« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019年1月の23件の記事

第43回講習会の勧め

同人会ニュースを発送する。その中に、2月の講習会と、3月の春の仏の子供大会の案内を同封したが、今は、2月の講習会のご案内です。 

『教行信証』三つの序と聖人の名告り
                                                                             
『教行信証』は、正しくは『顕浄土真実教行証文類』と言われる浄土真宗の根本聖典です。その教義はたいへん深く、難解ですが、一方で単なる教義書に留まらず、聖人自らの内省告白が綴られた信仰の書でもあります。その中から、総序、別序(信巻)、後序(化巻)の三つの序に加えて、親鸞様が「愚禿鸞」などと、自ら名告(なの)っておられる箇所を中心(信巻と化巻の三願転入の計5ケ所)に、そのお心を頂きたいと思います。
 もちろん単なる勉強会ではありません。お聖教の言葉を通して、わが信を問う講座でありたいと思います。それで一方的な解説だけではなく、皆さんで共に声に出し味読して、親鸞様のお心に深く触れられるならばと願っております。難しそうだと敬遠されず、どうぞ奮ってご参加ください。お待ちしております。合掌

【参加要項】                          
■日 時:31年2月23日13時(受付)~24日16時30分
□会 場:華光会館(京都市南区西九条東柳ノ内町22・近鉄十条駅1分)
■講 師:増井 信師(華光会代表)
□参加費:8,000円(同人・学生7,000円)(1日参加は半額) 
■宿泊費:3,000円(宿泊代・食事は各自)+ 懇親会費500円
□〆 切:2月8日までに、華光会館へお申込み下さい。
■申込法:電話(075-691-5241番)・fax(075-661-6398番)
Eメール(keko-kai@mbm.nifty.com)・ HP(http://kekokai.com) 

|

内装工事の打ち合わせ

ある業者のトラブルから見積書の提出が大幅に遅れ、業者選定の時期もずれ込んだ。なんとか3社からの見積書が提出されて、やっと工事業者が決まった。

広島から監理のM先生が来館されて、業者の責任者を交えて、今後の打ち合わせである。改めて館内を回って、必要なところや新たに手を入れるところなどを見て回る。内装は講習会が終わった2月末から、外装は8月末から始まる。たいへんなのは内装工事だ。業務や生活をしながらの作業になるのだが、その間、事務所も、家財道具も一切を移動させねばならないのだ。各部屋の作業日数は限られているが、それでも移動の手間はまったく同じことだからだ。まだ詳しい行程が決まっていないが、引っ越しもしつつ、業務や生活もしながら、打ち合わせや工事が進んでいくのである。これらか綿密な打ち合わせも不可欠になってくる。

覚悟はしていたが、2月末から4月にかけて、いよいよ本格的な戦いが始まる気分である。

皆さんにご協力をお願いすることになるでしょうが、その時にはぜひご協力を!!

|

お別れ

 子供たちがブラジルに帰国する日が来た。

 ブラジルまでの直行便はない。フランクフルト経由で、飛行機を乗り換えて24時間もかかる。今回は、乗り換えまでの待ち時間が8時間。京都を朝5時30分に出発したから、それも含めるとは40時間以上の長旅である。

 ブラジルとの時差は12時(昼夜が反対)だけでなく、季節も丸まる反対で、今、真夏で、今年の南半球は猛暑らしい。

 二人の成長する姿に触れられたり、また資質の変わらない良さに触れられた2ケ月。いろいろと感じることも多かった。ご法の歩みはゆっくりではあるが、今、見守っていくしかない。南無阿弥陀仏

|

東京支部法座~外護の善知識~

今月の東京支部法座は、久しぶりに参加者が多かった。しかも宿泊者が多くて賑やかだった。今回、特筆したいのが、お世話人の活躍である。。東京支部は、行事毎にひとりの世話人を立てておらちれる。もちろんひとりでは無理なので、積極的に手伝われるから運営できるのだが、やはり進行の責任者はひとり必要だ。

それが、初めて、子育て中のママが担当くださったのだ。しかも宿泊もされた。そのため、3歳のお子さんと旦那さんもご一緒してくださったのである。2日間、法座の最中、旦那さんはお子さんを外に遊びに連れ出してくださったのである。

