法界広しといえども
像観の「法界身」を詳しく話していると、皆さんとの距離が広がっていくのかよく分かる。ほとんどが、「難しい!」という顔をされているのだ。感想をお聞きすると、率直にそう仰ってくださる方もあったが、一方で、「どんどん引き込まれて聞かせてもらいました」と、言ってくださる方もあったのだ。大概は、難しいという感想だったが、積極的に質疑や感想を送ってくださる方もあって、手抜きをせずによかったと思った。
その夜、夕食の時に、母から「行巻参照と書かれていたところは、頁数はあっていたけれど、「信巻」の間違いやで」と教えられた。
講義が終わってから、復習をして、直接、お聖教の頁を当たって確認をしているのだ。そこは、講座時には聖典を開けず、「後で、確認しておいてください」とお伝えしたところである。
母は、83歳になったのが、まだまだ意欲的に学ぼうという姿勢に、こちらが教えられたと同時に、うれしい気分になった。
「『正直で来い』と言うのが神様です。
『善人になっ来い』と言うのが諸仏です。
『悪人目がけてすくうぞよ』と呼びかけるのは、ただ阿弥陀様だけです。
こんな仏様が法界(ほっかい)広しといえども、どこにおらされますか?」(『仏敵』およしさんの言葉)
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