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2019年2月の19件の記事

契約

修繕工事のための準備は始まったが、今日は、広島から工事の監理をM先生が来館されて、業者との正式契約をおこなう。合せて細々とした取り決めをした。今回は3社から見積りをとり、少しでも安くあがることを心がけた。皆さんからのご喜捨を無駄にすることのないように、専門家の立場からも目を光らせてくださった。

 しかしただ安いだけではダメで、しっかりした工事をしてもらわなければならない。細々とした決め事は多く、どこに、どの素材を使うのか。材料ひとつとっても、安くもできるし、高級にもできるのだが、それが何点も、何カ所もあるのながら、たいへんである。できれば、出来る限り安く、それでいて出来る限りしっかりと、またランクの高いものをお願いしたいのだが、それを満たすには素人では限界がある。M先生のアドバイスに助けてもらうばかりである。

 

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修繕工事始まる

 華光会館の大規模修繕工事が始まった。今から、12年前に、外壁の塗装や屋上防水などの修繕は行っている。が、内装の修繕は初めてである。

  たいへんである。フロアーごと、またブロックごとに引っ越しをしていかねばならない。事務所は、2階の教室に移ったが、まずはネット環境を整える工事から始まった。

 1階の庫裏の荷物は、2階の道場へ。そのためには畳の引き上げが一番最初で、開いたスペースに、1階や廊下の荷物をおいていく。工事は主に、塗装から始まり、電灯の撤去(LEDになる)、クロスと襖、タイルカーペットと畳という感じで、上から下に進んでいく。そのためには、引っ越した後に、工事が完了したところへとまた荷物を移動させていかねばならない。これが一斉ではなく、断続的に続くのである。

Img_1360 講習会が終わった翌朝、1番で、道場の畳と襖をすべて引き上げてもらった。また仮事務所のために、2階にもランケーブルが引く工事が始まった。

 工事は始まったばかり。これが2ケ月間続くことになる。
 
 その間に、細々として打ち合わせが続いていく。まさにテンヤワンヤ。

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講習会~三つの序と聖人の名のり

  工事関係で、どうなるか心配した「講習会」だったが、無事終えることがでた。丁寧に講義プリント(B5サイズで計24枚)を作って臨んだが、個人的には、期するところがある収穫の大きな集いとなった。

今回の講習会は、『教行証文類』の冒頭と最後、そこに間の序と、「三哉」や「愚禿」の名告りの部分だけを読むという、まるで「キセル」のような講習会であった。しかし、はっきりとした目的はあった。

 一つとは、難しいと敬遠しないで、浄土真宗の根本聖典である『教行証文類』に親しむきっかけにしてほしいという気持ちがあった。それには、聖人の信仰体験告白の色合いが強く、ご自分を開いたおられる箇所に触れていただくのが、華光の方には一番相応しいと思ったからだ。

 もう一つは、これは全体を通して読んでから最後にこの箇所を読むと、親鸞聖人がいちばん伝えかった『教行証文類』を顕さずにおれなかった、そのおこころがよく分かってくると思うのだが、逆もまた真なりで、そのお心、つまり一番の主題に触れたから読ませていだくのも、また意味があると思ったからだ。

 とにかく、そのことは今回の一番の収穫だったと思う。

   浄土真宗という形で親鸞聖人のところまで至り届いた来た真実のおこころをいただく。いかなるあざけりや非難があろうとも、浄土真宗を声に出して開闡せざるおえなかった精神の一旦にも触れさせていただけた気がする。

 特に、昨年の講習会が、歎異抄の流罪記録で終わっているが、その記録と、聖人の後条で示される、直接の顛末は、まったくその精神において別物であることが、比較するとよく窺えた。親鸞様に流れている、法然聖人の追慕とご恩徳の深さ、真実が不当な弾圧をうける憤り、そして不思議にも真実の教えに出会えた喜び等々、ダイレクトに伝わってきたのだ。

そして、改めて先達のご苦労のおかげで、今、華光に集う私のところまで届いた志願の重さを身をもって聞かせて頂くこととなって、感銘も一入。南無阿弥陀仏

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聖典講座・真身観(4)偏観一切色身想

(四)偏観一切色身想

「無量寿仏を観想するには、まずすぐれた特徴の一つを想い浮かべることから始まればよい。それには、眉間の白毫をはっきりと想い描けばよい。それが完成すれば、自ずから八万四千のすぐれお姿が現れるのである。
 無量寿仏を見たてまつれば、十方の諸仏方を見たてまつたことになる。そして、その諸仏方が目の前で、「必ず仏になるであろう」と約束くださる(授記)。このように観想することが、「広くすべての仏のお姿を想い描く想」(偏観一切色身想)第九観と名付ける。またこのように観想することが正観、そうでないものは邪観だ」。

