華光誌輪読法座
山間部の高速道路を走ると、トンネル連続5カ所といった標示がある。
その表現を借りるなら、法座連続4日ということになる。それもそれぞが違う特色のある法座だ。
当初の予定では、大会の前週で宿泊法座はいれず、平日の「華光誌輪読法座」、日曜日の「大阪支部法座」の二つだけだった。それが、福井での出講の話があり、また法話の先生の都合で土曜日にも「日曜礼拝」(土曜礼拝になるのか)が急に入って、連続法座になってしまった。
まずは、華光誌輪読法座。「正信偈の大意」の6回目。依経段も、弥陀の救済の因果が終わって、釈尊の教説にはいった。
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言如来の世に興出したまう所以は、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、まさに如来の如実の言を信ずべし。
の釈尊の出世本懐のところだ。今回は、大意や句解のところを読む。
参加者がこれまでの輪読でもっとも少なく、いつもよく知るメンバーだけである。ただ、教義的なことに無関心(時に嫌悪)な方もおられて、正信偈のような「誌上講話」の時は静かになるが、少し話題がずれると急に賑やかになる。なかなかこのさじ加減が難しい。教義のことばかりだとみんなは面白くなく、雑談ばかりが続くと、輪読の意味がなくなるからだ。
「本願海」「群生海」という「海」が2度もたとえられる。親鸞聖人と海の話題が書かれている。その中で、最初(45年前)の越後への聞法旅行で日本海に差しかかると、初めて海を見たという大人(奈良県の山深いところ)から、「わあー」という歓声が揚がった話題がでている。「それは、私のお祖父さんでしょうね」という奈良の方があった。実は、そうなのである。そこから、各人が、初めて海を見た時のことや、初めて海で泳いだ時、また海の水をこっそりなめた話題などずいぶん盛り上がった。みんな、海なし県(奈良、滋賀と、京都市内)の方ばかりだった。それだけ海の広さと不思議さがあるということで、どんどん話題が広がっていった。
ところが、その「本願」とは第十八願であるが、ここでは、前文を受けるならば、真実五願のことだとも見られると説明がある。それでは、前文とは? 真実五願とは? あれだけ賑やかだったのが、急に静まりかえった。なるべくかみ砕いて説明をしたが、うーん、ここは悩みどころである。需要(法談を思いきっり話したい)と供給(たいせつな要をきっちりと教義の上で押さえている)のバランスをどうとるかということである。
句解をすべて読み終えた感想を尋ねると、「思ったよりも分かりすかった」といった声が多かった。そうである。そのあたりを一番、心得ておられたのが悟朗先生で、五濁悪世の説明など、ほんとうに私の身近な話題で教えてくださっているからである。
★次回は、12月26日(水)昼1時30分~4時30分
華光誌77-4号「正信偈大意」の続きで、通釈(おこころいたいだ意訳)と、「出世本懐」の補足のところ。まだ少し先のことでが、今年最後の法座になりますので、奮ってご参加ください。
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