華光誌輪読法座
華光誌輪読法座、同じような顔ぶれだが、少しずつ新しい人が増えたりしながら進んでいる。
伊藤先生の『仏敵』の聞法旅行の法話から、「本願の実機に遇う」の後半。華光の特色である、「捨てものと拾いもの」について。三つの心(黒い心、暗い心、白い心(明るい心))などもでた。ここは知識で知るだけなく、体験的にお聞きしたいところである。捨てものの、暗い心を、厳しく問うこ法縁が少なくなってきた。
伊藤先生がそうであったように、本願に出会った喜びか、お同行からお同行へと伝わってきたことの尊さを想う。私は、自分だけが助かったらいいとう利己的な心しかない。その塊といっていい。その意味では、信心の世界とは真反対の奴である。しかしそんな泥凡夫の上に、南無阿弥陀仏の真実は光輝く。その凡夫の喜びを通じて、いやそこからしか仏法は伝わってこないのである。伊藤先生の獲信の場となった野口道場は、いまも道場としてあるが、残念ながらそこにおよしさんのお心は残っていない。それが華光に集う人達の信心として、いきいき息づいてきたとしたならば尊いことである。伝わってきた場所や組織ではなく、そういう人達が集い、ご法を喜び、語り合うそんな仲間がいることが有り難い。
たとえ10名でも、20名でも、そん念仏者が集ってくる以上、そこにまた次代の念仏者が育ち、相続されていくことを願わずにはおれない。まさに、連続無窮のお働きである。南無阿弥陀仏
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