◎念仏三昧(ざんまい)について
三昧=梵語サマーディの音写。「定」「正受」と漢訳。心を一処に止めて散乱せず、安らかで靜寂な境地。本来、念仏三昧とは、その靜寂の心に阿弥陀仏のお姿や功徳を思い観る観仏で、般舟三昧のこと。それを善導様は「称名念仏」ともとられ、さらに親鸞様は、本願を信じて、一心に名号を称える他力念仏のこととされた。

最後は、要点のみ。また、授記は項目を改めて、、。

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聖典講座・真身観(3)「仏心とは大慈悲これなり」

(三)仏心とは大慈悲これなり

「このように無量寿仏を観じたものは、十方の一切の諸仏を観ることができる。諸仏を観るから念仏三昧と名づける。この観を行うと一切の仏身を観ずるのだが、仏の姿を観るものは、その姿の上に顕された仏の御心が見える。その仏心とは、大慈悲である。それは生きとし生きるものを分け隔てなく救おうという無縁の大慈悲である。この観が成就すれば、来世には必ず諸仏の御前で、無生法忍というすぐれた悟りの境地を獲得する。だから、智者は明かに無量寿仏を観想しなさい。」

このなかでも「大慈悲」「無縁の慈」のお心は有り難い。

慈=衆生を慈しんで楽を与える(与楽)。原語マイトリーは、ミトラ(友)から造られた名詞で、友情のこと。一切の人々に対する平等の友情のこと。
悲=衆生を憐れんで苦を除く(抜苦)。原語カルナは、痛みや悲しみ。もともと「呻き」。苦に直面したものに対して自分の痛みのように同感し、救おうという働き。

龍樹菩薩(大智度論)は、三縁=三種の慈悲を説かれた。。

 衆生縁=凡夫が起こす限定的な慈悲(小悲)
 法縁=小乗聖者が起こす慈悲(中悲)
 無縁=仏が起こす無差別の慈悲(大悲)。縁故に囚われない平等、無量の慈悲。

ところが、親鸞聖人は、凡夫が起こす限定的な慈悲すら微塵もないと言われた。

 「小悲小慈もなき身にて 有情利益はおもふまじ         
  如来の願船いまさずば 苦海をいかでかわたるべき」(悲歎述懐讃・617)

阿弥陀様の無縁の慈悲以外に救われていく手掛かりはないんである。

 伊藤康善師の「大悲の呼び声」(3頁より)には、

「どうして衆生を救おうか。なんとか救うてやりたいと、無縁の慈悲をむねとして」

と歌われた。南無阿弥陀仏

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聖典講座・真身観(2)「念仏衆生 摂取不捨」

(二)次に、無量寿仏の光明についてである。
「また八万四千のすぐれたお姿があり、その一々に八万四千の細やかな特色があり、その一つ一つにまた八万四千の光明がある。
その一々の光明が、十方世界をくまなく照らし、念仏の衆生を摂取不捨してくださる。その光明・相好・化仏の詳細は説き尽くせないので、心眼を開いて明かにすべしだ。」

ここで大切な御文が、

「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」
(光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず)

である。これは浄土門の教えでは、金言といっていい一文だ。「空で覚えてください」と皆さんに申した。

「摂」は、多くのものを取って離さない。「取」は、しっかりもって離さない。「捨」は、持っていたものを手放すことなので、「不捨」はその強調の否定である。要するに、念仏する衆生を大悲の光明に摂め取り、決して捨てられないのが阿弥陀様のお救いだという「摂取不捨」について述べられている。

▼それについて、善導大師は、「三縁」(阿弥陀仏が、念仏の衆生を摂取する三種の深い関わりのこと)ということを述べられた。
(1)親縁=衆生が、口で仏名を称え(称)、身で仏を礼拝し(礼)、意で仏を念ずる(念)時、これらを仏も、聞き、見て、知り、衆生と仏とは互いに憶念しあうという密接不離の関係にあること。「彼(阿弥陀仏)此(行者)三業、相ひ離れず」。
(2)近縁=衆生が、仏を見たいと願えば、目の前に現われる近い関係になること。
(3)増上縁=衆生が名号を称えれば多劫の罪を除き、命終の時、仏は聖衆と共に来迎し、罪業の繋縛に障妨されずに往生することができる。
 親鸞様は、すぐれたご因縁のことで、衆生の煩悩罪障に障り無く、自在に救う阿弥陀仏の無碍に働く本願力と見られている。

▼また、法然聖人は『選擇集』第七章に、「弥陀の光明余行のものを照らさず、ただ念仏の行者を摂取する文」で述べられる。『観経』や『四帖疏』などを引用し、最後に私釈段では、1、善導様の「三縁」と、2、弥陀の本願にかなっているからだ、という2つの理由あげておられる。(余談ながら、これにもとづく他の行者が救済がもれた絵画などが造られ、専修念仏の弾圧に拍車をかけることになる)。