まさに、外護の善知識である。

すぐに自惚れて忘れているが、それぞれ法座に参加される方の背後にも、そのような外護の善知識のお働きのおかげで、ここに座らせていただている。そして目には見えないが、そこには仏様のいのちが捨ててあるという。何でもないこと、軽いことにしているが、法座で聴聞することは、たいへんな宿世のご因縁があったのだ。

|

梅と富士山と

Img_1248 週末は東京支部法座。

 今朝は寒かった。京都は雪が舞っている。こんな時は滋賀県内はImg_1267かなりの雪が降っている。それでもすぐに晴天となって、久しぶりにきれいな富士山を眺めることができた。1月末なのに、静岡県側から眺める山頂付近は、かなり雪がImg_1280少な目に見える。

 会場の途中の公園には、もう紅梅が咲いていた。林野会館の隣のお寺の梅は、小さな蕾を付けるだけだったが。それでも確実に春は近づいてきている。

 帰路も晴天で、品川から新横浜にかけて見える富士山が、夕陽の中に孤高の輝き放っていた。暗くて写真は無理だったのが残念。
Img_1247
Img_1251Img_1278
Img_1282

|

龍谷大学ミュージアム「仏教美術のいきものがかり」

Img_1200 招待券が4枚あったので、家族で龍谷大学ミュージアムへ。

 常設展だったので、これまでも見慣れた展示が大半たっだが、アImg_1202ジア仏教の展示は、釈尊の生涯やインドや東南アジアの初期仏教の姿が、視覚的に展示されているので、仏教理解の上でもなかなか面白い。それに日本の寺院で拝観する如来像とは違って、ガンダーラやシルクロードなどの、とImg_1210ても凛々しいお姿に触れること触れることもできる。
ただそれに比べると、日本仏教の展示はかなり寂しい気がする。

 今回は、特別展示で、「仏教美術のいきものがかり」と称して、涅槃図や仏教説話などだけImg_1217でなく動物の姿や神仏に寄り添う動物たちの像や絵画が集めてあった。
 もう一つは、仏教伝道協会の沼田先生の依頼による野生司香雪画伯の「釈尊伝」が展示されていた。インド政府から招かれて、サルナートの寺院の壁面一杯に釈尊伝を描かれているのを拝見しているが、それに比べると小振りだが、未完のまま遺作となったものだ。

 小さなことが、展示の説明のところの誤植が多くて、お母様の「摩耶夫人」を「摩耶無人」としている。たぶん「ふじん」というなのら「夫人」に変換できるのだが、「ぶにん」と読みならわすので、そのまま入力して「無人」となってしまったのだろ。

 本山にお参りして、ここで子供に念珠を買った。前は子供用だったが、もう大人のものである。
 
 マノアマノで遅いランチをした。子供たちが帰ってきている間にと思っていたのでよかった。二人を連れてきたのは2年ぶりなので、お店の方は二人の成長に驚いておられた。奥の蔵だったのがまるで自宅のようにに寛いだ。
Img_1215
Img_1214

≪向かいの伝道院の阿吽像も、いきものがかり≫

|

浅野屋洋食店

Img_1147 連れ合いの運転で、子供たちと母と一緒に、名古屋の浅野屋洋食店に向かう。

 

Img_1149 前のお店には何度も行っているが、昨年の移転以来、ぼく以外はみんな初めてなので、みんな楽しみにしていた。

 

 久しぶりの名古屋までの遠出を少し不安に思っていた母に配慮して、他にはどこにも寄らなかった。それでも、お店だけでなくお店の回りも見たいとのことで、少し早めに到着し付近をImg_1160散策した。みな、初めてのお店に興味津々だった。

 

Img_1162 今夜はお店を貸し切りにしてもらい、シェフのおいしい料理を堪能した。姪っ子が着物でお迎えくれたり、普Img_1163段は観られない調理場を見せてもらったり、七はシェフの被る帽子に興味を持ったりと、その後もずいぶん話が弾んだ。4時Img_1164半にはお店に着いていたが、帰宅は0時を回った。車中も終始や賑やかで、最初は消極的だった母も、久しぶりの遠出のドライブを、一番喜んでいた。
 
 この調子ならば、また名古屋へのドライブ程度なら、まだまだ大丈夫なようで、ひと安心。

 

