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1月の日曜礼拝

 久しぶりに日曜礼拝の法話を担当する。

 テーマは、仏の子供大会にちなんで「感謝」である。感謝を言葉にすると、「ありがとう」ということにある。有ることが難い、有り難いというのが語源である。しかし、私達の感謝は都合がいい。自分本意で、自分に得になることや好きなことにしか感謝しない。例えば、人間関係でも、甘言の人は好きでも、苦言を呈する人は嫌う。そのことに感謝することはない。食べることでも同じ。食事の言葉には、「深くご恩を喜び、有り難く頂きます」とある。が、好きなもの、おしいものは喜んでも、嫌いなもの、まずいものは嫌っていく。それを喜んで頂くことはできない。ましてや、食べ物の頂いて、栄養を頂いて、そのなれの果てであるウンチになったらどうか。そのことに思いを馳せ、感謝することがあるのか。森山直太郎の「うんこ」という歌を聴いてもらって、そのことを味わった。

 昨今は、ビジネスでも、人間関係でも、「感謝を忘れてはいけない」「『ありがとう』と言い続けると必ず成功する」といった成功体験の書物も多い。しかし、そこからは絶対に「骨を砕いたり、身を粉にしたり」することはない。浄土真宗では、「報恩」や「御恩報謝」は言っても、自分の都合でする感謝とは別なのてある。

 悟朗先生からは、『「ありがとう」は、所詮、人間の言葉ですよ』と教えてもらっている。御恩報謝は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すことである。

 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

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