▼また、源信僧都の御文も、親鸞様は『正信偈』や『高僧和讃』に転用されているのが有り難い。

「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、 大悲、倦(ものう)きことなくして、常にわれを照らしたまふといへり」(『正信偈』)

▼その親鸞聖人は、

「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」(『浄土和讃』)

と、その摂取に、「摂(おさ)とる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへ取 るなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」(国宝本『和讃』)と左訓されている。

これはご文だけでなく、有名な庄松同行の摂取不捨の逸話でも味わった。

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聖典講座・真身観(1)~なんと大きな阿弥陀様だが…~

 定善十三観もいよいよ今回は、その中心である第九観の真身観である。顕(表)の立場からは本経の中心となる観法だ。善導様は、第八観から正報観(阿弥陀仏や聖衆方の観法)となると御覧になられた。しかし直ちに阿弥陀仏を真観するのは難しいので、その前段階として御仏の姿を写した仏像を観じる仮観(方便観)が説かれた。「黄金に輝く仏像が、極楽の七宝の蓮華の上に坐しましますのを、はっきり観想する」という像観が成就したら、いよいよ阿弥陀仏のお姿と光明を観察するのである。

(一)まず無量寿仏の身相(お姿)である。
「身は、黄金に輝き、身長は六十万億「那由他」(一千億)「恒河沙」(無量)「由旬」(七㎞)
 眉間の白毫は、右にゆるやかに旋り、大きさは五つの須弥山(=一世界)。
 仏眼は、大きさは四大海水のように広く、青白澄みきっている。
 毛穴からは光明を放ち、須弥山のように大きい。
 円光=頭の後ろの光輪(頭光)は、百億の三千大世界の大きさで、その中に百万億那由他恒河沙の化仏があり、無数の化菩薩が付き従う。」

◎とんでもない大きさである。天文学的数量というが、ある意味でいま理解されている宇宙規模を超えているといっもいい。しかしここで観想される阿弥陀様は、報身仏か、方便化身かという問題がおこる(仏身報化論)。確かに、人間の理解を遥かに超えた天文学的数量でも、数字で限定された有限で、方便化身だというのが、親鸞様のご理解だ。

「謹んで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の 仏これなり」(化身土巻)

 一方で善導様は、報身仏だと見られているのだ。
        「これ報にして化に非ず」(玄義分)

  これは、親鸞様が『観経』に隠顕(顕は自力方便、隠は他力信心)があり、まずは顕説(経典の当面での理解)の立場で見られたものである。化仏とは、仏が教化の対象になる衆生の能力に応じて、理解できる姿で変化されたものをいう。しかし、隠密(隠された真実の立場)では、この後に続く衆生を「摂取不捨」される光明のお働きを重視されて、報身仏(光明無量・寿命無量)であると味わっておられる。

また、次いで仏身についての経緯として、「色身」(生身)と「法身」という二身説から、私達になじみの「三身説」を窺ったが、詳細はここでは省略する。
 法身仏(無始無終)-無色無形・真如そのもの(浄土和讃55首)
 報身仏(有始無終)-阿弥陀如来の如し   (浄土和讃3首)
 応身仏(有始有終)-釈迦如来の如し  (浄土和讃87・88首)

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この世のことはなんとでもなる! ?

修繕工事のための2回目の打ち合わせ。監理のM先生と、施工業者を交えた相談。個別に、それぞれの担当の業者が次々と出入りされていく。照明や電気工事関係に、給湯器の方、塗装屋、そして建具屋、畳屋、最後に、別件での電話やPC配線などなどである。

まったく一からの仕事ならば問題はないが、この場所で、事務活動や生活をしながらも、並行した全面改装をするのだがら、想像以上にたいへんなことになっている。床や壁をすべてやり直すとなると、すべてを移動しなければならないのである。塗装などは一度にやらねればならない。畳や襖は、ここでの作業なはいが、その間、外されてしまうので、使用が出来ないなる。講習会が終了した翌日に、道場の畳をすべて引き上げることは決まった。

1階の事務所は、2階の教室に移ることになったが、そのためにはPCの配線工事も必要になる。引っ越しも、いつどのタイミングで、どこにどのくらい収納できて、また動かねばならないのががわからないのだ。その間の荷物はどこにやるのか。まずは、業者が工事の工程を出してこければ、そのめどが立たない。とにかく不安である。もうすこし1階が短期で終わると思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。いやはやたいへんなことになってきた。

それでも、ぼくには「聖典講座」と、来週末の「講習会」の準備がある。講習会では、大きなテーマをあげてしまったのだ。工事の間には、華光誌の編集作業も待っている。3月、4月の華光会館での行事は、3月前半と、4月下旬を除いて、すべて中止となる。