 御馳走さまでした。(ご馳走の写真はメーンの前で終わってます)

 

 

|

仏青例会と新年会

 日曜礼拝が終わった後、久しぶりに仏青例会をもつ。

 子供たちが帰って来ている間に、1度顔を合わせをしてもらいたかった。

 高校生が2名、大学生と院生が4名と、正真正銘の青年会である。

 フリートークにしたが、けっして雑談ではない。むしろエンカウンター形式である。本人は気付かないが、言葉の端々に自分の気持ちが表明されている。それを受け取ってレスしていった。「お父ちゃんと一緒に分級座談なんてあり得なし」とか、「厳密にはまだ中学生やで」という言って、下の子が抵抗しているが、一番、多く口を開いたのか彼女であった。

 いま龍大で学ぶお寺のボンが、急な呼びかけなのに参加してくれたのが、うれしかった。そのまま、食事会というか飲み会に移ったが、彼が来てくれなかったら、またしても黒一点になるところだった。

 ゲームやアニメ、音楽と、年寄りにはついていけない話題も多かったが、みんないきいきとして楽しそうだった。第一、男の子も、女の子も、よく食べ、よく飲んだ。かなり酔っぱらった人もいたが、若いというのはいいよね。

 この先はどうなるかわからないが、まずはご縁をつなぐことができたようだ。

|

1月の日曜礼拝

 久しぶりに日曜礼拝の法話を担当する。

 テーマは、仏の子供大会にちなんで「感謝」である。感謝を言葉にすると、「ありがとう」ということにある。有ることが難い、有り難いというのが語源である。しかし、私達の感謝は都合がいい。自分本意で、自分に得になることや好きなことにしか感謝しない。例えば、人間関係でも、甘言の人は好きでも、苦言を呈する人は嫌う。そのことに感謝することはない。食べることでも同じ。食事の言葉には、「深くご恩を喜び、有り難く頂きます」とある。が、好きなもの、おしいものは喜んでも、嫌いなもの、まずいものは嫌っていく。それを喜んで頂くことはできない。ましてや、食べ物の頂いて、栄養を頂いて、そのなれの果てであるウンチになったらどうか。そのことに思いを馳せ、感謝することがあるのか。森山直太郎の「うんこ」という歌を聴いてもらって、そのことを味わった。

 昨今は、ビジネスでも、人間関係でも、「感謝を忘れてはいけない」「『ありがとう』と言い続けると必ず成功する」といった成功体験の書物も多い。しかし、そこからは絶対に「骨を砕いたり、身を粉にしたり」することはない。浄土真宗では、「報恩」や「御恩報謝」は言っても、自分の都合でする感謝とは別なのてある。

 悟朗先生からは、『「ありがとう」は、所詮、人間の言葉ですよ』と教えてもらっている。御恩報謝は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すことである。

 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

|

真宗カウンセリング研究会の世話人会

   新年度のパンフレットの作成の相談。

   代表のM先生と、もう一人の担当者と、ぼくの3名だけ。研究会のワークショップは彼と僕の2名だけでやっていて、運営はぼくが一人で担っているようなものだ。それでも、細々でも60年近く続いてきた。

 しかし「真宗カウンセリング」としての使命を果たしているかのかというと心もとない。なかなか先達の志(精神)を伝えていく難しさを感じている。力不足ではあるが、今年も地道でも、しかり活動を行っていきたい。

 

|

報恩講法座

    北海道気分がまだ抜けなかったが、親鸞聖人の報恩講法要の法座が始まる。浄土真宗ではもっとも重要な行事である。

 今年は若手講師の皆様が、法中として出勤くださり、また分級座談会でも活躍くださった。そしてご法話の4名のご講師のご法話も熱がこもって、とても有り難かった。 

 ぼくはいくつか例題をもっていた。一つは、今は「正解」ばかり求めていく「正解圧力」の社会で、その姿勢で聞法してはいかいなという問い、二つ目は、「授記」(仏様から「必ず仏にるだろう」と予言されること。メーンは、「独生・独死・独去・独来」の「独り」ということ、さらに今日の真宗が、易しいということを強調するが、むしろ難信であることを親鸞様は教えてくださっているということなどだった。

