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2018年12月の25件の記事

2018年は206本

今年はもずいぶん映画館に通った。

今年は、1月3日に京都シネマで、アメリカ映画の『ギフト~僕が君に残せるもの』(元NFLのスターアメスト選手が、ALSという徐々に筋肉が萎縮して硬直していく難病になり、生まれてくる子供に向けてのビデオメッセージ)と、
ドイツ映画の『わすれな草』(こちらは、自立してたインテルの夫婦が、妻の認知症によってその関係性変わっていく姿を、実の息子がカメラにおさめたもの。夫婦って何? 人間の尊厳って?と、考えさせられる)の、なぜか、海外ドキュメタンリー2本に始まった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-30b0.html

12月29日には、スペイン~アルゼンチン映画の『家(うち)に帰ろう』(アルゼンチンに住む、かなり頑固な老仕立屋が、子供たちに老人ホームに入れられ、悪い足も切られることになるが、それを逃れてポーランドへ脱走、そこでさまざまの出会いのなかで、彼の過去明らかになる、ホロコースト生き残り感動作。ラストは、甘いが惜しいが、再会シーンは泪)と、

アメリカ映画の『ウィンド・リバー』(ハリウッドのすっきり謎解きサスペンスと思っていたら、ネイティブアメリカンや、特に女性の置かれた差別や厳しい現実が背景にある社会派サスペンス。悪くはなかった)で終わった。

 206本を映画館で鑑賞した。これで3年連続での200超えである。面白いと思ったり、刺激をもらったものもおおかったが、なかなかここにアップできなず、下書きのまま時期を逃すということが多かった。法座関係のものが停滞した影響を受けている。来年は、もう少し映画や本のことも発信していきたい。

 対照的に、相変わらず読書量は少ない。こちらは、たった18冊ほどで、昨年よりは若干増えた程度だ。ただ、直接、講演や講義を聞いた先生のものが多くて、年初めは、心理学者の泉谷閑示氏のもの、中旬は、並河~平岡聡先生の師弟関係にある仏教関係のものを読んだし、秋からは白井聡氏や、関連の政治関係のものを読んでいる。
映画を押さえてでも、もう少し読書をしたほうがいいなーと思っている。それでもこの年になって勉強が面白くなって、講義や講演には、定期的に出かけて刺激をもらっている。

来年もこんなペースで動くようの気はするが、そろそろ自分から発信できる基盤を造る年にしたいと思っている。

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女子会に黒一点

輪読法座の終了後、会館の大掃除をお願いする。時間の関係で、空調機を中心に、外回りなどは後日、別の方にお願いするとにした。なぜか、今日は、女性ばかりがお手伝いくださる。

事務所の方やお手伝いの方を招いて、一階で忘年会をもつ事にした。ちょうど子供たちも帰って来いるので、同世代の仏青の女子が参加してくれたのがうれしかった。母も交えて10名だったが、なぜか、ぼく以外は女子で、写真もぼくが撮ったら、完全な女子会である。

忘年会といっても飲み専門は僕たち夫婦と数名で、あとは食べることに専念である。北海道の連れ合いの実家からの毛蟹やホタテがあったので、プチ豪華な手巻き寿司だ。しかし、大目お酢飯を用意したのがあっという間になくてり、具材もなくなりそうになって追加で購入に走ったほどだ。マダ20代若いひとだけではない。40代、50代とまじり、60代の方もあったが、年齢の上(イニシャクも伏せておきます)になっても、食欲が衰えないのはすごいと思った。これだけ平らげてもらうと気持ちがいい。もっとも、横で食べていた母は、その食欲旺盛ぶりに驚いたというより、「ハー、恐かったわ」と驚いていたのが面白かった。

ご飯がなくなってら、差し入れのおいしいパンになり、またデザートになった。上の子の手作りのデザートがなかなかおいしかった。連れ合いが仕事で留守の間、彼女が料理を担当してくれている。本人も好きで得意なようだ。以前になかったことで、その成長ぶりに目を細める、毎日。

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盛況たった華光誌輪読法座

今年最後の法座は、華光誌輪読法座である。だいたい10名前後、少ない時には、家族3名に後、3~4名という寂しい回もある。

それが20名近い参加者があった。地元の京都だけななく、福井や大阪、名古屋からの参加者も加わる。初めての方もおられて、声を聞かせてもうらことができた。なによりも、娘たち2人も参加したり、10代、20代の若者が4名もあって、久々に盛況であった。

華光誌誌上講話の後半である。正信偈講讃で

如来所以興出世 唯説弥陀本願海 
五濁悪時群生海 応信如来如実言

如来の世に興出したまう所以は、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海 まさに如来の如実の言を信ずべし。

の後半である。意訳に続いて、問題点を読んだが、「出世本懐」のところなので、大無量寿経と法華経の真実性の問題に触れている。これが経典の文や、法華経、存覚上人のご文などが引かれてかなり難しかった。皆さんからは、この文に沿っての声はでづらかったが、それでも頑張って最後まで読み通してもらったのはよかった。一人なら、読みかけて、すぐにバスされているようなところだからである。

それでも、最後の「阿弥陀様が真実になるかならないのかは、この私が聞くか聞かないかにかかっていると言い切っていいのだ」という表現には、皆さんいたく感銘されていた。そこまで徹底して聞かせてもらいたいものである。

 

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イルミネーション

 華光誌の発送が早くすんで、夕方から佐井通、五条通を下ったところにある「ローム」の本社に向かう。

ロームのイルミネーションの見学である。何年も前から噂は聞いていたのに、なかなか機会がなかった。1ケ月以上の期間があるのが、今日が最終日。渋滞を心配していたが、それほどの混雑はなかった。かなり前のところから、前方に、金色の光が、眩い輝きを放っているのが見えてくる。子供たちからも歓声があがる。