どうなるのかわからないが、こんなとき、父の明言が生きてくる。

「この世(今生)のことはなんとでもなる。なんともならないとしても、なんとかなっていく。」と。

確かに、損したくないとか、しんどいのがいやとか、不自由なのは困るというだけの話で、失敗しようが、損しようが、ならなかったなりに、この命があるのならなんとかなっていくというのだ。しかし、ほんとうの一大事は、後生の解決。これだけは取り返しがつかないのだが、そこを後回しにするのが、転倒している迷いの姿である。

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華光誌輪読法座

  華光誌輪読法座、同じような顔ぶれだが、少しずつ新しい人が増えたりしながら進んでいる。

  伊藤先生の『仏敵』の聞法旅行の法話から、「本願の実機に遇う」の後半。華光の特色である、「捨てものと拾いもの」について。三つの心(黒い心、暗い心、白い心(明るい心))などもでた。ここは知識で知るだけなく、体験的にお聞きしたいところである。捨てものの、暗い心を、厳しく問うこ法縁が少なくなってきた。

  伊藤先生がそうであったように、本願に出会った喜びか、お同行からお同行へと伝わってきたことの尊さを想う。私は、自分だけが助かったらいいとう利己的な心しかない。その塊といっていい。その意味では、信心の世界とは真反対の奴である。しかしそんな泥凡夫の上に、南無阿弥陀仏の真実は光輝く。その凡夫の喜びを通じて、いやそこからしか仏法は伝わってこないのである。伊藤先生の獲信の場となった野口道場は、いまも道場としてあるが、残念ながらそこにおよしさんのお心は残っていない。それが華光に集う人達の信心として、いきいき息づいてきたとしたならば尊いことである。伝わってきた場所や組織ではなく、そういう人達が集い、ご法を喜び、語り合うそんな仲間がいることが有り難い。

  たとえ10名でも、20名でも、そん念仏者が集ってくる以上、そこにまた次代の念仏者が育ち、相続されていくことを願わずにはおれない。まさに、連続無窮のお働きである。南無阿弥陀仏

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広島廿日市での支部法座

福岡の家庭法座に続いて、広島での支部法座。一年に一度、廿日市での法縁である。

廿日市で開催するから、ぜひ参加頂きたい方もあったが、残念ながら不発に終わる。それでも、広島市内だけでなく、尾道や福山、安芸高田などの離れた地域からもご参加くださった。

しかも、今回、しみじみと尊く想ったのは、母と娘で参加された方が、3組あったことだ。そのうち、娘さん(しかも姉妹)がお母様を誘ってお参りくださった方が、2組である。しかもその両方が、そのルーツは熱心な祖母(もともとは華光ではなかった)ご縁から始まる。それが、隔世遺伝(?)、母親よりも、その娘(孫にあたる)さんに、先に届いたところが有り難い。熱心に家庭法座を開きお世話をしたり、または善知識に師事して聴聞に励まれていたという。その陰徳が、お孫さんの仏縁として華開いたのであろうか。

そしてそれが逆方向に、娘さんから母親へとの仏法が逆流するのである。その想いに応えて、参詣くださった母親のお心の尊さを想う。今は、ご縁のところではあるが、その方の参加を皆さんが喜び、そして長老が拝まれた姿が尊かった。頭から「聴け聴け」といわずとも、何か大切な想いが伝わったと感じさせられた。

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県立広島美術館~サヴィニャック展~

Img_1356 午前中、県立広島美術館まで歩く。広島駅からなら1キロほどだが、ホテルからだともう少しある。ひろしま美術館には行くことがあるが、こImg_1314こは縮景園に行った時に通っただけで,初めてだ。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-4de3.html

 今日まで、サヴィニャック~パリにかけたポスターの魔法展を開催していた。
  http://www.hpam.jp/special/index.php?mode=detail&id=194

Img_1324 サヴィニャックという名前を、ぼくは知らなかった。が、その作品には、これまで何度も目にしImg_1322たものがあって、驚いた。知らぬ間に、彼の作品が身近にあったらだ。「パリにかけたポスターの魔法」という副題があるようImg_1345に、フランスで、広告ポスターを一新させた人物。ダンロップ、ミシュラン、シトロサンのImg_1323ような世界的有名企業に、タバコ、アルコールに、数々の食品、石けんや毛糸などのさまざまな雑貨、日本の企業でも、森永製菓や「としまえん」などのポスターがあった。誰もが馴染みになっているビックボールペンのキャラクターも彼の作品。鮮やかImg_1347な色彩、ユーモアに満ちたみ表現に、なによりも抜群にセンスがいい作品ばかりで、Img_1348楽しかった。巡回箇所は5~6箇所と少なめだが、全国巡回展なので、充分見応えもあった。

 常設展もなかなか充実していた。小さな特集として、写真家マン・レイの世界観と、Img_1329菅井汲の展示。やはりぼくは知らない人。菅井汲の作品には、心ひかれるものがあった。