 最後の難信ということを、『大無量寿経』下巻にある釈尊の勧誡から頂いた。偶然、すべての先生方が「三毒段」のご文に触れてお取り次ぎくださったが、『大無量寿経』は下巻の「易往而無人」(お浄土は、往き易いのに、往く人が無い)という言葉から、一転する。そこまでは、弥陀の本願による「往き易い」浄土にについて、阿弥陀様のご説法だが、ここからは「人が無い」という釈尊の厳しいお小言が始まる。
 では、なぜ往き易いのに、往く人が無いのか。そのことを釈尊は勧誡段で

1、三毒・五悪の故に(三毒段・五悪段)
2、仏智疑惑の故に (胎化段)
3、遇善知識の難の故に(流通分)

の理由をあげておられる。煩悩に騙されてなかなか聴聞のご縁を喜ばず、やっと聴聞をするようになっても仏智疑惑に敗れずに真実に昏く、その最難関を厳しく指導くださる先生に遇うことがまた難しいというのである。

善知識にあふことも
をしふることもまたかたし
よくきくこともかたければ
信ずることもなほかたし  (浄土和讃)

 

|

冬の北海道(8)~荻原果樹園

Img_0784 今年の荻原果樹園は、雪が降って、あまり散策ができなかった。

 例年より雪が少なくて、半分程度だという。しかし、夏にはジンギスカンをする見晴台まではいけない。

Img_0926 毎朝、除雪車が来て道をつけた後、地域のブルドーザーが家の前の雪かきをしてくれて、車がださるようになる。

Img_0773 夜が晴れ間の時のほうが、朝方は冷えて、氷点下20度を下回る日もあるのだか、今年は雪が降っている分、気温は高め。子供は、百均でしゃぼん玉を買って、凍らす計画だったがうまくいかなかった。それでも、空気が澄んでいる分、いつまでも浮かんでいてきれいだった。

ながながとして北海道紀行文におつきないくださり、ありがとうございました。
Img_0782
≪↑これでも、例年の半分程度だという≫
Img_3584
≪↑寝室の窓をあけるとこのツララ≫
Img_0937
≪↑お別れ。この駅の線路で、義母の父は乗客を助け、殉死された≫

|

冬の北海道(7)~カムイスキーリンクス~

Img_0794 義父が、カムイスキーリンクスというスキー場にソリに連れて行ってくれる。
 近くにあるカムイコタンという景勝地を経由して、カムイスキー場へ。晴天ならば、果樹園からも見えるが、今日は視界が悪かったが、前回の冬にはよく見えていた。
 もっともみんなにそんな準備はなくて、雪遊びをする程度の軽装てImg_8369ある。それでも、荷物を抱えならがも、バイク型のソリはずいぶん楽しかった。最後は、リフトに乗って、コースも滑ったようだ。

Img_0813 子供たちがソリを楽しんでいる間、義父とゴンドラに乗って、頂上に登ることになった。どうも、そんな計画を練っていたらしい。スキーやスノボー客に交じって、おかしImg_0830な組み合わせだ。ここも海外からの観光客が多かったが、ほとんどが白人のグループ。オーストリア人(つまり今は夏)が多いと聞いた。

Img_0895 山頂は煙っていて視界は悪かった。後で考えると、たぶん山頂から果樹園の風景を見せたかったのではないか。石狩平野が一望できるというのだ。山頂のカフェでゆっくりコーヒーを飲んで、誰Img_0899も乗らない下りのゴンドラに乗った。樹氷がきれいだった。昼間でも氷点下10度を下Img_0901_2回っていた。

 帰宅後、深川駅前の今保羅(コンポラ)というカフェで、おいしいパスタを食べて、多度志にある一乗寺の殿平先生にご挨拶に窺った。Img_0911_3一昨年の夏の聞法旅行の御礼を言う。それよりも子供たちのブラジル話で盛り上がった。写真は、一乗寺のImg_0881自動鐘撞台。

