い法話も示談してられない。それではこれまでの先達に申し訳が立たないのだ。もちろん、参加の皆さんの心境は、まだまだ遠い。有後心の、人事の聴聞である。待つ必要もあるろう。それぞれのごお育てもあろう。しかしである。なんのためにここまで、のこのこと足を延ばしたのか。

 伊藤先生は、同行学を勧めてくださった。決して、日高(江原)に行けば獲信できるのでなはい。そこだけに仏法があるのでもない。ただ、仏法を体得し、それを態度で示される同行との出会いがあるというだけのことだ。それは、凡夫であり、一文不通であっても、その身をかけて喜んでおられる。そんな同行にお育てをいただいて身の幸せを思う。

 仏法を喜ぶ人が集う華光にあっても、もう彼女たちは絶滅危惧種なのかもしれない。が、その最後の生き残りは誰なのか。各々の胸に問いたい。

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華光誌編集も無後心で

 華光誌編集が終わった。始まりは、どうなるの、心配していた編集作業。事務所も、ぼくの仕事場も仕えないかもしれない。事務所の引っ越しも重なってくる。おかげで、集中して作業を行う。いつもは「巻頭言」や「聖教のこころ」がなかなか進まないものだが、こんなに短期間で終わったのは初めて。それというのも、講習会やブログの記事をネタにしたからだ。

 聞法だけでなく、仕事も「有後心」「有間心」ではダメで、「無後心」「無間心」が大切。後が無いと切羽詰まると、クソ力が発揮できるようだ。

 印刷所に無事渡るが、年度末で製本所も混んでいて、完成は3月末になる見込み。4月の頭には、お手許に届くことだろう。
 

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インドの夕べ

 Img_1417夜、お世話になっている旅行社と、インド観光局、航空会社のエアインディーが共催された、「インドの夕べ」という集いに招待を受ける。連れ合いが同席するのは、彼女の公演のCMしようという魂胆があった。

Img_1418 三条木屋町を上がった奥にある「ムガール」というインド料理店が、会場。アショカやケララのインド料理店は知っているが、ここは初めてだ。観光案内の後、インド音楽の生演奏、そしてインド料理を堪能して交流しようという集いだ。

 旅行社関係なので、聖護院門跡や中仏の院長がおられる。仏画工房の方が同席。隣席は僧侶の方。時宗、天台宗真盛派、そしてImg_1420西山派と、日頃お会いしない他宗派の方と交流。不思議なことにお念仏をルーツにしている小さな宗派の形ばかり。

 連れ合いの公演を行信教校で観劇したという行信職員がおれた。ご挨拶をすると、その地域で聞いたことあるお名前。「もしかして○○さんとご縁ありますか?」と尋ねると、「父です」と。あー、それでは「初めまして」とご挨拶したが、この方も知っている。「仏の子供大会に参加しましたよね。養老の瀧が会場の時に、ケガをしだ…」「あああ、あの時の頭のキズまでありますよ」って。彼は、フィールドアスレチックの乗り物で、ふざせていてケガをしたのだ。子供大会始まって以来、傷害保険が役立ったレアケース。ご縁とはいえびっくり。盛り上がってもう一軒ご一緒した。インドに20回以上も通っているインド中毒。お連れ合いの方も、ぼくたちとは深いご縁とつながっていて、またひっくり。

 来年1月末に、第4回・インド仏跡巡拝を企画中だ。仏跡巡拝は10年ぶり。たぶん、ぼくの代では最後の計画になるだろう。ぜひ、ご一緒しましょう。

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福井でのご縁

 福井でご縁をいただいく。

 いつもの平日ではなく、土曜日の開催となったので、参詣者が多かった。同朋会の方もおられるが、初めて方やご縁の新しい方もあった。福井以外から、金沢や富山の同人もお参りくださった。

 演題は「人生の実相」について。仏説まことの眼で見れば、「人生は苦なり」だ。この世でどれだけ成功し、どんな金持ちでも、賢者でも、地位の高い人であっても、「生老病死」の四苦から、絶対に逃れられない。そして、どんな立派な葬式が行われて、出かける時はたった独りである。厳かな業の道理によって、自らの行いの責任、自らが取る以外にはいのである。「独り生まれ、独り死ぬ、独り来た、独り去る」。賑やかな人生であっても、たった独りなのである。

 無常の姿、苦の姿、そして不浄の姿の現実が、毎日、毎日、私の回りで繰り広げられている現実だ。予期せぬ無常の宣告、突然の別れ、認知になり寝たっきりなりなる。家庭内で争いが断えず、誰にも知られずに孤独死する。今年になったからでも、私の回りで起こったことばかり。その身近で起こった具体例を挙げながら、あらためて人生の実相を味わった。

 しかし、転倒している私たちは、無常を常と、苦を楽と、無我を我と、そして穢を浄と、みごとに真っ逆さまに思い込んでいる。それで、いつまでも変わらず、楽しい、私がいると信じて疑わない。それでいて、自分のことは自分がすべて知っている、分かっていると自惚れているのである。