 後、広島出身やゆかりの画家などの作品も多かった。
Img_1336
≪写真OKの作品。文殊菩薩との問答で有名な「維摩経」の維摩居士。ただし中国の道教風≫
Img_1315
≪隣の縮景苑は、梅が咲きかけ。美術館からの眺めも美したかった≫

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57歳

Img_1309福岡法座は夜座はなくて、しゃぶしゃぶ「あり田」での懇親会になる。

お参りは多かったが、懇親会への参加者は少なく、また酒を飲みのも4名だけだったが、おいしい料理を頂き、またずいぶん飲酒(おんじゅ)の罪を犯し、盛り上がった。

宴たけなわで、突然、電気が消された。「あれ?」と思ったら瞬間、Img_1300ハッピーバースデー トゥー ユー~~」の歌声。いや、こんなの久しぶりです。誕生日前後に、仏青研修会があった頃は、こんなこともありましたがね。はまったく予想していなかったサプライズでのバースディー・ケーキ。3時間ほど早かったですが、Img_1357びっくりしました。それにしても、ちょっとロソークは多すぎかなと、、。

翌々日帰宅したら、今度は連れ合いからのお祝い。こちらは、ちゃんと57本。

誕生日の前と後でしたが、お祝いうれしかったです。ありがとうございます。

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福岡家庭法座~今、目の前いるあなたに~

博多での家庭法座である。1月と7月の年に2度、会計事務所と、自宅での法話会を持ってくださっている。今年は、2月の連休中の開催。

この家庭法座が始まって、丸10年が経過したという。2009年で、悟朗先生を招かれたのが、初めての家庭法座。その後、体調が悪くなってからは、小生がお世話なっている。

事務所で昼座は「人生の実相」と題した法話。翌朝はY先生が1座されたが、王舎城の悲劇を『観経』に沿って、特に韋提希夫人のお救いに焦点を当ててご法話くださった。愚痴の女人のお救いである。最後に、昼座では、「苦悩の有情」のお救いを、3つの身近で起った具体的な例話でのてお取り次ぎ。老・病・死に、愛別離苦、怨憎会苦の実情を話した。事前に、打ち合わせをしたわけではないが、結局、阿弥陀様の真実の眼に写った、アミタ様本願に願われている機無(私の側に真実のかけらもない)の実際を聴いてもらったことになった。助かる手がかりを微塵もないわが身に出会うことが、同時に阿弥陀様に出会うことでもある。

最後の座談会、10年前に、悟朗先生にご示談を受けたIさんへのアプローチする。もう80もすぎ、すっかり耳も遠くなって、ほとんど法話を聞き取れない。ますます自分の殼に閉じこもって、同じことを繰り返されるだけだ。自分の後生の解決は阿弥陀様におまかせで、自分ではどうしょうもないので、ただ毎日、お念仏を申して頼んでいると。それでも、唯一の願いは、自分が父親から仏法を聞くようにお育てをいただいたように、なんとか長男に浄土真宗の伝えたいというのだ。どんなに丁寧に、またゆっくりとアプローチしても、最後は自分の思いと願いに帰っていかれる。もう自分の思いや気持ちにしか心はよらない。ならば、そこを変えさせるのでも、手放されるのでもなく、逆手にとってアプローチをした。「なんとか伝え、聴いてもらいたい」という親を願いは、それは阿弥陀様も同じ。決して不特定の十方衆生にかかっているのではない。それは、いま、ご示談をしているぼくの願いもまったく同じなのだ。不特定の多くの人に仏法を伝えたいのではない。たったひとりでいい。いま、目の前で苦悩しているIさんこそ聴いてもらわなければ、いままでも、またこれらかも仏法をお伝えしていく意味がないという気持ちを聴いてもらった。

心が動くことのなかったIさんの目から涙が落ちる。そして同時に「ありがとうございます」と頭をさげれらた。しかし、それは人間の言葉。阿弥陀様の御心に触れたなら、「南無阿弥陀仏」と申す以外に何もないのである。

最後は、お念仏と共に、尊い御座は幕を閉じた。南無阿弥陀仏

 

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仏書に親しむ会~一歩出よ~

 『非僧非俗のこころ』の最終回。1章ずつ細切れではなく、少しまとまった形で読むことにした。
「大悲の呼び声」~「どこに華開くのか」~「宝海の大きな働き」そして「大きな使命」と、最後に「追記-増井悟朗先生の言葉」までである。

 最後のところに、「自分の中だけで喜んでいるようでは、やっぱりダメです。華光は華光を出なアカン。かりもんはかりもんを出ないとアカンと思います。それだけのものを聞かせてもらった。流れを汲ませてもらった者の使命があると思います」とある文を巡って、「出るということはどういうことですか? 説いていけということですか」との質問。そこを皆さんと分かち合う。