ここまでは前回と同じコースだったが、後は、秩父別という町の温泉施設で入浴した。このあたりの町には、どこも天然温泉の施設がある。さすがにこのありりは海外の観光客はいない。秩父別町(ちっぷべつちょう)の「鐘のなる町」と掲示をくぐった時に、鐘が鳴った。確かに鐘のなる町だった。
Img_0785
≪↑カムイコタンは紅葉の名所。冬は閉鎖中≫
Img_0825
≪↑カムイの樹氷原≫
Img_0906
≪↑鐘のなる町秩父別≫

|

冬の北海道(6)~登別マリンパークニクス~

Img_0602  登別といえば温泉が有名だが、最近、3つのテーマパークが人気だという。

Img_0579_2 60年以上の歴史があるのが「登別クマ牧場」、太平洋に面した「登別マリンパークニクス」という水族館、その途中に、江戸期の街並みを再現した「登別伊達時代村」がある。なぜ北海道に時代村か。明治の初め、仙台の伊達家の武士がこのImg_0593地を開拓し、それが伊達市の始まりだという。それなら開拓村が相応しいのだろうが、それでは海外の人には受けないのだろう。全員一致で時代村はパスし、水族館に決まった。

Img_0720 西洋風のお城の建物に、雰囲気のあるエントランスから、水槽を見下ろしながらエレベーターで上がり降りて来る構造。頭から期待はしたが、Img_0688展示はかなりこじんまりしたもので、少し寂しい。誰の趣味かわからないが、Img_0712魚とは関係ない陶磁器のコレクションがあったり、ちょっと不思議な雰囲気だった。

Img_0721 笑うアシカのショー(ぼくは恐かった)やベンギンの散歩を見た。地味な水槽が多いが、案外、珍しいカメとかカエル系がウケていた。午後からImg_0725回るには手頃な広さで、早めに切り上げて深川の連れ合いの実家へ。

Img_0584
Img_0599
 登別から深川までは、京都から金沢までのの距離だという。そう聞くとかなり遠い気がするが高速だとスムーズだ。夜の雪道を心配していたが、雪も少なく順調に進んだ。途中の景色は北海道という感じ。いずれも車窓からの写真
Img_0748_2
Img_0756

|

冬の北海道(5)~クマ牧場

Img_0573 翌朝は、ホテルの目の前にある登別の熊牧場。駐車場からロープウエイ(ゴンドラ)に乗っていく。好天で眺めがいい。ときおり魚が干さImg_0470_2れているゴントラとすれ違う。熊のエサになる鮭トバを作っているという。ぶら下がった鮭が空中を漂う姿は、なんとも面白い。

 熊牧場と聞いて、冬は閉鎖されていると思っていImg_0482た。熊は冬眠しているからだ。しかし、クマ牧場(ここ以外も)熊は冬眠をしない(ささない?)という。ほとんどが園で生まれたヒグマだそうだ。

Img_0484人間のオリのゾーンへ。オリといっても、アクリルのドーム状に両サイドにクマがいて、そこにエサを投入する筒がれり、人間がくるとエサをもらえるのが分Img_0486かって、クマがそこにへばりついている。梅干し大の小さなエサ欲しさに、もらえないと吠えて訴えるというのだ。目の当たりにすごい迫力だ。でも、このシステムを見て、子供が、「人間って残酷なこと考えるな」というImg_0505と、もう一人が、「それを、うちらは喜んでいるのだから」と答えていた。

 そしてメーンのクマ牧場へ。何頭も大人のクマがいる。それぞれが、見物客が投げるエサを欲しさに、それぞれのアピールをしている。立ってImg_0529手を振るものに、正座(?)してたのももの、V字するものに、ただ眺めるもの。なんとも人間ぽくって愛くるしいが、同時に何とも哀れである。たったImg_05192段(人間と畜生)違うだけで、これだけのみじめな姿をさらしてたいるのだ。

 なんか楽しいとうより、哀れというもなかなかあわれなり、である。といって、この姿、僕たちとどう違Img_0441うというのか。

 ほかにも木渡りなどのアスレチックをやらされるものいったが、こちらのほうがまだ楽な気持ちで見れた。

 で、そのせいかしらないが、子供が、「一番楽しかったのは、アヒルの競争やったな」といっていた。馬券ならぬアヒル券を買うものレースが、クマの前にあって、それがみんなもっていったということか。