 そんな導入から簡単なゲーム交えたり、また自分を開いて、お念仏に出会ったご因縁(特に父との縁)を語ったり、厳しい話にもったりもした。後で、1時間ほどの座談会も持てた。質疑の中で感じるところもあったが、これは略する。

 また、いいご縁になったのではないか。
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 今日の福井は快晴、しかも温かくて、春の陽気。
 東別院の紅白のウメがきれいだった。

 

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ビフォー・アフター

 予想どおりなのか、予想よりたいへんなのか、実際、よく分からなくなっている修繕工事。連日、朝8時過ぎから夜7時半まで続いている。いろいろな職人さんがきて、頑張ってくださっている分、進行が早い。まず集中して事務所を終えてもらう。枠の塗装、電気もLEDになり、そしてクロスと、タイルカーペット、幅木も薄い色に変わった。LEDになって、すごく明るい。そしImg_1413て床も、壁もきれいである。

 今日は、2階から引っ越しの仕事である。京都同人が2名、力仕事Img_1415に励んでもらった。ありがとうございます。取り合えず、事務所の仮住まいは、10日間で、解消された。

 まだ1室が終わっただけ。これからも作業は続いてく。そして、その度に移動も伴うので、4月半ばまでは落ち着くことはないだろう。

 3階から4階にかけての足場も完成した。まずは階段や廊下のクロス張り替えだ。そして2階教室の天井が音を吸収する素材になる。懇親会で声が届かないのも少しは解消されるか。

事務所のビフォー・アフター
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お見舞い

   高山法座に出かける直前、京都同人から電話。「Mさんのこと聞きましたか?」。Mさんの緊急入院のことで、驚きと、動揺が伝わってきた。彼女は、先日の輪読法座にも、日曜日の講習会にも参加され、いつものように発言されていた。常々、会館での法座、たとえば、輪読、日礼、京都支部などの信仰座談会では、いつもその輪の中心におられる方である。ご法も積極的に勧めておられて、京都の方は、お世話になっておもらる方が多い。日頃、無常と聞いていても、存在が遠い人なら何も感じなくても、身近な方ほど、突然の知らせに、皆さん、驚いておられた。

 治療が始まる前にと、夫婦でも自宅近くの病院にお見舞いに行った。

 第一声。「無常と聞いていたけれど、分かってなかったですわ。ほんとうに突然、ドーッとやってきました」と、身振り、手振りを交えて話された。

 ぼくも一言、「ほんとうに仏説まことですね」と、お声をかけた。

 今年になって、インフルエンザで体調崩されていた。それから、グズグズと体調不良が続いていたが、それでも法座では相変わらずのMさん節を聞かせてくれていた。でもあまりにも不調がないので、検査に行き、念のために撮ったMRAの結果、即入院となったようだ。本人も家族も、まったく予想もされていない結果だ。診断書に「もうハッキリダメと書いてありますわ」と、少し力なく笑われた。そこには、膵臓、肝臓、そして脾臓の腫瘍と書かれていた。ステージ4で、外科の手術は施せない状態だというのである。「まだ余命宣告はないけれど、先生は、はっきり言われますわ」と、笑いながらいわれた。そしてそこからは、いつものようなMさん節か炸裂。仏法のこと、家族や同人の皆さんの思いなど、不満や愚痴を交えて滔々と尽きることがなかった。

 仏法を喜ぶ身であっても、凡夫の情として驚くばかりだ。でも、同時に、「仏説のまこと」と私自身の不実も教えられる。実際、こんなことを目の当たりにても、これはベッドに横たわるMさんの問題であって、ぼく自身の無常ははるかに遠くにおいている。まさに無明。この麻痺した無自覚さこそ、迷っている身の恐ろしさである。南無阿弥陀仏
 

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高山支部法座~ボーと聞いてるんじゃねえよ~

Img_1386 高山支部法座。高山からは講習会のお参りがなかったので、「総序」をテーマに3席のご法話。

 冒頭は、なぜ、これを取り上げるか、その主題を話した後、『教行信証』と聞いて、思い浮かぶことをお尋ねした。そこから、教・行・信・証・真仏土・化身土の六巻の構造、そして五願の関係など難しい話になった。

  やはり座談会の感想の中には、「難しかった」という声が多かった。そのなかで、理解できない自分を責めて、先生からも「ボーッと聞いてるんじゃないよ」と叱れたようだったと、涙で落ち込んでおられた方あった。それに対して、「そんな愚か者だと聞かせてもらうのだ」というアドパイスがある。確かにそうではある。でも、それだけではないと想った。。

 「難しいから分からない」と歎くのも、「例話が身近で分かりやすかった」と喜ぶのも、実は根は同じではないか。難しい、易しいも、すべて基準が自分のところにあるからだ。聞法が、それで終わってしまったら聞いたことにならない。