渋滞もなく、駐車場も空いていて、回りを散策する。確かに美しい。しかし、今日は寒かった。 った。
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新年号の華光誌

新年号の華光誌の発送作業。

2019年の年間行事表と、同人には年賀交換が同封されている。

華光誌は、新年号にしては少し薄目である。原稿が少なめだったからだ。

編集が早く終わった分、21日の金曜日に完成してきたが、法座が続いたこともあって、発送は火曜日となった。
なれた方ばかりで、発送作業も順調である。

前号から、クロネコのメール便が無くなって、ゆうちょのメール便に変わった。経費は高くなったが、その分、早く、正確に届くようになった。今回からは、大口の契約もできて、若干、費用の面でも優遇されることになった。

郵便だと、だいたい中1日で届くところも多いし、また確実なのは有り難い。しかし、まだ届いていないお方は、お手数でもご連絡ください。

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京都家庭法座

同じく年末恒例のM家家庭法座だ。

12月23日といえば、この30年間、天皇誕生日で祝日だったが、M家の女主人の誕生日でもある。

ただ今年は、1日遅れの24日の振替休日の開催となった、法座が連続したり、東海支部と重なったりもしたが、20名近い参加者があった。大人の法座に滅多に参加されない方も、お誘いを受けて参詣されたりもした。

今年の下半期は、次の和讃を通して頂いき続けた。

如来の作願をたづぬれば
苦悩の有情をすてずしして
回向を首としたまひて
大慈心をば成就せり

また聖典講座で『観経』を学んでいるので、第七華座観での「苦悩を除く法」というみ教えが重なって、お取り次ぎさせてもらっている。

苦悩する生きとし生きるものを見捨てず、その苦を除くために、如来様からのご回向を一番にされて、大慈悲心の塊である南無阿弥陀仏となってくださったのである。そのことを、苦悩を中身を身近な実例や例話を通して具体的に頂き、また回向の姿を同じく具体的に頂いてきた。それを人事ではなく、自分事として聞かせていただくのである。今年の最後ということで、半期の集大成のつもりで話させてもちった。

そして、法座のあと、M家では会食と続くか、そのままM夫妻の生ギターと歌声を、歌声喫茶風が楽しみの企画となっている。特に、Mさんの味のある自作自演の弾き語りが、ますます渋みを増している。懐かしい歌歌を楽しんだあとは、またご示談へと続いてるが、年末というとこで、あっちこっちで酔っぱらいもでてきて、久しぶりに盛り上がった懇親会となった。

京都支部の皆様、この一年もありがとうございました。

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聖語をいただく

 この集いの進行は、ぼくにはこれまでの真宗カウンセリングの関わりの集大成といってもいいものである。どれだけ参加者が安心して、自分の経験したことを、率直に口にだせることができるか。また出された声をどれだけ聞けるのか、そんな雰囲気作りを目指しているのだ。法話はないが、それ以上にぼくの態度や姿勢が問われる法座である。

 だからこそ面白い。やりがいもある。そして5年間で少しずつ改良されていって、称名念仏、黙想(沈黙)、そして語らいの後にお聖教を味わっていたが、前回から、そのお聖教を味わう時間を、大目にとることにした。

 1日目は和讃を1首ずつで、最後に「現世利益和讃」をすべて頂いた。

智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし(正像末和讃)

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなふべし(正像末和讃)

男女貴賎ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし(高僧和讃・源信讃)

南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり(浄土和讃・現世利益讃)

 2日目は、朝座は源信僧都の「横川法語」、昼座は法然聖人の「一枚起請文」である。

 長い文章になると、皆さん不明な点けでなはく、ひっかかりが出てくるようだ。理屈が増えたり、昔の文章(古典)の理解の質問がでると、ぼくも教示的になってしまうのが反省である。ぼくとしては、二つのご文とも、煩悩一杯(妄念妄想の自性)の地金のまま、愚者と成って(というより愚者そのもの)、称名念仏申せようというご教示だと味わっていたが、皆さん、いろいろとわが胸ととらしたり、言葉の端々ひっかかったりと、苦戦しておられるよにう思えた。ぼく自身も、ながながと「正解」の解釈を述べてしまって、後味が悪かったのは反省材料である。

 それでも、称名念仏の後のこの聖語は響いてくるなー。

またいはく、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。臨終のときまでは一向妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りに染まぬ蓮のごとくにて決定往生疑あるべからず。「横川法語」

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。「一枚起請文」

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第5回 「念仏と黙想と語らいの集い」

「念仏と黙想と語らいの集い」も、第5回を迎えた。

 昨年も同じ日程で一番参加者が多かった。それで今年も同じ日程にした。が二匹目の泥鰌はおらず、〆切直前になっても、数名だけという状況だった。3連休、翌日には東海や京都支部法座も控えており、昨年とは少し状況が異なった。別に人数の多少は関係ないのだが、数名だったら、みんなで称名を味わうという部分が寂しくなってしまうのだ。しかし〆切後、ボチボチと参加者が集りだして、両日共に16~7名の参加者が揃った。大分や富山からの参加者もあった。個人的には、母と、ぼくと、娘の3代で、お念仏申せたのが尊かったし、十八歳の娘の率直な味わいが感慨深かった(ぼくだけなく、何名かの方から声が上がったが、自分の同年代の頃の聞法を思い出させたようだ)。