 この小冊子、タイトルとは別に、あっちこっちに「一歩出よ」と書かれている。何かを得たり、体験や経験をすると、すぐにそれを取り込み、またそこに胡座をかいて留まってしまう。安定したいのが私の自性である。つまらない体験ほど、後生大事にしたいのである。だって、そこを手放すと恐いものね。何もないから、、。だから必死なって防衛する。でも、そんなものは何の役にも立たない。そこをに破って聴いていけ。

 阿弥陀様は、仏の座を捨てられた。仏の座に安住しないで、一歩踏み出しされて、法蔵菩薩と成り下がってくださったのである。そのお心に触れて喜ばせてもらったというのなら、常に前に進むのが当たり前ではないのか。

 まさに、百尺竿頭に一歩を進む である。

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東海支部法座~人生の実相~

新聞記事の関係で、早めにテーマ(演題)を出している。そのときは、「人生の実相」の気分だった。しかし1ケ月もたつと思いも変わる。読んだ本や阿満先生の講演などの刺激を受けて、法話といより、何か訴えずにおれない別の気持ちが動いていた。とはいっても、新聞を見てこられた方もあったので、テーマ通りで法話をする。

元日の修正会での法話でも話題にした、ルーマニアの昔話である。
人間は20年の寿命だったのを、ロバの寿命を30年、イヌの寿命の20年、そしてサルから寿命を30年もらった。100年に伸びて大喜びしていたのも束の間、万物の霊長としての楽しい時期は若い時だけで、その後、馬車ロバのように暑い日や寒い日、雨の日も関わらず、朝早くから夜遅くまで、仕事に勤しまなくはならなくなった。時に、過労死したり、精神的に追い込まれたりしながらも、粗食や貧乏に断えて必死に働いていく。その結果、40~50代ぐらいになると、家族も増え、自宅も持って、今度は、財産を護る生き方になる。犬小屋ような小さなマイホームを、泥棒に遭わないように、騙されないように、家族をとられないように、朝から晩まで心が休まるときがない。それでいて、家族という鎖につながれているから、その鎖の中での自由はあるが、そこから先は常に妻にコントロールされて帰っていかねばならない。そして、ロバの仕事を終え、イヌとして生活も終えて、やっと自由な身になったかと思うと、今度はサルのように腰は曲がり、若い者からバカにされるような老人になっていくというのである。

その老いの悲哀ということを、『ぼけますらかよろしくお願いします』という映画を通じて味わった。人事ではない。認知となり、すべて身につけて知識や常識、(羽栗先生の言葉を借りたら教養心)を剥がされ(この世に返す)時、後に残るのは、己の自性のみ。そこで、「なんでこんななってしまった。訳わからんー。もう死にたいー」と、気が狂ったように喚き、叫び姿が残るだげである。それは、認知になった老人の姿でも、親の姿でもない。まさに、一皮向いた私の姿、そのものであった。

仏法でも同じこと。聴いた、覚えた、わかった。体験も、念仏も、すべてこの世で身につけたものなら、この世においていく。裸で生まれたものは、見事に一文を身につけることができずに、死んでいくのである。そこに寄り添うのは、ただこの世で成した罪業だげである。それが私のほんとうの姿だとするなら、阿弥陀様は、そこでしか働いてくださらないのである。上辺の喜びやきれいごとではないところに、南無阿弥陀仏が響き渡っているのである。

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京都家庭法座~凡夫といふは~

凡夫というと、すぐに煩悩具足の凡夫、罪悪生死の凡夫という言葉が結びつく。罪深い、愚かな、どしようもない者というイメージだ。
しかし、もともと凡夫とは、仏道修行の段階で十地以上の菩薩、つまり聖者と区別して使われるものであった。

菩薩の五十二段の階位では、最初の仏道の初め、発心し歩みだす十信の位が「外凡」で、さらにの十住、十行、十回向が「内凡」とか「三賢」といわれる位である。ここまでは仏道を歩んでいてもまだ聖者ではない。そこから「初地」に入ると、十地位からが菩薩と呼ばれるようになる。広い意味では、仏道の始まりも菩薩ではあるが、厳密には「初地」からが菩薩で、そこから等正覚(弥勒菩薩)、妙覚と続いて、仏果を得るのである。

しかし、仏道修行の一歩も踏み出せないものはどうなるのか。善導様、法然様の浄土教によって、一大転換が起る。善導様は、『観経』韋提希夫人を、仏道修行に耐えられない、実凡夫(「汝是凡夫・心想羸劣」=「なんじはこれ凡夫なり。心想羸劣にして」と説かれる。「羸」(るい)とは、「やせる」「つかれる[とか、「よわい」「わるい」という意味)だと見られた。けっして、自力修行では仏になれないものに、他力の増上縁がかかっているのである。

さらに、親鸞様は、薄地の凡夫、底下の凡愚とお示しくださり、そしてこの御文で止めを撃たれた。

凡夫といふうは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえずたえずと水火二河のたとへにあらはれたり。『一念多念証文』

