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聖典講座・真身観(4)偏観一切色身想

(四)偏観一切色身想

「無量寿仏を観想するには、まずすぐれた特徴の一つを想い浮かべることから始まればよい。それには、眉間の白毫をはっきりと想い描けばよい。それが完成すれば、自ずから八万四千のすぐれお姿が現れるのである。
 無量寿仏を見たてまつれば、十方の諸仏方を見たてまつたことになる。そして、その諸仏方が目の前で、「必ず仏になるであろう」と約束くださる(授記)。このように観想することが、「広くすべての仏のお姿を想い描く想」(偏観一切色身想)第九観と名付ける。またこのように観想することが正観、そうでないものは邪観だ」。

◎念仏三昧(ざんまい)について
三昧=梵語サマーディの音写。「定」「正受」と漢訳。心を一処に止めて散乱せず、安らかで靜寂な境地。本来、念仏三昧とは、その靜寂の心に阿弥陀仏のお姿や功徳を思い観る観仏で、般舟三昧のこと。それを善導様は「称名念仏」ともとられ、さらに親鸞様は、本願を信じて、一心に名号を称える他力念仏のこととされた。

最後は、要点のみ。また、授記は項目を改めて、、。

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