 人数は多くないので念仏の響きは凄かった。ぼくもいろいろと称名念仏を味わった。一人で称えているは味わえないダイナミック性がすごい。バラバラで不協和音の声が、どんどんと一つのハーモニーを奏でていくのがすばらしかった。15名なら15名分の声質が違い、称え方違い、スピードが違い、声の大小が違い、髙さが違う。「これは○○さんのお念仏だなー」とわかると、それと対話するようにその声、その早さ、その髙さ、称え方に合せてみたりもした。そのうち、その方とお別れして、次の方に合せていく。そんな称え方もさせてもらった。

 また源信讃にあるように「行・住・座・臥」(歩く、留まる、座る、寝る)を選ばないお念仏ならばと、それも実戦してみた。座る、寝るはともかく、立つ、そして歩くは特に勇気がいった。まるで行道のようになるからだ。しかし一端その枠から離れると、とても自由にお念仏をするけとができた。それ以降、皆さんの中で、寝る奴、唄う奴、立つ奴といろいろな個性が表れ出した。とうとう、浄土宗の僧侶の方が、「三称礼」とか「立位礼拝」の作法での唄うような称名念仏が始まった。後で、「『負けるか』という思いで念仏しました」という声があった。なんとなく浄土宗の行に対する対抗である。ところが、最初は、不協和音であったのに、5分も過ぎると、だんだんと声か揃ってきて、美しいハーモニーを奏でるようになるのだから不思議だった。後から、抵抗なく浄土宗の念仏行についてお話を聞くことができたのも、この集いの意味だったのかもしれない。

 お念仏も、静かな黙想の時間も、そして語り合いの時間も、手頃な人数だったこともあって、どのセッションも充実していた。たくさん称名念仏をしたように思ったが、2日目(丸1日)で、たった62分(8セッションあり、それぞれに5分から10分間のお念仏)1日あたりなら30分の称名念仏だったと告げると、皆さん、一様に驚いておられた。2日間、称名念仏漬けだったように思ったからだ。凡夫の行いはまったくお粗末ということである。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 

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広島での百ケ日法要~権化の仁~

華光誌発送を挟んで5日連続で法座が続く。年末の慌ただしい時に法座が詰まってしまった。

まずは、広島のM家での百カ日法要を兼ねた法供養法座である。
実は、ほぼ1年前にも百カ日法要を兼ねた法供養法座をもってもらった。そのときは、カウンセリング法座(?)と称して、広くご親戚のみならず、華光の同人の方、カウンセリング関係の方と多くの方が参集されて、一言いただくことから始まった。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-cadf.html

それから1年。同じように、百カ日法要を兼ねた法供養法座がもたれることになるとは想像すらしていない。喪主からされると、1年前はご主人、今回はご長男、50歳での早すぎるご往生である。

ただ、今回は法座の形式は変わった。前回は、一人でもご縁のある方に参加してもらおうという思いからだったが、今回は、喪主であるお母様に仏法を聞いてもらいたいという、故人の姉妹たちの願いがあった。では、どうすればの逆縁を転じて仏縁となるのか。何度も、法座のもち方を相談した。大人数か、身内だこけがいい。少人数でも、一人だけに焦点が当たりすぎないのにはどうすればいいのか。一歩でもご法に向き合ってもらえるご縁を作ってもらいたい。姉妹の篤い思いは、充分に伝わってきた。

法要の後、法話は、「苦悩を除く法」である。故人が急死されたとき、「うちの阿闍世がなくなった」という連絡をうけた。それだけ、本人はもちろん、身内にも耐えきられないほどの苦悩をもたらした波瀾の人生を歩まれたのである。昨年、特に、深い葛藤のあった父親がとなくなり、その1周忌を済んだ直後に急死されて、生前は並ぶはずのなかった二人の遺影が、仲良く並んでいた。そして、故人が「阿闍世太子」なら、その母上は「韋提希夫人」である。ならば、まさに「苦悩を除く法」=南無阿弥陀仏の回向の教えを説かねばならない。そんな内容の法話をさせてもらった。

会食から、座談の流れがよかった。温かいいい法座になった。一人一人が今の思いを語り、故人や家族の歴史や思い出を語りあった。そこには、仏法が流れている。その3代、4代に渡る法流が、なんとも不思議で有り難かった。ぼくにしても、前日に学び直して、真宗カウンセラーの態度を発揮するいい機会となったのである。人間的な温かさだけではない、仏法の温かさを存分にいただける尊いご縁であった。

まさに、阿闍世太子は、権化の仁であったのだ。

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カウンセラーの態度

 それで、それに続いて、基本的仮説、そして態度について明瞭に言及されたあとに、カウンセリングの核心を平たい言葉で語っておられる。

 人間は、心を開いて接してくる人の前では安心感と信頼感を深め、自分はその人から、いま、ほんとうに大事にされ、温かく受け入れてもらっているなと感じ取ることができたら、そのとき、自分に対してすなおになり、自分を真底から大事にしようという気持ちがわきおこり、それとともに恵まれた命の限り、生き生きと生きようという意欲や力がうちからみなぎってくるものである。(P209)

 この人間をクライエントに置き換え、その人をカウンセラーと置き換えたならば、カウンセラーとしての私は、いま

(1)ありのままの自分であろうとしているか。
  自分と相手の存在そのものを無条件に尊重・尊敬できる心の状態になっているか。

(2)自分の内面に刻々沸き起こり、刻々動いている感情に気づき、受容できているか。

(3)相手の感情に流れ、気持ちの動きにぴったり寄り添い、耳を傾け、それをありのままに理解してしようとしているか。

(4)相手の感情と、自分の感情をまぜ合せてないでいられるか。
 つまり正しく傾聴できているか。

(5)理解できた「相手の感情・気持ち」を相手の感情にマッチした音調や語調で正確に相手に伝えているか。
 また、こちらの声が相手の人格の中枢にとどくような発声をしているか。

(6)いまクライエントにとって必要な、カウンセラー自身に関する情報を正しく伝えているか。
 例えば感情や立場の率直な表明をしているか。
 歪んだ感情をぶちまけたり、相手を脅したり、自己防衛的な言い訳をしたりしてはいないか。(P210)

 改めて援助的人間関係の上で、わが身を振りかえさせられた。単なる言葉面の理解ではなく、できているつもり、分かっているつもりでいるが、わか身の態度を振り返ると、ただ恥ずかしくなるお粗末な自分しかいない。特に、(5)の伝達の表現のきめ細かさ(これには実戦の場での指導を頂いた思いでもある)(6)の自己表明(アサーション)が自己一致の厳しさなどは、まだまだ未熟としかいいようがない。 わが態度を振り返る鏡の言葉として、定期的に頂いていきたい。さっそくPCの横に張り出した。

 同時に、ここまで大きなお育てを頂いてきことにも感謝である。

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『育ち合う人間関係』~カール・ロジャーズの功績

  『育ち合う人間関係』~真宗とカウンセリングの出会いと交流~も、第3章の「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」に入った。

 今回は、ロジャーズのカウンセリングの核心について、8頁にコンパクトにまとめられた部分である。

 来談者中心と呼ばれるロジャーズのカウンセリングのエッセンスが、西光先生の暖かい言葉で、明瞭、かつ易しく語られていて、心が揺さぶられた。

 カール・ロジャーズの功績に始まり、その人間観、基本的仮説、そして態度について言及されている。

 まず、カウンセリングや心理療法に「静かなる革命」を起したというロジャーズの功績は、もし医療モデルでいうならば、専門的知識や経験をもった権威者、専門家が、一方的に診断し治療するという一般的な治療モデルから、非指示的とか、来談者(クライエント)中心というアプローチに、180度変革させたことにある。つまり、人間関係におけるパワーの変革である。「力のある権威者」から「無力な依存者」に上から下の治療する方法から、クライエント自身のうちに、問題解決力、成長力が祕められているのではないか。専門的、権威的な態度で、知性に訴える解決法や説明、説得、助言を行っても、クライエント自身の問題解決には役立たないことが多いという。

ある意味、衝撃的な内容である。なぜなら、現実には、相変わらず、より専門的で、権威的な態度で、知性に訴える解決法や説明、説得、助言を行うことこそが、援助的であると盲信されているのが現状だからだ。その態度以外で、人はよくならないと堅く信じられているといってもいい。
しかし、援助的な人間関係とは、クライエントをあるがままに尊重して、クライエントの問題解決力や成長力を信頼し、そういう潜在力がいきいきと発現されるような心理的な雰囲気を醸成することに意味がある。それが、カウンセラー中心のカウンセリングから、クライエント中心のカウンセリングの大転換なのである。

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法界広しといえども

 像観の「法界身」を詳しく話していると、皆さんとの距離が広がっていくのかよく分かる。ほとんどが、「難しい!」という顔をされているのだ。感想をお聞きすると、率直にそう仰ってくださる方もあったが、一方で、「どんどん引き込まれて聞かせてもらいました」と、言ってくださる方もあったのだ。大概は、難しいという感想だったが、積極的に質疑や感想を送ってくださる方もあって、手抜きをせずによかったと思った。

 その夜、夕食の時に、母から「行巻参照と書かれていたところは、頁数はあっていたけれど、「信巻」の間違いやで」と教えられた。

 講義が終わってから、復習をして、直接、お聖教の頁を当たって確認をしているのだ。そこは、講座時には聖典を開けず、「後で、確認しておいてください」とお伝えしたところである。

 母は、83歳になったのが、まだまだ意欲的に学ぼうという姿勢に、こちらが教えられたと同時に、うれしい気分になった。

「『正直で来い』と言うのが神様です。
『善人になっ来い』と言うのが諸仏です。
『悪人目がけてすくうぞよ』と呼びかけるのは、ただ阿弥陀様だけです。
こんな仏様が法界(ほっかい)広しといえども、どこにおらされますか?」(『仏敵』およしさんの言葉)

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聖典講座~定善(4)像観・作仏是仏論

 次の作仏是仏論「この心作仏す、この心これ仏なり」(是心作仏・是心是仏)についても、聖道祖師方と、善導さまの立場大きく異なる。

 法界身を法身仏と理解する理仏観の立場の聖道の祖師方は、その衆生の心は法身の理仏をそなえたものであるから、「衆生の心そのままが仏となる」(是心作仏)であり、当然「その心の他に別に仏はない」(是心是仏)なのだと解釈された。
 また衆生の煩悩の心も、その本性は清浄な法身真如そのものであって、浄化さえすれば(懺悔し、滅罪し、観法の修行する)、本来の清浄な心に帰ると理解された。そこから、「唯心の弥陀」や「己心の浄土」(聖典・941頁参照・浄土真宗では捨てもの)などが語られることになる。

 それに対して、善導大師は、「唯識法身」や「自性清浄仏性」の観を批判されている。
 そして「観法によって衆生の心の中に仏が作られる」ことを「是心作仏」、「その仏と衆生の心とが一つになり、その心を離れた仏はなく、仏を離れた心もないという境地」が「是心是仏」と理解されていった。

 さらに、親鸞様は『論註』のこの箇所を信巻で引用されて、『観経』の当面の理解ではなく、「是心」を衆生の一心帰命の信心とみられて、他力回向の信心の本質は、仏心であると説かれた。また、如来回向の信心こそが仏道の正因となるので、「作仏」を仏に作(な)るの意に転じられていくことになる。(『信巻』253頁参照)

