高山支部報恩講
12月の高山支部法座は、報恩講である。
これまでの家庭法座ではなく、公民館が会場である。浄土宗知恩院の御方の「南無阿弥陀仏」である。太い文字で、立ち上がられた阿弥陀仏のお姿である。法話も、和讃の「苦悩の有情」の和讃から、「苦悩を救う法」という題で。まさに立撮即行のお姿であった。
特に日曜日になると、お参り方が増える。高山支部よりも、旧北陸支部からの参詣者の方が多い。初めての方も含めて、今回は30名以上のお参りがあった。最後には、激しいご示談となる。だか、なかなかもう一歩が出ない。一つ一つの話には頷いておられる。納得もされている。しかし、胸が承知しないのである。その胸には、自分の中で作り上げた美しい信心の姿と、そこに至るための方法か、ちゃっんと準備されている。だから、自分の都合のよいところを聞いて、その想い会わないとこは拒否をする。熱心に話せば話すほど頷き、納得され、涙もされるのだが、翻るということなはない。
自力が捨てられないからだ。
ならば、こちかが搦手から関わっていくことした。すると、自分の想いに会わない話は、受け入れられないことがハッキリする。聞法は、そこの自分を聞いていくのだが、今度は、そこを聞かずに、どう受け入れるかに腐心されていこうとされる。何もかも、自分で解決しようとするのだがら、他力のご回向とはいえない。
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