講習会~三つの序と聖人の名のり
工事関係で、どうなるか心配した「講習会」だったが、無事終えることがでた。丁寧に講義プリント(B5サイズで計24枚)を作って臨んだが、個人的には、期するところがある収穫の大きな集いとなった。
今回の講習会は、『教行証文類』の冒頭と最後、そこに間の序と、「三哉」や「愚禿」の名告りの部分だけを読むという、まるで「キセル」のような講習会であった。しかし、はっきりとした目的はあった。
一つとは、難しいと敬遠しないで、浄土真宗の根本聖典である『教行証文類』に親しむきっかけにしてほしいという気持ちがあった。それには、聖人の信仰体験告白の色合いが強く、ご自分を開いたおられる箇所に触れていただくのが、華光の方には一番相応しいと思ったからだ。
もう一つは、これは全体を通して読んでから最後にこの箇所を読むと、親鸞聖人がいちばん伝えかった『教行証文類』を顕さずにおれなかった、そのおこころがよく分かってくると思うのだが、逆もまた真なりで、そのお心、つまり一番の主題に触れたから読ませていだくのも、また意味があると思ったからだ。
とにかく、そのことは今回の一番の収穫だったと思う。
浄土真宗という形で親鸞聖人のところまで至り届いた来た真実のおこころをいただく。いかなるあざけりや非難があろうとも、浄土真宗を声に出して開闡せざるおえなかった精神の一旦にも触れさせていただけた気がする。
特に、昨年の講習会が、歎異抄の流罪記録で終わっているが、その記録と、聖人の後条で示される、直接の顛末は、まったくその精神において別物であることが、比較するとよく窺えた。親鸞様に流れている、法然聖人の追慕とご恩徳の深さ、真実が不当な弾圧をうける憤り、そして不思議にも真実の教えに出会えた喜び等々、ダイレクトに伝わってきたのだ。
そして、改めて先達のご苦労のおかげで、今、華光に集う私のところまで届いた志願の重さを身をもって聞かせて頂くこととなって、感銘も一入。南無阿弥陀仏
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