つまり、凡夫とは、無明煩悩が身に満ち満ちている私達のことであると。そこで、煩悩は恐ろしいのだが、ほんとうの迷いの元は「無明」である。貪欲(水の河)や愼恚(火の河)は荒れ狂って分かりやすいが、恐ろしいのは「愚痴」(風)の働きなのだ。愚痴こそ、三毒の煩悩の中でもやっかいなものである。その愚痴は、無明、つまり真実に暗く、明かりがない。迷っていることにも気がつかないほど、闇が深いである。つまり、単なる煩悩ではなく、「無明煩悩、我が身に満ち満ちている」、私はは無明そのものであるとみられた。それが、臨終の死ぬまで止まることがない。助かる手がかりがないものが凡夫の私だと、深く見つめられたのである。

ともすれば、「凡夫だから」との言い訳にしている場合ではない。迷いを重ねて、仏道修行を踏み出さない罪悪人だというのは、阿弥陀様の真実の眼で御覧になられた私の姿そのものであり、そこに命を捨て飛び込んでくださっているのだ。そこでしか、阿弥陀様にお会ういできないのである。

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南无阿彌陀佛

 同人の方が新しくお墓を建てるからと、「南无阿彌陀佛」の揮毫を頼まれた。

 本格的にお名号を書くのは初めてだ。しかも墓石に刻まれるとなると責任重大である。字体はきっちりした楷書で、「無」は親鸞聖人の使われている「无」、「弥」も同じく「彌」の字にした。

 長年、父に指導してもらっていきたが、師匠がすごいだけに、どことなく自信がない。それでいながら、実力以上にうまく書こうという計らいが起る。うまくいけていると思うと、途中で緊張し力が入ってしまう。それでいて、出来たと思って張り出して距離を置いて眺めてみると、そうでなかったりもする。その意味では、最初に書いたものがノビノビとした力強さがあるが、如何せん、一字一字のバラスンは悪い。後ほどきれいにまとまっているが、どこか力強さや勢いが消えている。並べて張り出すと、「南」はこれ、「无」はこれと、切り貼りしたくなるが、たぶんそうしても全体としてはバラバラになるだろう。

Img_1294 結局、始めの方(4~5枚目)に書いたものが気に入った。とりあえで、太めの物、小さめの物も含めて3枚に絞ってお渡しした。

 たった六文字なれども、六字の難しさをひさひしと感じさせられた。

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念仏者九条の会~憲法『第一章 天皇』と『第九条 戦争放棄』今、改めて問う」~(2)

Img_1292「憲法『第一章 天皇』と『第九条 戦争放棄』今、改めて問う」というテーマでの、阿満先生の講演の要旨の続き。 

 創唱宗教である浄土真宗も、たとえば死者儀礼いう面では、日本古来の自然宗教に呑み込まれている。死者=「仏」というが、その場合は、目覚めた覚者「ブッダ」という意味での「ブツ」はなく、「ほとけ」という。仏が「ほとけ」となったのに諸説があるが、そのひとつに、先祖を祀る器具である「ほとき」を由来するという。それを補完する形で仏教の法事が使われている。あの世に入き、三十三回忌を終えた「ほとけ」は、ご先祖になって子孫を護る存在になっていく。
 日本人に根にある祖先教を克服し、「ホトケからブツへ」という仏教や真宗の本来性を取り戻せるのかが、第一の課題である。

 事大主義を破り、超えていけるのは、法然や親鸞の示した浄土教しかない。しかし、教団は覚如、蓮如を経て、自然宗教に取り込まれていった。死者儀礼や先祖教が、寺や住職の役割となって機能している。
 また教団の中にも、門主制という天皇制を内抱している。血統で護られるのは、門主制だけでなく、各寺院も同じで、そこにも裏寺や下寺の関係、僧侶や寺族と、門徒との関係、特権意識が根深く浸透し、同朋精神が欠如している。
 各僧侶が自らの特権意識をどう向き合い、お西も門主制から門首制に生まれ変われるのかが、第二の課題である。

 法然や親鸞が示した本願念仏の道はまことに厳しい。しかし、阿弥陀如来は遥か彼方のお浄土で鎮座されているのではない。どのような形で姿を顕されるのか?私の称える「南無阿弥陀仏」として顕れてくださる。どこでも、誰でも、称えられるからこそ、普遍性をもつ。阿弥陀仏が、私の中で働いてくださっているのだ。称える時だけ存在するといってもいい。それが凡夫の中にも少しずつ少しずつ蓄えられている。なかなか凡夫は変われるものではないが、徐々に変わっていく。その時二つのことに気付かれる。
(1)人と自分との違いを認められる。親の愛情といっても、エゴの自己主張にすぎない。尊重する。宿業が違うことに気付く。
(2)同時に、共通点もある。共に凡夫。共に「アホ」ということ。
 天皇といっても、門主といっても、同じ凡夫に変わりはないのに、血統を崇めて特別視するのはおかしい。