 確かに、難しい話もあれば、分かりやすい身近な法話もあるだろう。教義にな関心のない方には、今夜の話は、「難しい」で終わってしまう。しかしである。華光の法座は、講習会にしても、法話会にしても、単なる講演でも勉強会でもない。肝心なことは、その法話を通じて、ご講師が何を伝えようとされているのか、その要を受け取ることである。難しいとか、易しいとは、聞き手の力量に左右される。しかし、どんな法話でも、必ず主題があり、そして伝えたい何かがあるのだ。今夜の法話なら、なぜ、これを取り上げるのか。その意図は何かを、時間かけてかなり詳しく話している。つまりは、親鸞聖人が、『教行信証』を顕して、「浄土真実」として声を挙げねばならなかったお気持ちをお伝えしたかったのである。

 法話の聴聞といっても、ただ言葉を聞いてるのなら、所詮は、月を指す指を過ぎない。その指だけを捉えて、分かったとか、難しいとかで終わってしまって、真理の月を見ることがなければ、意味はない。

 その意味でも、愚かであろが、法義の知識がなくても、聞く力を身につけてもらうことが一番、意味のあることなのだが、なかなかそのことを身をもって理解してくださる方が少ないのが、現状。まだまだ力量不足である。

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授記

報恩講で「授記」のことに触れた。「授記」とは、如来(師匠仏)から「将来必ず仏になるだろう」という予言(記別)されることだ。そして、誓願を立て菩薩としての修行を修めていくのである。釈尊80年のご生涯が、後に過去世にも拡大され、ジャータカのような前生譚が生まれてくる。そこでは菩薩行、中でも大乗の行である布施行を修める前生の釈迦菩薩の姿が強調されている。当然、物事には必ず出発点がある。いろいろある前生の説話の中で、どこが最初の出発点なのかというと、前世での青年(スメーダ、後の釈尊)が、燃燈仏という如来に出会って供養し、記を授かったところから始まるのである。「釈迦菩薩」の誕生である。この時のお出会いシーンは、インドや中央アジアで「燃燈仏授記」として絵画や彫刻の題材となる、たいへん有名な逸話である。

この釈尊と燃燈仏の出会いは、『無量寿経』では「世自在王仏と国王法蔵(後の法蔵菩薩)」出会いということになる。その世自在王仏に遡る(下る場合と、遡る場合もあるが)五十三仏の出現にある。その時の初めの仏「錠光如来」は「燃燈仏」のことであることから、その影響がわかる。

いずれにせよ、仏様に出会って心が震え、その仏様を供養し、その師匠仏のように成りたいという菩提心(発心)を起こし、誓願を立て、菩薩としての行を修めることが、出発点である。仏様との出会いこそがそのほぼすべてだといってもいい。

そのために、釈尊亡き後の人々は、どうすれば仏様に値遇(もうあ)うことができるのか。時代(三世)と空間(十方)に拡げて、今、まさに活動しておられる仏を求めることになる。それが西方極楽浄土にあって、今、まさに説法されている阿弥陀如来である。そのために、見仏、観想する行が盛んとなる。または、死後に浄土往生して、阿弥陀如来にお会いし、その浄土で菩薩行を修めて仏と成っていこうというのばもそうだ。

ところが、善導様によって一大転回が起る。こちらからお会いするのではない、向こうからやってきてくださるというのだ。それが南無阿弥陀仏である。見仏から称名、念仏が、見ることから称えることへと一大転回するご教示た。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀様の「お前を必ず仏にしてみせる」というお誓いである。しかも、それは願だけでなく、同時に行も備わっている。願行具足の「南無阿弥陀仏」だというところまで教えてくださった。

末代の私達は、いまこ「南無阿弥陀仏」として仏様にお出会いさせていただくのだ。それを、「南無阿弥陀仏」に出会った先達を通して、教え頂き、出会わせてもらっているのである。その出会いに心震え、聞法の場に踏み出せていただいことが、私の聞法のほぼすべてだったといえるのもしれない。南無阿弥陀仏 

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放浪の旅

   工事の打ち合わせと並行して、引っ越しの準備も進んでいる。2月末で事務所が2階の教室に引っ越し、次週には1階の庫裏部分が道場に荷物を運び入れ、3階での仮住まいが始まImg_1370る。その後も各部屋のクロスや床の進捗に進んで、隨時、移動が続く。

 昨日、1階の事務所からすべてが撤去された。

 行き先は、2階の教室である。逆に、教室にはものが溢れている。もうひとつは、畳がなくなった道場に、1階のものが集まっている。電灯をLEImg_1385_Dに変わる工事あるので、そこは空けて合間、合間に荷物をおく。

 教室は、ネット環境が整っていなかったので、まず配線工事から始めて、1階に這っていたImg_1384ケーブルも工事してもらった。以前は、素人の方(自称はプロだったが)に頼んで、すぐに垂れ下がったきて醜かったのだ。

 もう工事が始まっているが、これまでは修繕工事のための準備工事である。いよいよ今日から、修繕工事が始まった。しばらく大変である。 

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