 以下は、クマ牧場からの壮大な風景
Img_0515
 ≪↑アイヌコタンを再現したエリア≫
Img_0551 
≪↑日高山脈≫
Img_0554
≪↑クッタラ湖は、真っ丸なカルデラ湖。透明度も抜群で、厳冬期は氷一面に≫
Img_0479

|

冬の北海道(4)~登別地獄谷~

Img_0381 お寺を後に登別へ。そのまま地獄谷に向かう。

 荒涼たる風景に、湯気が立ち込め、高温の温泉が湧き、硫黄の匂Img_0361いが漂う。別府もそうだが、温泉源は地獄と呼ばれるのは南も北も同じか。ここでも地獄なので、鬼がお出迎え。また薬師如来などの仏様も同じようにお祀りされているし、極楽通りという通りもある。もともとは火山爆発の火口跡で、複Img_0378数の噴気孔がある。壮観な景色で圧倒されたが、下の子Img_0342は、硫黄の匂いが苦手で早く戻りたがった。

 地獄谷をぐるりと周遊できるようImg_0383になっているのだが、足元が覚束Img_0391ない。坂道はもちろん、石畳や木も滑りやすくなっていて、あっちこっちで転倒者がいた。ぼくたちもほどほどのところを回っただけだか、妙に足元に力が入って、翌日は膝が痛かった。

 宿では豪華な温泉に浸った。特に露天風呂は見事で、雪化粧して風情がある。ここも中国人を中心にアジアの人達でずいぶん賑わっていた。
Img_0335Img_0370
Img_0390
Img_0393

|

冬の北海道(3)~もう一つの有珠山

 有珠山を後に登別に向かう。高速に入る前に、伊達市内で遅い昼食。北海道の地理には詳しくないので、洞爺湖から登別に向かうのに伊達市を通るとは知らなかった。
 伊達市には、真宗カウンセリング研究会の会員がおられるのだ。昨年の9月まで龍谷大学の実践真宗学などで学びながら、会館で開かれていた研修会もお手伝いされていた。たよりない記憶をたよりに、お寺の検索。伊達市にお西のお寺は数少なく、すぐに目星がたった。食事場所から、徒歩2~3分のところではでいか。ここに来るまでに通っていたようだ。でも、電話が通じない。しかし、ここで素通りするのは勿体ない。お留守でも、華光誌だけでも置いて帰ろうと思った。

 Img_0332庫裏の呼び鈴を押すが返事がない。庫裏にはシートで覆われているが、先の北海道の地震被害なのか。境内には車がたくさん止まっている。本堂に向かうと総代会の真っ最中だったが、うまく会うことができた。彼が戻ってきた後に、庫裏が火災になったというのだ。そのための相談やら結婚の報告やら、大切な会合のようだ。お寺を維持するということも、たいへんなことだある。あまりお邪魔してはならImg_0330ないのでご挨拶をして切り上げてきた。

 2年前の冬も、小樽天狗山ロープウェーで震えた後、余市の大谷派の寺院を尋ねた。今年は有珠山ロープウェーで震えた後に、伊達市の寺院を尋ねた。共に予定外の行動だが、せっかくここまできたのだからという想いがある。

 ちなみに今年お訪ねしたお寺の山号は「有珠山」。

|

冬の北海道(2)~昭和新山・有珠山~

Img_0261 天気が回復したので、有珠山ロープウェーに乗ることにした。

 まずは昭和新山へ。田園地帯だったところに、昭和18年12月からImg_0270昭和20年ころにかけて、地震や噴火などの火山活動を繰り返し、山が隆起して、成長を続けて、溶岩ドームとなり、あたりの集落は消滅したという。

 昭和の奇跡とあるが、その昭和も終わり、平Img_0289成も終わろうとしている

 有珠山ロープウェーに乗って山頂へ。ちょうど洞爺湖と昭和新山の眺望が開ける展望台も霧が立ち込める。しかも山頂は寒い。もう一つ上に防寒着を借りて着込み、火口原へ向かう。距離としては徒歩で10分程度のハイキングであImg_3544る。たぶん冬以外、また好天の日なら問題ないのだろうが、横殴りの雪が吹きつける。防寒をしていても寒く、しかも視Img_3546界は開けない。それでも引き返さずに歩き出した。連れ合いが、小、中学時代、4キロ以上の道を大雪や吹雪の中でも通学していたというご苦労を聞かさImg_3545れていたからだ。せっかく火口原に来ても何も見えない。カメラもスマホも、寒さのためにバッテリー切れになっていた。