  厳しい道でも、本願念仏のみが現状破る唯一の道である。法然も親鸞も、二十名ほどの念仏する人がいることがすばらしいと。法を説くのは僧侶、門徒は聞くだけというのは間違い。たとえ5~6名でも、声を出しあえる念仏者の集いを大切にしていく。真宗念仏は大集団向きではない。そのような小集団がたくさんあって、連帯しあうことが大切てある。これは、念仏に生きる道を見い出したものの使命である。ひとりの力はしれている。人寿もたかだか100年足らず。六道輪廻の迷いの歴史を考えても、もっと長い尺度で歩んでいく。その志願をImg_1289次々と(この言葉はなかったが、連続無窮ということ)つないでいくことが大切である。

 てなことかと思います。まだ過激な発現や表現もあったけれど、この程度が、ぼくがメモった内容。隣の連れ合も何か書いていたので、何をメモしたのかと覗くと、こんな落書き中。これが一番面白かった。

 もちろん、異論(お念仏の理解や成長の部分)もあるけれども、すごく刺激をもらった。ここ5~6年、念仏者九条の会にでているけれども、いつもきな臭い、まなまなしい話ばかりだったが、初めてお念仏の話が聴けたのがよかった。同時に、わが身のこれまでの歩みや、華光や真宗カウンセリングでの目指してきたことに共感する部分が多くて、力をもらいました。感じたことをじっくり温めていきたいですね。

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念仏者九条の会~憲法『第一章 天皇』と『第九条 戦争放棄』今、改めて問う」~(1)

 聞法会館での本願寺派の念仏者九条の会と大谷派九条の会、そして真宗遺族会の合同全国集会に出席する。

 講師は、明治学院大名誉教授の阿満利麿氏。これまで何冊か阿満先生の著書を拝読しているが、法然聖人や『歎異抄』テキストなどの著述もある。今回は、「憲法『第一章 天皇』と『第九条 戦争放棄』今、改めて問う」というテーマでの講演とシンポジウム。

 だいたいこんなふうに聴いた。

 敗戦後、米国(GHQ)は、象徴天皇制を利用して統治支配を行った。だが先の大戦が天皇の名の元で始まり、侵略されたアジア諸国には脅威が続くので、天皇を護るために、第九条の戦争放棄、つまり軍隊を保持しないことを、その担保にしたという。つまり、第一条を補完するための第九条だったというのである。

 天皇は、歴史の大半において象徴的に位置づけられてきた。だが象徴だといっても、必ずしも政治的に中立だといはいえず、政治制をはらんだもので、それを支配者は都合よく利用してきた歴史がある。しかも、世襲の血族支配(しかも男系)を根底とする制度を、統治の中に組み込んだままのカリスマ支配は、被支配者に、思考を委ね従属する構造を含んだもので、国民個々の主体性を阻害する制度である。

 しかしながら、戦後も一貫して、多くの知識人においてすら、天皇制は問わない(問えない)問題であった。また敗戦直後も今日も、国民の8割以上が天皇制を指示し、廃止や見直しは8%にも満たないという調査結果がでているという。

 今日、天皇の役割の一つは、動き回り、慰霊するというものがある。戦争や災害などで慰霊せねばならない人間を産んだ後ろめたさがあるからだ。慰霊そのものは宗教ではないが、念仏者からみれば到底認められない行為であるといわねばならない。

 敗戦直後、柳田国夫は、その背景には島国根性があるといったという。その一つは、あの人たちにまかせておけば間違いない、そして二つ目が、群に従う性質。それを事大主義といわれた。事大主義とは、大きなものに仕える、権力者の言いなりになり、力をもつと威張り、弱者差別していくという。

 事大主義の根深い背景には自然宗教にあるという。
 一般に宗教は、「自然宗教」と「創唱宗教」に分類できる。自然宗教とは、分からないうちに始まるもので、教祖もなく、聖典もない。自ら信仰しいるという自覚もなく取り込まれていくものであって、日本では、個人よりムラ単位で、また年中行事に取り込まれて、書かれざる経典をもっている。習俗や年中の習慣の中に紛れている。

 それに対して、「創唱宗教」は、始めを唱える宗教で、教祖があり、教義がある。ここで詳しく、日本での年中行事に取り込まれた自然宗教のあり方(例えば「お年玉」の「たま」とは何かとか、現世とあの世の関係との話かあった)の例話が出された。

 ところで、日本の神道は、自然宗教であるが、創唱宗教の側面もあって、その中間に属する厄介もなのだ。神は姿を顕さず、その神を祀るもの、神の声を伝えるものがパワーをもつ。それに対して、日本仏教は儀礼の面で、自然宗教の手助けをして取り込まれていった。 

 さらっと触れるつもりだったが、思わず長くなった。ちょっと小休止(続く)

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