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広島での百ケ日法要~権化の仁~

華光誌発送を挟んで5日連続で法座が続く。年末の慌ただしい時に法座が詰まってしまった。

まずは、広島のM家での百カ日法要を兼ねた法供養法座である。
実は、ほぼ1年前にも百カ日法要を兼ねた法供養法座をもってもらった。そのときは、カウンセリング法座(?)と称して、広くご親戚のみならず、華光の同人の方、カウンセリング関係の方と多くの方が参集されて、一言いただくことから始まった。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-cadf.html

それから1年。同じように、百カ日法要を兼ねた法供養法座がもたれることになるとは想像すらしていない。喪主からされると、1年前はご主人、今回はご長男、50歳での早すぎるご往生である。

ただ、今回は法座の形式は変わった。前回は、一人でもご縁のある方に参加してもらおうという思いからだったが、今回は、喪主であるお母様に仏法を聞いてもらいたいという、故人の姉妹たちの願いがあった。では、どうすればの逆縁を転じて仏縁となるのか。何度も、法座のもち方を相談した。大人数か、身内だこけがいい。少人数でも、一人だけに焦点が当たりすぎないのにはどうすればいいのか。一歩でもご法に向き合ってもらえるご縁を作ってもらいたい。姉妹の篤い思いは、充分に伝わってきた。

法要の後、法話は、「苦悩を除く法」である。故人が急死されたとき、「うちの阿闍世がなくなった」という連絡をうけた。それだけ、本人はもちろん、身内にも耐えきられないほどの苦悩をもたらした波瀾の人生を歩まれたのである。昨年、特に、深い葛藤のあった父親がとなくなり、その1周忌を済んだ直後に急死されて、生前は並ぶはずのなかった二人の遺影が、仲良く並んでいた。そして、故人が「阿闍世太子」なら、その母上は「韋提希夫人」である。ならば、まさに「苦悩を除く法」=南無阿弥陀仏の回向の教えを説かねばならない。そんな内容の法話をさせてもらった。

会食から、座談の流れがよかった。温かいいい法座になった。一人一人が今の思いを語り、故人や家族の歴史や思い出を語りあった。そこには、仏法が流れている。その3代、4代に渡る法流が、なんとも不思議で有り難かった。ぼくにしても、前日に学び直して、真宗カウンセラーの態度を発揮するいい機会となったのである。人間的な温かさだけではない、仏法の温かさを存分にいただける尊いご縁であった。

まさに、阿闍世太子は、権化の仁であったのだ。

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