 以上を踏まえた上で、詳細な仏像の観法が説かれるさまを現代語訳で頂いていった。
 
最後に、この第八観で忘れられないのが、『仏敵』の伊藤先生の体験だ。3頁分をお配りして声に出していただいた。

「そのとき! 私は不思議なるのも凝視した。
 水流光明! そうだ、水流光明だ。『観無量寿経』の第八観にある「行者当聞・水流光明(行者まさに水流・光明およびもろもろの宝樹・鳧雁・鴛鴦のみな妙法を説くを聞くべし)」と言うのは、まさしくこれだ!」 (『仏敵』158)

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聖典講座~定善(4)像観・法界身論

   『観経』の講義も、正宗分(本論)の定善十三観に入っている。前回、第七華座観では、住立空中尊として阿弥陀如来が凡夫の韋提希の前に来現された。凡夫を憐憫した釈迦・弥陀二尊の連携プレーでの救済のお働きを窺った。

 今回は第八観・像観に入る。ここから正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)になると善導さまは頂かれた(聖道諸師は、華座観から正報観と観られた)。阿弥陀仏の仏身を見奉ていくのであるが、いきなり阿弥陀仏を真観するのは難しいので、まず仮(方便・前段階)に、御仏の姿をうつした仏像から観じる、仮観(方便観)が説かれていく段である。

 ところが、具体的な像観に入る前に、仏を念ずればその想念の中に仏が顕現するのは何故かという説法が置かれる。ここは、「法界身(ほっかいしん)論」、さらに「作仏是仏論」(この心作仏す、この心これ仏なり・是心作仏・是心是仏)という教学的にも重要な一段となる。

 従来の聖道の諸師方のご理解と、善導様とでは全く異なるご解釈になるのだ。さらに親鸞さまや浄土真宗では他力回向の立場を押し勧めてお示しくださっている。
 そこには、法界身の「法界」をどう捉えるのか。またそれは理観なのか、事観なのかという相違がある。ただ単なる解釈の相違というより、『観経』が誰のために説かれたか。そして私自身がどのような物柄なのか(根機)という、根本的な理解の相違から起こっているので、かなり難しい講義とはなったが、時間をかけて窺っていった。

▼〈書き下し文〉「つぎにまさに仏を想ふべし。ゆゑはいかん。諸仏・如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想のうちに入りたまふ。このゆゑになんぢら心に仏を想ふとき、この心すなはちこれ〔仏の〕三十二相・八十随形好なれば、この心作仏す、この心これ仏なり。諸仏正遍知海は心想より生ず。」

▼〈現代語訳〉「次に仏を想い描くがよい。なぜなら、仏はひろくすべての世界で人々を教え導かれる方であり、どの人の心の中にも入れ満ちてくださっているからである。このために、そなたたちが仏を想い描くとき、その心がそのまま三十二相・八十随形好の仏のすがたであり、その心が仏となるということになり、そして、このこころがそのまま仏なのである。まことに智慧が海のように広く深い仏がたは、人々の心に従って現われてくださるのである。」 

 現代語だけ見ている限りはなにも疑問は起らないが、

(書き下し)「諸仏・如来はこれ法界身なり」
(現代語) 「仏はひろくすべての世界で人々を教え導かれる方であり」

「法界身」が「ひろくすべての世界で人々を教え導かれる方」と訳されているのが分かる。

▽つまり、聖道諸師方は、法界身を法性身、法身仏と観る。理法身で、真如(無分別智の悟りににる不生不生の真理そのもの)の異名と見られた。

▽それに対して、善導大師は、聖道諸師の誤りと指摘された。もし法界身が法身仏ならば、無相(色もなく形もない)離念(念いも断えた) の仏であって、凡夫に理観の観想などできない。第一日想観では浄土は西にありと指さし、その後の観法でも荘厳の相を詳しく説かれ、またここでも三十二相の姿をもった仏像の観法が説かれている。つまり、『観経』は韋提希のみならず、後の愚かな凡夫のために説かれたもので、「指方立相」をもって、浄土や阿弥陀仏を示してくださったものだというのである。

 法界身の「法界」とは「所化の境」、すなわち仏の教化の対称となる世界、つまり衆生の世界。
 「身」は「能化の身」、すなわち化益される主である仏である。つまり、衆生界を化益される仏身と頂かれたのである。それを以下の三義で説明される。

 心遍 =仏の大悲が衆生の心に遍満される。
 身遍 =衆生がその仏を観ずれば仏身も、衆生の心中に現われる。
 無障碍遍=仏は身心共に無碍の活動であり、衆生の心に身心ともに遍満される。
 
▽ちなみに親鸞様は、「諸仏」を、普通に諸仏方と取られると共に、阿弥陀仏の意と解釈されている箇所がある。但し、法界身についての特別なご教示はない。

▽それでも、存覚上人は、他力回向のおこころとしてとっておられる。

「無碍の仏智は行者の心にいり、行者の心は仏の光明におさめとられたてまつりて、行者のはからひちりばかりもあるべからず。これを『観経』には「諸仏如来はこれ法界身なり、一切衆生の心想のうちに入りたまふ」とはときたまへり。諸仏如来といふは弥陀如来なり、諸仏は弥陀の分身なるがゆへに、諸仏をば弥陀とこころうべしとおほせごとありき。」(『浄土見聞集』真聖全三・378)

(続く)

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ブラジルより帰国

  早朝、2年ぶりに帰国する子供たちを迎えに関西空港に向かう。9月の台風で大きな被害を受けた連絡橋も、最後の1~2㎞だけが一車線通行になるが、ほとんど影響なく利用できるようになっていた。

 ブラジルのサンパウロから、ドイツのフランクフルト経由の旅。飛行機だけでも、24時間はかかる長旅だ。ブラジル便が2時間遅れて、フランクフルトでのトランジットの乗り継ぎが1時間しかなくても、かなり急いだという。ドイツからは20分ほどの遅れで、無事に到着。

 毎週、スカイプで見ていることもあるが、変わらないような、やはり大人になったよう不思議な感覚である。特に、下の子は、ずいぶんスタイルもよくなり、顔も大人びてきた。でも、性格は変わらないのがおかしかった。見慣れない大人びた外見ち、以前と変わらぬ態度が、なんとなく新鮮でもあり、懐かしくもあった。

 家の中が急に賑やかに、、。

 

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新年号の編集作業

  年内発行に向けて、法座以外は華光誌の作業に集中して、ブログもお休みだった。

 今回は、原稿の集りが悪かった。少し頁が足らないと思っいたところに、ある同人からメールをいただいた。
 お母さまを看取られた10年以上の月日の思いを綴ってくださった。もちろん、その歳月は、きれいごとではなく、たいへんなことも多かったであろうし、その思いを率直に綴ってくださるのが、尊くも有り難かった。「回向を首としたまひて」というご和讃にある「回向のこころ」を、このお手紙を通して頂いた
 それでも、通常より4頁足らずに36頁建てになった。40頁を超える号もあるので、ご容赦ください。データを印刷所に予定どおり、13日の木曜日に渡すことができた。

 合せて、年賀交換の作業にはいる。こちらは相変わらず、ぼくが作業している。26年以上、版下作りを続けているが、このソフトになってからでも、15年になる。作業にはなれて、効率よく進むが、どうも、PC(モニター)の調子が悪い。どうやらこれは寿命のようで、何度もON・OFFを繰り返しての作業になったのは不便だったが、こちらは5日間で作業を終えて、14日金曜日の夕方には、版下として渡すことができた。

 共に例年より3~4日早く印刷所に渡しが完了して、一安心だ。

 12月22日は完成してくるという。22~24日は3日間の法座があるので、25日には発送作業を行う。年内にはお手許に届きそうである。乞ご期待。

 

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暖冬の高山に雪

Img_9813 高山支部法座。
 ここにきて、暖冬は一服だ。それでも、通年のこの季節に比べると、まだ暖かいのかもしれない。しかし、これまで暖冬たった分、寒さが身にこたえる。からだかついていかないのだ。
 
 Img_9815今回の会場は、いつも家庭法座ではなく近くの公民館である。きれいで、便利だった。お宿も歩いていける民宿を予約くださる。レトロの趣Img_9817_2のある小さな宿だ。トイレや洗面は共同だが、小さくても温泉があったのはうれしい。

 朝、氷点下まで気温が下る。外は銀世界であImg_9832_2る。しかしまだ積もる雪ではなく昼には融けいた。本格的な冬はこれからだろうが、どうも暖冬傾向ではないだろうか。

Img_9820 開始時間まで、少し会場近くを散策する。

 宮川には、真鴨のたくさん飛来している。

Img_9821 前回も訪れた勝久寺へ。高山の真宗はお東が大半だが、ここはお西の寺院である。山号「雪峰山」に相応しい景色には、もう少し雪が欲しいか。

 Img_9826本堂にお参りする。

 この扁額の揮毫は、山本仏骨先生。彫刻が、例の高山のH名人である。唐獅子、牡Img_9828丹の襖絵も、名人の作かとは思ったら、ここは違うそうである。ここは違うとは、襖絵に関しては、高山の別のお寺に描いているImg_9819そうである。

 高山駅の駅舎を飾っているの名人の作であるが、高山各地の寺院には、彼の作品が多い。今年は、東本願寺本山に新築された「和敬堂」の扁額も彫刻されている。そちらの揮毫は三島多聞師だということだ。まだ未見なので、一度、拝見に窺いたい。こちらにその時の記事が、、。

http://www.higashihonganji.or.jp/photo/19997/

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高山支部報恩講

  12月の高山支部法座は、報恩講である。

 これまでの家庭法座ではなく、公民館が会場である。浄土宗知恩院の御方の「南無阿弥陀仏」である。太い文字で、立ち上がられた阿弥陀仏のお姿である。法話も、和讃の「苦悩の有情」の和讃から、「苦悩を救う法」という題で。まさに立撮即行のお姿であった。

 特に日曜日になると、お参り方が増える。高山支部よりも、旧北陸支部からの参詣者の方が多い。初めての方も含めて、今回は30名以上のお参りがあった。最後には、激しいご示談となる。だか、なかなかもう一歩が出ない。一つ一つの話には頷いておられる。納得もされている。しかし、胸が承知しないのである。その胸には、自分の中で作り上げた美しい信心の姿と、そこに至るための方法か、ちゃっんと準備されている。だから、自分の都合のよいところを聞いて、その想い会わないとこは拒否をする。熱心に話せば話すほど頷き、納得され、涙もされるのだが、翻るということなはない。

 自力が捨てられないからだ。

 ならば、こちかが搦手から関わっていくことした。すると、自分の想いに会わない話は、受け入れられないことがハッキリする。聞法は、そこの自分を聞いていくのだが、今度は、そこを聞かずに、どう受け入れるかに腐心されていこうとされる。何もかも、自分で解決しようとするのだがら、他力のご回向とはいえない。

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三十三回忌法要

  高山法座に向かう朝、三十三回忌法要のために宇治まで足を延ばす。

 不思議なご因縁で、檀家のようになっておられる。華光会館が完成してしばらく後、ご近所の方からのご主人のお葬儀の依頼があった。それから60年近くの月日が流れたが、息子世代になって、宇治に引っ越しをされてからもおつきあいが続いている。その奥様の葬儀も引き受けたが、その方の三十三回忌が巡ってきたのだ。

 ほんとうの家族だけの集りだったので、45分ほどご法話をさせていただいた。世情を交えながら、母親のご恩や浄土真宗の他力回向のおこころなどをかみ砕いてお伝えしたつもりだ。皆さん、特に実家もお東の檀家だという奥様は、よくうなづき、相槌も打って熱心に聞いてくださる。しかしである。自分事としてのご聴聞、聞法となると、ここからが至難である。チラシも持って、1月の報恩講や4月の永代経の説明をしお参りをお勧めしてみるのだが、ただ愛想笑いをされるだけで、なかなか次の一歩がでないのである。

 お盆の時もそうだが、わざわざ家族が総出で、外まで出て、車が見えなくなるまで、お見送りしてくださる。

 当たり前のことりが、世間では、お寺は亡き人の供養回向の場としてのおつきあいなのである。そこを丁寧に勤めてもらえることを喜んでおられるのである。

 でも、仏法は故人てはなく、今、生きている私の、後生の行先を解決させてもらう一大事であるが、そこに心を寄せるには、転機というか、飛躍が必要なようだ。

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宍粟の紅葉

Img_9749 今年の宍粟宇市の寺院布教は、華光大会の関係で、12月の永代経になった。

Img_9741_3 師走に入ったのに、随分、温かい。各地で、12月としての最高気温を更新している。何十年ぶりということが、毎年のように起こっている。今年ほど異常気象という言Img_9746葉が聞いたことはなかったが、すでに「異常」が「通常」になるほど、当たり前になった気候や天候の年であった。

Img_9744 しかし温かさのおかげで、いつもは紅葉には遅いのに、今年はまだ見頃で、境内の池に紅葉が映えている。

 そのうえ、裏山の神社咲いている十月桜も、いつもはに散っているのに、まだ花をつけていていた。11月の時にはよくあることだが、12月では初めてである。
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豊国神社~方広寺~耳塚

Img_9711 マチャプチャレは、正面通という東西に走る道に面している。正面通は、渉成園、東本願寺、西本願寺で中断されるが、両本山の正門を通っている。そこは敬意をこめて「御前通」とも呼ばれいるのだが、しかし東西本願寺の正面から名付けられたのでなはい。「大仏」Img_9706正面という意味である。京都に大仏? 実は、ここには奈良の大仏殿の三倍!という巨大大仏殿があったのだ。豊臣秀吉の造営である。何度も火災や大地震の被害をImg_9700受けて、今はもうない。

 今は正面に秀吉を祀る豊国神社がある。せっかくなので、ちょっと参拝。この唐門も、国宝にImg_9701_2指定されている。

 たまたま結婚式の最中で、生の雅楽の雅びの音色が響いていた。

 大仏殿はないが、豊臣家が滅亡の口実にイチャモン(陰謀)をつけれらた「国家安穏、君臣豊楽」の銘が入った方広寺の大梵鐘は残っている。巨大もなImg_9717のなのに、戦中の金属供出を逃れたのだらう。

 すぐ近くに耳塚という供養塔が建っている。秀吉の朝鮮出兵時、各武将が戦功の証として、朝鮮人のImg_9721耳や鼻を塩漬けにして持ちえ変えたものだ。本来なら、首なのだろうが、嵩張りすぎたのだろう。当日、朝鮮半島では、耳や鼻のない人がたくさんいとう文献を読んだこともある。
 今回は行かなかったが、豊国神社には馬塚という立派な五輪塔もある。

 耳塚の向いにある老舗の和菓子、甘春堂で一服する。久しぶりにお抹茶を頂いた。小学校の頃かImg_9722ら、ぼくは苦い抹茶が好きだった。今は、世界的にも抹茶味がブーム。

 Kご夫妻ともお別れの時が近づいた。最後に奥様からご信心の話題がでた。

 一味であっても百人百色の姿があるのが仏法である。老若男女、国柄、そして性格も違うのだから、それは同然だ。しかし、他力の本願のご回向であるのながら、その底は一味の味わいが流れている。凡夫は凡夫の仕事をし、仏様の仕事はとってはいけないのである。私に仏様の心配は入らないのである。
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(↑盛り土の上に五輪塔の耳塚)

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三十三間堂(2018年紅葉京都(5)

Img_3502 外国からの来客があると、京都で案内する場所は、近場の西本願寺、東寺、そして三十三間堂というが、ぼくの定番である。最近でも、昨年の8月にアメリカのご一家を、台風の中でご案内している。

Img_3503 中でも東寺の立体曼陀羅、それ以上に三十三間堂の千体の観音菩薩像は、圧巻の一言で、皆さん感銘をうけられる。

Img_9662 「観音さまは、冠に、おアミダさまを頂かれ」

 という子供の聖典を通り、十一面観音は、十一のお顔と共に、正面の冠に、阿弥陀様の化佛を頂いたおられるのであImg_9670る。そのことを説明すると、いたく感心していただいた。
 そして、二十八部衆と、雷神・風神像は、鎌倉期のすぐれた写実的な表現。人間に近い天部は、表情も豊かで、いろいろな特色があってなかなか面白い。「これウルトラマンのモデルですよ」とか「この人、もともと赤ちゃんをさらって食べてたのです」とか、「四十八願の二十六願にImg_9678あるように、本願力で凡夫ものこの仁王さんのような力を得るのですよ」と、トレビアを交えながらの拝観である。

Img_9673 中央のご本尊で、巨大な十一面観音も国宝、さらに左右シンメトリーに置かれた1000体の観音様も、風神雷神に、二十八部衆もすべて国宝に指定されているのである。指摘されている。特に、今は、通常は、3つの国立博物館に出張中の菩薩方もお帰りになっていて、1001体のすべてが揃っておられる貴重な時季である。

 そして、ここは法然上人の遺跡でもあることは、以前も触れた。その因縁も興味深い。このImg_9665_2ことは、ここに詳しく書いでいる。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-49aa.html

 お庭も散策したが、紅葉も見頃できれいだった。お堂の中で堪能するので、ぐるっとお庭までは拝観しない。

Img_9683 三十三間堂は通称で、正式名は「蓮華王院」。連れ合いが、芝居の舞台から、「一間は、柱と柱の間一つ。畳の長い(立て)幅で、約1・8メートル。いまでも、芝居の時の舞台の単位なんです」と、教えてもらった。成人の日には、通し矢が行われる。着飾った晴れ着姿の女性など競う姿は、、正月の風物詩。
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久々のマチャプチャレ

Img_9656 永観堂と、午前中、東福寺を拝観して、たっぷり紅葉は堪能した。

Img_9657_2 お昼は、オガニックカフェのマチャプチャレにお邪魔した。食事をするのは何年ぶりかである。連れ合いと何度か来たが、臨時休業のことか多かったのだ。

 元連れ合いの絵に囲まれながらの食事Img_9652である。 

Img_9654 ママも、大将も元気で、天然木のログハウスの建物や、京都に数台しかないというパラゴン(スピーカー)のこと、ジャズのこと、ネパールのこと、自然食品のこと、そして北海道のことなどなど、ずいぶん話題が広がった。ここのママは、余命数カ月のガImg_9655ンと宣告されるが、食生活を変え、生活を変え、生き方を変えられたら、ガンを克服されて、ますます明るく、元気になられたのである。

 「かりもんさんが元気そうで、うれしいわー」、こちらが元気をもらった。

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東福寺の紅葉(2)方丈篇(2018年紅葉京都(4)

Img_3467 通天橋庭園から、方丈の庭を拝観する。釈尊の八相成道にちなんだ、八相の庭が有名だ。

  方丈とは、禅宗での僧侶の住居だったのが、相見(応接)の場とImg_9576しての役割を担うようになった。明治期の火災によって焼失したものう再建されたのだが、庭園は、昭和に入り、作庭家Img_3465の重森三玲によるのもなので、モダンな匂いがする。それでも国指定の名勝の庭園だけあって、禅寺の趣と、気品を兼ね備えている。東西南北にそれぞれ庭を拝して、南庭を5つ分けて、釈尊の生Img_3472涯の重要な八つの出来事(1受胎、2出生、3処宮、4出家、5降魔、6成道、7転法輪、8入涅槃)に重ねているという。八相成道は、『大経』でも、その会座に集う菩薩たちもまたその歩みをしている。ちなみに、2のルンビニー、6のブッタガヤ、7のサルナート、8のクシナガラが四大仏跡ということになる。ただ、それぞれの庭が、釈尊の八相とどう対応するのかは、凡夫のぼくは不明だった。
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↑南庭は、大海に、蓬莱などの山々を拝した枯山水の庭
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↑南庭の西側は、「五山」に見立てた築山を配する
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↑西庭は、井田市松。さつきがの頃はまた見事だろう
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↑北庭は、さらに細かい市松模様。コケの緑と色紙が現代風
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↑東庭は、北斗七星に見立てられる。円柱の柱は東司(重文だが、早い話が便所)の石柱の余石
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↑国宝の「三門」。楼上には極彩画が残っている。特別拝観の時だけ拝観できる
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↑たまたま撮影で開門されていた本堂。三月に開帳される涅槃図が有名
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↑本堂の天上の龍は、堂本印象画伯の作。

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東福寺の紅葉(1)通天橋篇(2018年紅葉京都(4)

Img_9471東福寺は、会館から10分足らず。高校への通学路だった場所だ。今日も、母校の前にあるコインパーキングに停めた。東福寺やその塔頭については、ブログでも何度も登場するが、3月の涅Img_9475図開帳やイベントの時だ。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b58b.html

Img_9493http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_d166.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-f17c.html

Img_9480http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-e237.html

  京都でも有数の紅葉の名所だ。東寺、東Img_9464西本願寺と並んで、ぼくには庭のような東福寺だが、混雑ぶりも充分知っているので、紅葉の時は避けていた。人を見に行くようなものだからだ。でも、今回はアメリカからの来客なImg_3422ので思い切って参拝を決めた。こんなことでもないとなかなか足が向かない。
紅葉の時の参詣は何年ぶりか。写真にImg_9519残っているのが、小学生の時に父と来た時のことだ。それ以降の記憶はない。もしそれが最後なら、約47、8年(約半世紀)ぶりということになる。その時は、今ほどの混雑はなかったように思う。

Img_9531京都五山の一つで、臨済宗の大本山であImg_3438る。広い境内は、拝観は自由だ。本山に入るまではに、周辺には25ケ寺もの塔頭が取り巻いている。今が紅葉の見頃で有料拝観できる塔頭もあるが、今Img_9551回はパスしてメインの通天橋に入る。

通天橋庭園に入場するなり、紅葉、紅葉、紅葉と、とにかく見事である。

 近所の方の道路でもある「臥雲橋」からも「通天橋庭園」眺めることもできるが、やはり有料(400円也と安い)拝観Img_9559をするに限る。ここから重文の開山堂と普門院の前庭は、五Img_9488月のころが見頃。そこからは通天橋へと向う通路からの眺めはすばらしい。黒い甍を懐く巨大な本堂、赤や黄色の紅葉の中に浮かび上がっている。橋の柱を額縁にした庭も、紅葉が一層映える。

混雑を避けるために、橋からの写真撮影が禁止になったが、混雑が酷くないときは、大目に見てもらうようだ。みんなシャッターを切っている。それだけの眺めである。

通天橋庭園の紅葉を満喫して、方丈へ。
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