Img_3555 引き返したら、今度は晴れ出した。これが山の天気というか冬の天気なのでと、案内係の女性が言っていた。

 おかしくなったのは、デジカメやスマホだけではない。寒さのために、ぼくの顔はニキビのような湿疹が一杯出ていると、みんなに驚かされた。寒かった~
Img_3569
≪↑戻ってきたらまた晴れ間、洞爺湖と昭和新山≫
Img_0262_2

|

冬の北海道(1)~洞爺湖~

 2年ぶりに冬の北海道へ。

Img_3508 正月の帰省ラッシュのピークと大雪が重なり、新千歳空港は混雑していた。迎えにくる予定の連れ合いも、大雪で高速道路が通行止めとなって、約束の時間に遅れてきた。それでも、まだ北海道に向かう便には影響が少なく、遅れはしても無事に到着するこImg_3517とができた。

 直接、連れ合いの実家の深川に向かImg_0043わず、前半は、新千歳から南下して洞爺湖や登別を巡るコースを計画した。

 ぼくは、洞爺湖や登別は2度目になる。

Img_0056 2000年のミレニアムの年の「壮年~聞法旅行」が、初めての北海道旅行だった。その旅は充実し、かつ楽しかった。参加者の中には、「これまでさまざまな旅行に参加したが、今回が生涯で一番楽しい旅行でした」といわれた方まであった。

Img_0050 1泊2日の函館でO家の家庭法座を開いた後で、有志による観光。湯ノ川温泉に泊まり、函館観光。その後、有珠山や昭和新山を巡って、登Img_0083別温泉に入った。ちょうどちょうImg_0084ど洞爺湖付近で爆発があり立入禁止だったでの、代わりに支笏湖を巡るコースになった。いま写真を見てもみんなニコニコしている。そしてみんな若い。同時に、父を始めて往生されたたり、高齢でお会いできい方、いまやご縁が途絶えた方もおられる。どんな楽しい一時も、ご因縁次第で変わっていく、諸行無常の事実に感慨深い。

Img_0123 その2000年は上の子が生まれた年だ。今度は、子供たちとの旅である。

 空港付近は雪だったが、南に向かう高速道Img_0163路には雪はなく、順調に車は進む。京都を朝7時に出発し、直接、洞爺湖に向かったが、到着した時には、あたりはもう暗い。

Img_0173 寒いので、みんなはホテルで休んでいたが、一人でライトアップを見に行く。このあたりは日本人によりも、中国や台湾、そしてタイの観光客でImg_0232賑わっていた。

 翌朝も雪が降って、視界が開けない。せっかく、湖側の最上階に宿をとったのに残念だ。ただ湖からアホウドリ(だと思っていた)が飛んできて、ベランダに留まるのが珍しかった。 Img_0229洞爺湖はカルデラ湖としては日本有数の湖である。遊覧に出かけると、たくさんの水鳥がついて来る。海ではないので、アホウドリのような海鳥ではないらしい。でも風景よりも、みんな水鳥に夢中になる。餌付けをすると追いかけてくるのだ。

 それでも、遊覧しているうちに天気が回復してきて、美しい風景も楽しめた。昭和新山や有珠山も見えている。ちょうど部分日食の時間だか、そこまでは肉眼ではわからなかったが、気分だけでも、、。
Img_3513_2
≪↑明け方の洞爺湖畔≫
Img_0178Img_0205
 ≪↑昭和新山と有珠山、部分日食のころ≫Img_0256
 ≪↑洞爺湖の中島≫

 

 

|

まもなく報恩講さまです

元旦。今年、最初の電話は、副運営委員長のNさん。報恩講にご講師の欠席の連絡である。続いて、運営委員長のUさんからも電話。同じ件で、変わりご講師依頼についての相談である。幸い、何名か候補があって、すぐに対応をしてもらえた。元日の朝から、ほんとうにお世話様です。

 そして、修正会の休み時間には、報恩講の当番役から相談を受ける。お一人は初めて世話役、もうお一人も、メーンの世話役は初めてとあって、ずいぶんと心配されている。お二人だけで運営するのではなく、しっかりと運営委員会でフォローされるのだが、やはり初めてというのは不安なのだろう。ある意味では、ちょっとうまく連携が行っていないのが気がかりだが、それだけ熱心に取り組んでくださっているともいえる。いずれにせよ有り難いことだ。

