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仏書に親しむ会~一歩出よ~

 『非僧非俗のこころ』の最終回。1章ずつ細切れではなく、少しまとまった形で読むことにした。
「大悲の呼び声」~「どこに華開くのか」~「宝海の大きな働き」そして「大きな使命」と、最後に「追記-増井悟朗先生の言葉」までである。

 最後のところに、「自分の中だけで喜んでいるようでは、やっぱりダメです。華光は華光を出なアカン。かりもんはかりもんを出ないとアカンと思います。それだけのものを聞かせてもらった。流れを汲ませてもらった者の使命があると思います」とある文を巡って、「出るということはどういうことですか? 説いていけということですか」との質問。そこを皆さんと分かち合う。

 この小冊子、タイトルとは別に、あっちこっちに「一歩出よ」と書かれている。何かを得たり、体験や経験をすると、すぐにそれを取り込み、またそこに胡座をかいて留まってしまう。安定したいのが私の自性である。つまらない体験ほど、後生大事にしたいのである。だって、そこを手放すと恐いものね。何もないから、、。だから必死なって防衛する。でも、そんなものは何の役にも立たない。そこをに破って聴いていけ。

 阿弥陀様は、仏の座を捨てられた。仏の座に安住しないで、一歩踏み出しされて、法蔵菩薩と成り下がってくださったのである。そのお心に触れて喜ばせてもらったというのなら、常に前に進むのが当たり前ではないのか。

 まさに、百尺竿頭に一歩を進む である。

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