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妙覚寺(2018年紅葉京都(2)

Img_9258 本法寺、妙覚寺、妙顕寺は、200~300メートルの近距離にある。母の足を考え車で。お寺は見えているのに駐車場の入り口がわからず、グルッと回って妙覚寺へ。

Img_9180 3時を少し回ったところだが、拝観受付は終わっていた。ダメモトで尋ねてみたが、快く受付けくださる。ライトアップは、Img_9186夕方6時からだ。

 ここも拝観者はぼくたちだけで、ゆっくりさせてもらえた。

Img_9191 やはり日蓮宗の本山である。いまでこそ寺基は普通が、室町時代には、山内に百余りの塔頭と、末寺千ケ時のImg_3396大本山であったという。ところが、天文年間に比叡山による日蓮宗二十一ケ寺をすべて焼き払いによって壊滅的な打撃を受けた。比叡山による大谷破Img_9230却(本願寺弾圧)の60年後のこと。比叡山は、信長の焼き討ちの被害者(仏敵とする)であるように振舞うが、新興仏教(浄土・日蓮、禅)に対して、武力Img_9248行使して弾圧し続けていたのである。そのころの本願寺は、山科本願寺が焼け落ち、大坂(石山)本願寺にに移転したころた。当時は、盛んImg_9231に法華宗と一向宗は武力衝突をしていたようである。

 その後、信長の庇護をうけ、彼の京都での常宿になっている。信長の上洛20数回Img_9225のうち、この妙覚寺18回、そしてやはり日蓮宗の本能寺か3回だけで、その3度めが本能寺の変であるという。通常なら、「妙覚寺の変」になっていたというのだ。これも今Img_9238回、拝観して知ったことである。

 というのも、美濃領主斎藤道三が、幼少期にこの寺の小僧であり、彼の息子が継職をすることになったからだ。斉藤道三は信長の舅にあたる縁もあった。信長は、比叡山や本願寺の天台系と抗争関係にあり、京都で両者に対抗しうる勢力である日蓮宗と結んだということにもよる。

Img_9268 しかし、度重なる戦火や火災で移転を繰り返し、往時の大本山を窺わせる面影はななImg_9279い。

 法姿園という自然庭園の紅葉が美しかった。曇りだったことと、まだ少し見ごろには早いようだか、なによりも靜寂さは貴重だ。箱庭もお洒落だ。決して広くはないが、混雑している京都の紅葉の穴場である。拝観料800円也。次回は、拝観時間の関係で諦めた妙顕寺と、ライトアップの時に訪ねてみたい。

 ささやかではあるが、母の83回目の誕生日を、木屋町通にあるフレンチのお店でお祝い。新規開拓のお店だったが、リーズナブルでおいしく頂けました。
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