 お世話役にもいろいろあって、完全な裏方もあれば、表にでる役もある。当日、忙しい方もあれば、事前準備を頑張ってくださる方もある。そして、そんな皆様の方の力が結集されて、法座が成り立ってく。お客さんとして参加するだけでなく、何かお世話をする。さらに役割をもったり、メーンの仕事をすることで、気付かされることも多い。誰かのためというより、結局、得をするのは自分自身である。

 しかし、だんだんと効率とか、損得のものさしだけで考えるようになる。若い人や新しい人の中には、深く関わると手伝わさせられるのがいやだと、と敬遠される方も増えてきている。仏法が聞きつらい世の中になっているのだ。

 その意味では、親鸞聖人のご恩徳を尋ね、報恩謝徳の念を深くするという報恩講ほど、有り難いものはない。

 皆様、どうぞ、奮ってご参加ください。

◎1月12日(土)~13日(日) 親鸞聖人の報恩講法要

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2019/detail/01/hoonkou2018-1.htm

 

 

|

賑やかなお正月

 今年は、元日となった。

 2年ぶりにブラジルから子供が帰ってきている。

Img_9991 それに加えて、15年ぶりに新メンバーが加わったのだ。5月5日に誕生したJ君である。子供たちは、赤ちゃんが可愛くて仕方がない。Img_9989ところが一方、春には高校生になる下の子が、生まれたばかりの赤ちゃんに嫉妬しているのが、おかしかった。

 「私が、一番の人気者でいたい」というのだが、おばあちゃんも、みんなも、赤ちゃんに対するImg_0016_2顔つきや声がまったく違うというのである。まあ、それは仕方ないことだ。長らく、一番の末っ子で、大人に可愛がってもらっていたのだが、その地位を譲ることに寂しさがあったのだろう。

 でも、そんなことを率直に、またお笑いに話せる力がこの子にはある。

  そして今日は、おしとやかに着物姿で、先斗町へ。

 

 

|

穏やかな修正会

Img_9975  穏やかな元旦。京都は快晴で、温かい。

 修正会。例年より早く支度が出来て、道場で参詣の皆様をお迎えする。

 今年は初参加の方もあった。また、子供連れも3組あって、例年よImg_9973り賑やかだった。また、毎年、この修正会だけお参りくださる方もある。

 例年のように、一同で、「正信念仏偈」をあげ、「現世利益和讃」を頂く。ゆっくりと、大声であげさせてもらう。最後に、「聖人一流章」の拝読。振り向くと参詣者が増えていた。

 ご法話は、父の得意のネタである、人間が、ロバ、イヌ、サルからの寿命をもらって長生きできるようになるが、その分、ロバのように汗水たらしImg_0021て働き、その後、家族という鎖につながれて、番犬をして、財産や家庭を守るのに必死で、最期はサルのように笑いものになって死んでいくというもの。哀れというもなかなか愚かなりである。

 特にそのサルの姿を、「ぼけますから、よろしくお願いします」の映画を通じて、認知症のテストを交えてお伝えした。

 では、サルのあとはどうなるのか? ここで終われば、人生訓である。死んだらそれでおしまいではない。後生に一大事があることを教えて下さのが、仏様のお智慧。

 真実を明らかにする光明の働きを、親鸞様の「真実明」の左訓を頂いて結んだ。

[真というは偽りへつらわぬを真といふ。
実というは必ずもののみ(実)となるをいふなり」もののみ(実)となるをいふなり」

真実とは、本当のことを偽ったり、ごまかしたりせずにはっきりと示してくださるが、同時にそれは冷たいものではなく、迷えるものの実、虚仮のわたしの身となって寄り沿って下さのだと、お味わいさせてもらっている。
 そんな真実で出遇うことがなければ、本当に空しい人生ではないろうか?

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。南無阿弥陀仏

|

迎春

恭 賀 新 年

Img_9971昨年はいろいろとお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願いします。

京都は穏やかな新春を迎えております。
我が家も、子供たちと賑やかなお正月です。

ここ数年、遅れ気味のかりもんブログですが、本年もどうぞよろしくおつきあいください。

  「『迎』はむかふるといふ、まつといふ、
    他力をあらはすこころなり」 (唯信抄文意)

|

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »