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2018年11月の24件の記事

『永観、遅し』と永観堂ライトアップ(2018年紅葉京都(3)

Img_3399 アメリカでたいへんお世話になったKご夫妻を京都にご招待した。これまでご一緒に食事はしても、京都案内はできないままだった。せっかく11月の華光大会に合せImg_9350てお出でになったのた。少しは秋の京都を満喫していただこうと、京都紅葉の定番中の定番を巡ることにした。
 
 初日は夕方から永観堂のライトアッImg_9358ブを楽しみ、ローフードのイタリアンへ。翌日は、朝一番に東福寺を拝観し、智積院、昼食を挟んで、三十三間堂と東Img_9432山の南部を巡る。ランチは、すぐ近くのマチャプチャというオガニックカフェならば、京都駅もすぐ近い。

 まずは夕方5時30分開門の永観堂Img_9441へ。車は不可なので、タクシーを利用。開門30分前の5時には到着。ところがもうすでに何百メートルもの長い行列が出Img_9365来ている。

最後尾に並んで係に尋ねると、「6時30分頃でしょうかね」との返事。90分待ちか。並ぶのは覚悟の上で30分前に到着Img_9353したが、考えることはみな同じだとうことだ。でも敷地は広いので、入場が始まれば早いという期待はしたいた。長蛇の列Img_9357はどんどん伸びていくが、これは個人客だけ。5時15分頃になると、観光バスが続々と入ってくるが、大手団体ツアーは大行列を横目に、別の入り口から入場していくようだ。8年前も並んだ記憶はあるが、ここまではなImg_9410かった。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-5056.html

ただ師走を前夜なのに、温かいのが幸いでImg_9398ある。そして、開門と同時に列も動きだした。チケットも効率よく代える仕組みが出来ている。5時50分頃には入場できた。
 
Img_9383_2 阿弥陀堂にもお参りできた。西山派らしく観無量寿経変相図(浄土曼陀羅)が脇に掛けられている。見返りの阿弥陀如来である。

Img_9378「永観、遅し」という呼びかけられる阿弥陀様。

ぼくは、これを真宗的に味わっている。Img_3401「かりもん、遅し」。そうだよね。十劫もお待たせしてきたのだから、大遅刻も大遅刻。このお言葉が有り難い。

 ちなみに永観堂は「えいかんどう」と呼ぶが通称名で、正式名はImg_9355「禅林寺」である。そして永観律師も「えいかん」ではなく「ようかん」と発音するがImg_9435、羊羹のようで、一般には「えいかん」である。法然上人より先達の日本浄土教の先駆的なお祖師である。しかしお寺の歴史は、それよりもさらに200年以上前に遡り、もともとは真言密教のお寺だったという。「永観、遅し」も、念仏三昧の行道のエピソードである。それが、なぜ西山浄土宗の本山になったのか。

 Img_9438 鎌倉時代の住職だった静遍(じょうへん)僧都が、法然上人の専修念仏を撃つために『選択集』を読むも、読めば読むほど、間違っていたのは自分の方だったと気づき、専修念仏に帰依し、證空上人を次の住職に迎えたというのである。
 
 これもまた有り難いエピソードだと思う。南無阿弥陀仏

 ライトアップされた紅葉は艶やかで、真っ赤のものから赤みを帯びもの、だいだいに、黄色に、まだ緑のものと、そのグラデーションが見事というしかない。湖面に映る紅葉も絶景だが、残念ながらうまく写真には収めきれない。実物よりきれいに切り取れる写真もあるが、なかなか目の前の風景を収めきることはできないのも事実。
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四十八願のこころ(18)~第三十五願

「たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人ありて、わが名字を聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終りてののちに、また女像とならば、正覚を取らじ。」(第三十五願・女人成仏の願)

「もし私(法蔵菩薩)が、仏になるとき、無数の量り知れないほどの諸仏方の世界の女性が、私の名(南無阿弥陀仏)を聞いて喜び信じて(信心を獲て)、悟りを求める心を起して、女性の身であることを嫌ったものが、いのち終わった後に、再び女性になるようなら、私は決して仏とはなりません」

 皆さんは、この願を聞いて、率直にどう思われましたか? 

 第三十五願は、変成男子(へんじょうなんし)の願とか、女人往生の願とも言われます。
「女身を嫌う」「また女性に戻るようなら」など、今日の眼から見れば、明らかな女性差別の文章です。時代や社会を超え、一斉の生きとし生きるものを救いたいという弥陀の本願も、それが人間の言葉として説かれる時、社会的制約(古代インドの女性蔑視の思想)を受けざるおえなかったということでしょう。つまり「女性は絶対に仏に成れない」という根強い差別があったのです。

 しかしここでは、女性が仏に成ることを排除するのではなく、女性こそがお目当てだというお心、つまり十八願のお心を重ねて、女性に向けてお説きになったのだと、親鸞聖人は頂かれました。それを受けて、蓮如上人も盛んに女性が正客であるという『御文章』を書かれています。

 それでも、現代の私達は、たとえばLGBTの言葉に代表されるように、生れながらの性にとらわれず、各人が自由な性を選び、互いその違いを尊重して多様性のある豊かな社会を目指そうとしています。その眼から見れば、十分に配慮せねばならない点あります。差別を再生産する根拠にしてはいけないのです。

 異なる性を差別する迷いの根は深いものです。しかし、そもそも今生だけで、「男だ」「女だ」と威張っても、前世や来世で、同じ性であるわけがなく、結局、オスかメスかで迷いを繰り返しているのですから、最後は必ず我が身に返ってくるわけです。それが分からないのが迷いの恐ろしさでもあります。

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寂しさと、忘れ物と、抗議と

   3日間の集いは、前半組(1~2日目昼座まで)と後半組(2日目から3日目の最後まで)とに分かれることがある。2日目夜に総会があるので、最近は、やや前半組が多い。先生方も、今年は4名が前半組で、3日目は急に手薄になった。

 3日目の法座終了後、玄関でお見送りをし、後は当番や役員さん、京都の方が、掃除や後づけに残ってくださる。最後に、当番の方との反省会。10名ほどが遺るが、列車の都合などで、また一人二人と減っていき、最後のお一人をお見送りてした。

 賑やかな法座、特に3日間ある法座ほど、この時が寂しい気分になる。そして、張りつめていた気が抜けて、どっと疲れも出てくる。最後は、事務のTさんと家族3名だけになり、最後の片づけと戸締りをしてTさんも帰った。今夜は、連れ合いも明日からの東京での劇団公演のために、出発することになっている。

 ところが、キャリーバック2つ、道場の真ん中に残っている。まだ誰か館内にいるのか。探し回ったが誰もいない。Tさんのものではない。一つは宅配便の荷札からカメラの機材であることがわかった。どうやら会館に置いておくらしい。しかし、もうひとつは謎だ。小さな手提げならともかく、こんな大きなキャリーバックを忘れる人がいるのか。そして、黒色のダウンベストも近くにある。もしや、誰か館内にいるのか。ちょっと気味の悪い話だ。

 遅い夕食を食べようとした時、例の抗議の電話がかかる。ある同人のお父さまだ。もう90歳を超えた老父が、すでに定年退職された息子への干渉である。要は、学生時代に出会った仏法のせいで、仏法狂いになって破綻した。お前のせいだという抗議である。

 昨年は○○日、一昨年は○○日、今年、すでに44日も法座に参加して、仕事もしないという。そこから例によって、勤め人なのに出世しなかったこと。仕事ができずに、課長が自宅おしかりをうけたこと。結婚生活が20年近くで破綻したこと。お見合いが何度ももうまくいかなったことは、かなり具体的に話された。(これは初耳で面白かった)。そして、部屋が異常に散らかっていること。すぐ衝動買いすること。そして人づきあいをできない人格異常者(父親談)であることなどなど、次々と話された。

 そのすべては、仏法のせいで、こんな異常者になってしまったのだと。学校の校長までつとめ、叙勲までうけた(この話しも必ずでる)A家の恥さらしだというのだろう。二度と案内は送らず、絶対に誘わない。そして除名よせが親の意志。何度もいっても聞きいれないのから裁判をおこすとまでいわれる時もある(今回はなかった)。

 もっとも未成年ならともかく相手は立派な大人である。仕事をしないといっても立派に定年まで勤めあげられ、今は、老齢の両親と同居しながら、日夜、畑仕事をされている。そこをいうと(法座に出ない時は、働いていると認められた)。お子さんだって立派に育てられている。別に、ギャンブルやアルコール依存で破綻されたり、社会的な異常では決してないのだ。穏やかで、老齢のご両親を大切にされているのは、ここに集う方はみなご存じだ。

教育者、人格者として一ミリも「自分の育て方が間違っていた」という視点はない。責任転嫁も、ここまでくると見事だ。それでも、怒りを前に、こちらの不徳を詫び、「お父さんとしては、ずっと家にいて、親の願いをかなう男になってもらいたいのですね」と受けたて、お体のことをなど心配してら、言うだけ言って電話を切られた。

直後、忘れ物の主から連絡がある。大きなキャリーバックを忘れる人がいたのだ。

さらには「お弁当を頼んで食べたのに支払いを忘れて無銭飲食です」という電話。いろいろ、と面白い人がいるものだ。

明日は、大量の遺ったゴミだしと、布団と弁当箱の返却である。お疲れさまでした。

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華光大会~自由自在な働き~

 華光大会も盛況の内に終わりました。お世話役の皆様、当番の東海支部の皆様、ありがとうございました。

 やっぱり3日間の宿泊法座はいいですね。大会前夜、夕食直前に下痢となりましたが、期間中は、鼻水が酷かった程度で、体調に問題なく、おかげでたっぷりとご法に浸らせてもらえました。(さすがに反省会が終わった後は、疲れましたが、、)

 6座に渡って先生方の熱のこもったご法話を頂き、また座談会での皆さんと接することで、気付かせて頂くことも多かったです。

 なにより法の威力で、何と厚着をしていたのかと、一枚一枚剥がされていきます。飾るんですね。付けてごまかします。それが聞法だと勘違いまでする。でも真実の法の前に立つと、「嘘やろうー」と暴かれていきます。おかげで、より軽く、自由に喜ばせてもらえるようになるから、ほんとうに不思議ですね。

 法の働きこそが、自由自在なんだということを、また教えられました。ありがとうございました。

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明日から華光大会

 法座が4日続いても宿泊がないと、からだは楽だ。懇親会で遅くなることがないからだ。

 ところが、華光大会を前に、体調を崩しった。

 ひとつは、歯痛が続いていた。治療が終わり、9月に定期的なクリーニングも終わったところなので様子を見ていたが、収まらないので歯医者へ。レントゲンを取ると、虫歯が進行して(外かは見えない)神経を抜くことになった。4月に根本的に治療してもらったのに、その時はわからなかったのかと、不信感もおこるが、、。痛みと取れたので、これからがまた治療である。

 その上ゾクゾクすると思ったら、風邪である。日曜日の夜に寒けがしてきた。風呂に入っていて「ああ、きたなー」と感じた。左の足の裏(土踏まず)から感じるのである。案の定、夜中に喉がいたくなり、唾があがる。翌日には鼻水になった。そしてからだがダルクなり、咳が出るという順番だ。熱が出たり、寝込むことはなさそうだが、大会があるので要注意。

 大会を前に咳き込んでいるが、インフルエンザではないので、ご安心ください。

 明日から華光大会、 奮ってご参加下さい。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2018/detail/11/kekotaikai2018-11.htm

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妙覚寺(2018年紅葉京都(2)

Img_9258 本法寺、妙覚寺、妙顕寺は、200~300メートルの近距離にある。母の足を考え車で。お寺は見えているのに駐車場の入り口がわからず、グルッと回って妙覚寺へ。

Img_9180 3時を少し回ったところだが、拝観受付は終わっていた。ダメモトで尋ねてみたが、快く受付けくださる。ライトアップは、Img_9186夕方6時からだ。

 ここも拝観者はぼくたちだけで、ゆっくりさせてもらえた。

Img_9191 やはり日蓮宗の本山である。いまでこそ寺基は普通が、室町時代には、山内に百余りの塔頭と、末寺千ケ時のImg_3396大本山であったという。ところが、天文年間に比叡山による日蓮宗二十一ケ寺をすべて焼き払いによって壊滅的な打撃を受けた。比叡山による大谷破Img_9230却(本願寺弾圧)の60年後のこと。比叡山は、信長の焼き討ちの被害者(仏敵とする)であるように振舞うが、新興仏教(浄土・日蓮、禅)に対して、武力Img_9248行使して弾圧し続けていたのである。そのころの本願寺は、山科本願寺が焼け落ち、大坂(石山)本願寺にに移転したころた。当時は、盛んImg_9231に法華宗と一向宗は武力衝突をしていたようである。

 その後、信長の庇護をうけ、彼の京都での常宿になっている。信長の上洛20数回Img_9225のうち、この妙覚寺18回、そしてやはり日蓮宗の本能寺か3回だけで、その3度めが本能寺の変であるという。通常なら、「妙覚寺の変」になっていたというのだ。これも今Img_9238回、拝観して知ったことである。

 というのも、美濃領主斎藤道三が、幼少期にこの寺の小僧であり、彼の息子が継職をすることになったからだ。斉藤道三は信長の舅にあたる縁もあった。信長は、比叡山や本願寺の天台系と抗争関係にあり、京都で両者に対抗しうる勢力である日蓮宗と結んだということにもよる。

Img_9268 しかし、度重なる戦火や火災で移転を繰り返し、往時の大本山を窺わせる面影はななImg_9279い。

 法姿園という自然庭園の紅葉が美しかった。曇りだったことと、まだ少し見ごろには早いようだか、なによりも靜寂さは貴重だ。箱庭もお洒落だ。決して広くはないが、混雑している京都の紅葉の穴場である。拝観料800円也。次回は、拝観時間の関係で諦めた妙顕寺と、ライトアップの時に訪ねてみたい。

 ささやかではあるが、母の83回目の誕生日を、木屋町通にあるフレンチのお店でお祝い。新規開拓のお店だったが、リーズナブルでおいしく頂けました。
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本法寺(2)~仏勅莫背~

本法寺のこぼれ話である。京都には日蓮宗の寺院が多いが、ぼくが拝観したお寺は少ない。
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 ≪↑日蓮聖人の「日」≫
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 ≪↑ご不浄にも守護の明王≫
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 ≪↑佛・法・僧の三宝≫
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≪↑十莫   仏勅に背くこと莫れ ≫
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本法寺(2018年紅葉京都(1)

Img_9149 母の誕生日をかねて、恒例の紅葉狩りにいく。

 だんだんと母の行ける場所が減ってきた。狭い場所でも、砂利Img_9054道はだけで、石畳も難しい。手すりのない階段も不可である。いまではバリヤーフリーというが、昔の寺院は、難しい条件が揃っている。玄関からして段差が激しいのだ。

Img_9068 昨年、ライトアップの情報をみて、今年は早くからお寺を選んでいた。Img_9076今出川を過ぎた堀川通沿いにある日蓮宗の本山の3ケ寺ある。会館から堀川通を上がって、西本願寺、二条城を過ぎて、まもなくである。

 まずは、本法寺。駐車場は、裏千家の茶道資料館のところから入っていけばいいのだImg_9072が、お隣の道だと思って、少しグルグル回る。茶道環形の行事があるのか、観光バスが並んでいた。

Img_9067 堀川を一筋東入ルと、小川通である。このあたりは茶道関係の聖地だ。裏Img_9081千家の会館や今日庵がある路地は、石畳の道にまことに風情があった。

Img_9080 堀川通をよく行き来するが、こんなお寺があることを知らなかった。ぼくは大概、京都のお寺に詳しい、子供の頃かImg_9095ら、有名、無名なお寺を拝観させてもらっているが、やっぱり京都は奥深すぎる。
 
 境内だけなら自由に拝観だける。本堂Img_9116の横には、形のよい多宝塔が立っている。その他に立派な伽藍が建っていた。

 お庭の拝観。観光客は他に1人だけImg_3370_2と、街中なのにまったく静である。宝物館には、長谷川等伯の巨大な涅槃図(複製)が掛けられていた。その大きさに圧倒される。他にも、本阿弥光悦の絵画Img_9155や書画などが収納されているが、重文の書画も多数もっておられるようだ。

 ぼくたち以外にはお庭を拝観する人もなく、靜寂の中で、書院の襖絵と、三つの庭を見せてもらった。ただ紅葉には少し早かった。日当たりの悪いところは、まだ緑色で、月末でも、まだ十分であろうか。
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 ≪↑形のいい多宝塔≫

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 ≪↑ゆかりの光悦の松と、長谷川等伯像≫
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 ≪↑十(つなし)の庭≫
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大阪支部報恩講~だまされている~

 法話連続4日の第4日目は、華光会館での大阪支部報恩講。

 お正信偈を勤行し、法話2席と、信仰座談会という、普段の支部法座の形式である。

 古い華光誌を読んでいて、何気なく見つけた黒河氏の連載記事、「華光の法座」の一節を取り上げた。35年前の記事である。「草の根運動」という題の一節で、「だまされている」という小見出しの短文を材料にした。

「人はみな、だまたまいと外に向って用心をするが、肝心かなめの自分にだまされている。これほど始末に困るものはない。自分で自分にだまされているのだから、これは気のつく道理がない。虚仮は、真実に出会ってこそ、初めて自分の虚仮不実がわかる。「地獄はない。極楽はウソ」、そして「何か先によいことがある」と、みんな自分にだまされている。」

というように始まる。以下は、要約である。

 では、何にだまされているのか。大会などの座談会でそう感じ、受付で皆さんのお姿をみて、そう感じる。それは「仏法がわからん」と言っていた、かっての自分がそこに座っている。それでも、「いつかは何とかなる。仏法は聞ける」と、自分にだまされて座っているのだ。現実に聞き開けぬまま亡くなった方や諦めた方だっておれらる。「もしも、私も聞けないのではないか」と、そこに心がいけば心中が穏やかではすまないのに、皆さん、静かに穏やかに座っておられる。自分にだまされていることに気付かないと、取り返しがつかない。現に自分の座っている足元から、火の手があがっているのだ。
 
 では、どうして自分にだまされるのだろうか。

「いつも学問や知識、財産や相手などを問題しているからである。仏法の上ても、やれ安心や信心やと、いつもお話や対象物ばかりを「まな板」の上にのせて、それを自分の好きなように料理して、わが身につけることばかりで、ひともつ自分を「まな板」にのせたことがない、その罰である。
 早く法の「まな板」の上に自分がのって、お浄土でもどこでも、阿弥陀仏のお好きなように料理してもらったほうが、賢明である。」

 この頃の華光誌を読んでいると、こんな鋭いお同行がたくさんおられた。法座が引き締まるのである。最近は、華光でも、お慈悲や親の願い聞く、お念仏というお勧めが主流だ。別にそれはそのとおりなのだか、それだけ聞き手も、説き手も、自信がないのだろう。それで早く仕上げてしまいたいのである。
 でも、このような厳しい文章に出会うと、心が踊る。自分を「まな板」をのせて聴聞するのは、別に未信者に向けた文章ではないのだ。
 「お前、有り難い有り難いと言っているが、ウソやろう」と指をさして、ご意見。法悦を仮面を引き裂く文章。

 皆さんは、どう聞かれますか?

 

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日曜(土曜)礼拝~大悲の親様の温かさ~

 法話連続4日の第3日目は、日曜礼拝ならぬ土曜礼拝。ご法話担当者と、若手の先生方の都合で、土曜日になった。

 今回は、いつもと少し様子が違った。ベテラン先生が欠席で、オルガンも連れ合いが担当、法話も、ママ代表で、大学生の女子か助手(アシスタント)についた。内容も、ワークを中心に盛り沢山。子供だけでなく、ママにもアプーロチした内容だった。事前にさまざまな方をお誘いし、また準備をされてたいことが、よく伝ってきた。

う 実にさまざまなものがこめられた法話だった。日礼のご法話は(子供の受容範囲)があるので15~20分となっていたが、1時間近くもあった。歌あり、手遊びあり、二人でのよいところを見つけるワークあり、背後からのハグのワークあり、落ち葉を拾うワークありと、ほんとうに盛り沢山だった。それだけ 法話担当者の篤い思いがこめられいた。同時に、彼女がいま喜んでいるところ、彼女の浄土真宗の信心のお領解が、そのまま現われる内容だった。
 もしも、ハッシュタグをつけるならば、

 #そのままの救い #安心 #温かさを味わう #背後からのハグ #摂取不捨 #大悲の親様

 というあたりか。その中でも、テーマは「大悲の親様の温かさ」になるかな。

 座談会での皆さんの感想も実にさまざまで面白かった。それだけあたり障りのない話ではなかったということだ。その中でも、母の感想は流石にしまっものだった。どんなに有り難いことで安心しても、肝心の自分が抜ければ意味がないのである。
 

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福井同朋会法座~気休めでは済まない~

Img_9013 法座連続4日の第2日目。

 福井東別院での同朋会法座。今年、3回目の出講となる。

 少し早い列車だったので福井の別院までブラブラ歩いた。20分ほどだImg_9014が、福井城跡の県庁の公園に岡倉天眞の像があったり、官庁街を通ったりで、退屈しなかった。福井駅間から官庁街なのに、人通りはほとんどないことにも、ちょっと新鮮だった。

Img_9015 法話は、朝座と昼座の2座、それぞれ前席、後席の2席のご法話となる。そして最後に、1時間弱の座談会を行う。
Img_9031 お参りは多くはなかったが、聞法会の方もあれば、同人の方ある。初めてお会いする人かた、朝座だけの方、昼座から参加の方とさまざまで、法話の焦点は当てづらいかった。講題を「ご本願のおめあて」としていたので、それに沿って、

「如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としてまひて
 大悲心をば成就せり」

Img_9035をご讃題に、(私にとって)不都合でも、(仏様からみれば)真実ある、不都合の真実を聞かせていただく教えていただく。それがご本願のお目当ての機(物柄)ということであると、例話や例えを話をたくさん交えたご法話となった。この秋は、このテーマで、自分自身が深めさせてもらっている。

座談会の最後、高齢の男性が、機の深信(地獄一定の自分)と法のImg_9037深信(往生一定の自分)が頭でしか理解できないと語り、「結局、念仏しかないんですよね」「それしか私にできることはなんのですよね」と、何度もそう尋ねてこられた。

「もしここで『そうです。お念仏しかありませんよ』と言ったら、その言葉を握って、自分の心に言い聞かせ、安心のためにお念仏に励まれるでしょう。でも、自分で決めて信じているのだから、慰みにしかなりません。それでもいいのですか。第一、私は、『念仏しかありません』という類の法話はしませんでしたが」と、お答えした。

Img_9021すると、近くに座っておられた女性が、「ワー」と号泣され、「それではダメです」と仰った。そのとおりだ。いくら自分の心に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせても、また都合悪いことを考えないようにしたり、楽天的に捉えてみても、またはお慈悲や念仏を握ってみても、都合よく自分で決めたものならば、所詮はその場の気休めに過ぎない。そんな聞法を百座、千座重ねたところで、迷いは迷いのまま。そのままでごまかして喜んでみても、結局は後生の一大事の前には、みんな崩れるのだ。

すると、「私にできることはなんですか」という問いになる。

ああー。せっかく、そこまで出でいるのに、勿体ない。もうそこで、時間オーバー。

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華光誌輪読法座

山間部の高速道路を走ると、トンネル連続5カ所といった標示がある。
その表現を借りるなら、法座連続4日ということになる。それもそれぞが違う特色のある法座だ。

当初の予定では、大会の前週で宿泊法座はいれず、平日の「華光誌輪読法座」、日曜日の「大阪支部法座」の二つだけだった。それが、福井での出講の話があり、また法話の先生の都合で土曜日にも「日曜礼拝」(土曜礼拝になるのか)が急に入って、連続法座になってしまった。

まずは、華光誌輪読法座。「正信偈の大意」の6回目。依経段も、弥陀の救済の因果が終わって、釈尊の教説にはいった。

如来所以興出世 唯説弥陀本願海 
五濁悪時群生海 応信如来如実言

如来の世に興出したまう所以は、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、まさに如来の如実の言を信ずべし。

の釈尊の出世本懐のところだ。今回は、大意や句解のところを読む。

参加者がこれまでの輪読でもっとも少なく、いつもよく知るメンバーだけである。ただ、教義的なことに無関心(時に嫌悪)な方もおられて、正信偈のような「誌上講話」の時は静かになるが、少し話題がずれると急に賑やかになる。なかなかこのさじ加減が難しい。教義のことばかりだとみんなは面白くなく、雑談ばかりが続くと、輪読の意味がなくなるからだ。

「本願海」「群生海」という「海」が2度もたとえられる。親鸞聖人と海の話題が書かれている。その中で、最初(45年前)の越後への聞法旅行で日本海に差しかかると、初めて海を見たという大人(奈良県の山深いところ)から、「わあー」という歓声が揚がった話題がでている。「それは、私のお祖父さんでしょうね」という奈良の方があった。実は、そうなのである。そこから、各人が、初めて海を見た時のことや、初めて海で泳いだ時、また海の水をこっそりなめた話題などずいぶん盛り上がった。みんな、海なし県(奈良、滋賀と、京都市内)の方ばかりだった。それだけ海の広さと不思議さがあるということで、どんどん話題が広がっていった。

ところが、その「本願」とは第十八願であるが、ここでは、前文を受けるならば、真実五願のことだとも見られると説明がある。それでは、前文とは? 真実五願とは? あれだけ賑やかだったのが、急に静まりかえった。なるべくかみ砕いて説明をしたが、うーん、ここは悩みどころである。需要(法談を思いきっり話したい)と供給(たいせつな要をきっちりと教義の上で押さえている)のバランスをどうとるかということである。

句解をすべて読み終えた感想を尋ねると、「思ったよりも分かりすかった」といった声が多かった。そうである。そのあたりを一番、心得ておられたのが悟朗先生で、五濁悪世の説明など、ほんとうに私の身近な話題で教えてくださっているからである。

★次回は、12月26日(水)昼1時30分~4時30分

華光誌77-4号「正信偈大意」の続きで、通釈(おこころいたいだ意訳)と、「出世本懐」の補足のところ。まだ少し先のことでが、今年最後の法座になりますので、奮ってご参加ください。

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りんごの香り

北海道の連れ合いの実家から、りんごが届く。

といっても、荻原果樹園のものではない。たくさんあったりんごの木はすべて切られて、りんご園は終わってしまったからだ。後継者がないからだ。

これは、近くに住む「三女」といわれる方のところのもの。遠く離れた実の娘よりも、ずっと親孝行で、たよりになる娘さんのようだ。

四種類ほどのりんごが詰め合わされている。

ダンボールをおいてるだけで、甘酸っぱい匂いが部屋一杯に広がっていく。
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豊岡市立歴史博物館-但馬国府・国分寺館-

Img_8974さて、当地のご主人は、華光以上に、近くにある但馬国分寺(浄土宗で、国分寺なので東大寺も関わっている)の復興のために長年、尽力されたようで、いろいろて表彰や高僧の扁額か満ち満ちている。若き日の悟朗先生の御名号と、国分寺の文字が、並んでいた。

残念ながら、但馬の国分寺は無住で予約なしでは拝観できないのだが、薬師堂の扁額は、悟朗先生の「南無薬師佛」の書があるはずなので、いつかそれを拝ませていただきたいと思っている。

Img_9000帰路、その国分寺とは直接の関係はないが、旧国分寺跡に立つ博物館-豊岡市立歴史博物館に立ち寄った。たまたまた博物館の日か何かの記念日で、入場無料だったので、喜んで入らせてもらった。

Img_8998天平年間(いまから1250年前・奈良時代)、聖武天皇は、各国に1ケ寺ずつ、国分寺と、国分尼寺の建立の詔を出す。但馬国は、この日高の地に国府Img_8994(今の県庁)が置かれて、政治、経済の中心であった。その国府に隣接する地に、巨大な国分寺が建立されのである。その国府や国分寺の跡地に、この博物館が立っていた。別名-但馬国府・国分寺館-という別名が示すとおりである。それで、この地で発掘された遺品が展示されていた。他にも、何千年前の考古学の遺跡もあった。

長年、訪れてきた日高の地だったが、初めてこんな歴史があることを教えてもらったのである。

http://www3.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/

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日高支部法座~仏手柑~

Img_8976今回の日高支部法座は、初めて会場を提供してくださると共に、皆さんにも御馳走を振る舞ってくださった

Img_8978ご主人は、若い日に、華光会館に下宿し、その時に商売のことを学び、起業し、成功された方である。お父様は、華光の中心同行となって、永代経法要を開くことや親鸞人の聖跡巡拝の旅を提案してくださった方で、商売の上でも、信Img_8979仰の上でも、遊びの上でも、なかなかの人物であった。お子さんたちは、商売の才能をつぐもの、仏法の相続をされた方と、それぞれさまざまであるが、仏法を大切にされる意味では、皆さん同じなのだろう。

ただ今は、高齢になられた体調くだされて入院中。Img_8981やはり強信の念仏者に育てられた奥様が、切り盛りされている。

日高のおばちゃんたちもある意味で存在感を増している。遠方からの参詣者を喜んで迎えてくださった。

お庭も散策させていただいたが、「今度は春に見てください」というほど、いろいろな草木が植えられていた。

これは、仏手柑という柑橘類の果実。いまは、グー。
Img_8985

 お世話になり、ありがとうございました。

 

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日高支部法座~法座の活性化~

ここ1~2年で、一番、変わったのは法座は、日高支部法座てはないだろうか。

父が元気な頃、ぼくが日高でお参りさせてもらうのは年2回。初日の昼座は月忌参り、夜座があって、2日目は、朝座に子供会(春は子供の花祭り、秋は子供報恩講)で、最後に、みんなで昼食を食べて、その後、短い昼座がある時もあった。それが、高齢化が進み、老・病、死苦が現実となってきて、子供会が無くなり、高齢者が夜座にお参りできなくなって、ここ数年は停滞気味になってたのだ。それでも、支部長のRさんが、先生のいない時にも、自ら率先して、法座をもち、皆さんを牽引くださっていいるのだ。

今回は、日高支部員からの参加の顔ぶれは変わらないが、法座の会場(会所)が変わり、皆さんに参加を呼びかけられるようになった。おかげで、青年~壮年層の皆さんが、東京、大阪、名古屋、京都などからお参りくださり、地元の方よりも賑やかだった。

日高町の同人宅で(今は豊岡市だが)昼座、豊岡市に移動して夜座と、2日目の朝座、そしてまた日高町の同人宅(初めての会場)に戻って昼座と、3カ所を移動しながらの4座ももってもらった。

法話も4回した。移動もかなりある。初日の昼座の後で、月忌参りも4軒あって、そこから豊岡駅前のホテルでチャックインをすませてから、また車で移動という感じあった。その分、1回の法座の時間は、2時間ほどしかなく、法話をしっかりとさせていただいくと(特に、夜座は観経の「苦悩を除く法」のところを詳細に話させてもらった)信仰座談会の時間はあまりなくて、みんな一口話したらら時間切れになった。またそれぞれの法座毎に、メンバーが変わるなど進め方が難しいこともあったが、とても活性化かれたいい法座であった。

これも、前回に続き、豊岡のご自宅を会場に提供くださり、遠方からの同人を受け入れてくださったTさんの働きが大きい。朝座には、彼女のお友達も2名も参加くださったのだ。誰かの発願(自宅で法座を開きたい)が、皆さんの協力もあって実現し、停滞気味の法座が活性化しこれだけ変わっていくのだという、よくい見本となるように思えた。ただ漠然とした願いだけでなく、多少の覚悟(時間とお金)、そして行動が必要なのである。

皆さんにも、これを手本に、たとえ小さくても、何かひとつその行動を起こしてもらっいたいものである。

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仏書に親しむ会~兄貴、覚悟はよいか!~

「非僧非俗のこころ」を読む。

庄松同行と、興正寺のご門主のエピソードのところ。お剃刀の時、ご門主の色鮮やかな緋の衣の裾を引っ張り、「兄貴、覚悟はよいか!」と、一見、非常識な行動をとる。
その真意を確かめると、どんなきれいな法衣を着ていても、今度の一大事の後生は如何なのかというご意見であった。

庄松同行が引っ張るのは、何も高僧の衣だけではない。私は、いろいろなものを着込んで信心の防衛をしてはいないか。

聖教の根拠や理論武装、○○先生の印可や、はたまた信仰の体験までも、自分で取り込んで、「聞いた」「分かった」「覚えた」「納得した」ところで留まっているならば、それはわが身を防衛し、安心するための道具にしているだけである。

しかしそこでいくら安心しても空しいだけだ。結局、この世の中で身につけてものは、一つの例外もなくすべて置いていかなければなならい。たった一つ、それを得るために造った罪業に導かれていくのである。聞いた、覚えた、分かったも手放し、落ちてつく私のところでしか、仏法は聞けないのである。

「兄貴、覚悟はよいか!」

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水漏れ工事

 このところ、郵便局の別納手続きに、ゆうちょ銀行の確認書類、年金事務所や労働局には何度も足を運び、またNHKの調査もある。急に公共機関の手続きが忙しくなっている。特に、育児休業の手続きでは、何度も役所に足を運ばねばならなかった。一昨年から、事業所となったことによるのだ。そこに加えて、電話、電気、ガスの自由化で、セールスやら書き換えやらが繁雑に起こってきている。 

  それもだいたい一区切りつき、故障の電話も交換して安心していたら、今度は、雨でもないのに、会館の前の道路が濡れているのだ。道路からの水漏れだ。

Img_8963 前々日は少しだが雨も降ったのですぐに気付かなかったが、ここだけ濡れ続けているという。数年前にも、ここから水が吹き上がってきた。大晦日の夕方のことで、時期が時期で、鮮明に覚えている。ほぼ同じ箇所。一度、経験があるので対処の方法は分かっている。すぐに水道局に電話したら、すぐに対応してくださったが゛工事は明朝ということになった。

Img_8965 翌朝、ますますひどくなっている。すぐに工事の方がこれらて、「傷口と同じで、どんどん広がるのです」とのこと。

 丸1日かけての工事で始まれば、少し水道が止まったぐらいで、もうこちらには関係はない。それでも、予期せよことが起こると、時間も取られていく。致し方ないことだが、煩わしい事務的な手続きが、ここ数年でかなり増加している。

 総会後には、役員改選の登記手続きもある。よ修繕工事の見積りも出揃う。本丸はこれからである。

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聖典講座~定善(3)華座観・立撮即行

 では何故、坐わったままではなく、立ち上がらずに居られなかったのか?
善導様のお言葉では、立即得生(りゅうそくとくしょう)と立撮即行(りっさつそくぎょう)の二つの意味を見ることができる。

 まず、「立即得生」とは、立ちどころに即ち生じることを得る。
「弥陀、空にましまして立したまふは、ただ心を回らし正念にしてわが国に生ぜんと願ずれば、立ちどころにすなはち生ずることを得ることを明かす」
つまり、「自力を心を翻して本願力を頼み、我が国に生まれたいと願うものは、立ちどこに、往生のうべき位につかせましょう」という、弥陀の本願を顕しているのである。

 そして、「立撮即行」とは、立ちながら撮(と)りて即ち行く。
なぜ立ち上がられたのかを問答を設け答えておられる。その問いは、「正覚の弥陀なちば軽々しい振る舞いなどせずとも、正覚の蓮台に端座されたままでも、人々を救うことが出来るのに、何故、立ちあがられたのか」。それに対して、
「これ如来(阿弥陀仏)、別に密意ましますことを明かす。ただおもんみれば、娑婆は苦界なり。雑悪同じく居して、八苦あひ焼く。ややもすれば違返を成じ、詐り親しみて笑みを含む。六賊つねに随ひて、三悪の火坑臨々として入りなんと欲す。もし足を挙げてもつて迷ひを救はずは、業繋の牢なにによりてか勉るることを得ん。この義のためのゆゑに、立ちながら撮りてすなはち行く(立撮即行)、端坐してもつて機に赴くに及ばざるなり」と。
 つまり、阿弥陀様には特別な思いがあった。娑婆はまさに苦の世界、悪が満ち満ちて、苦悩に苛まれる世界であって、いままさに三悪道の火の坑(あな)に落ちているのが、韋提希(=私)の姿である。いま、釈尊の要請に応じて現われた阿弥陀様は、じっと座ってはおられず、いま立ち上がり、凡夫の私の前に足を運び、今すぐ救いあげねば間に会わないという緊急の大悲のお心であるのだと。それが立ちあがり私をつまみとり、ただちに浄土に連れて帰ろうという立撮即行の姿なのだと。

 そのところを、伊藤先生は『大悲の呼び声』で次のようにうたっておられるのである。

「弥陀は正覚なりてより そなたの来たるをまちたれど
 一劫たてでもまだ見えず 二劫たてでもまだ見えず
 三劫たてでもまだ見えず 弥陀成仏のこの方は、
  いまに十劫をへたまえり
 お立ち迎えのみ姿を なんと思うてくれるぞや
 極楽浄土の荘厳を なんと思うてくれるぞや
 南無阿弥陀仏のお六字を なんと思うてくれるぞや
 来応大悲の弥陀仏が 蓮台上に立ちたるは
 炎うずまく三悪の 火坑にむかい臨々と
 入りなんとする衆生をば おどろき救うすがたなり」
                                               『大悲の呼び声』

 講義では、この後、「第七華座観の位置づけ」(正報観か、依報観か)
 また華座観についてが続くが、繁雑になるので、ここではもう略します。

 次回は、12月16日(日)昼1時30分より
 定善の第8観・像観に入ります。奮ってどうぞ。

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聖典講座~定善(3)華座観・苦悩を除く法

釈尊が、「よく聴けよ。苦悩を除く法ぞ」と仰った瞬間、それに呼応して阿弥陀仏そのものが立ち上がってくださった。韋提希夫人は、阿弥陀様にお出会して、苦悩を除く法を聞き開くことが出来たのである。

 これはお釈迦様と阿弥陀様の二尊が一致したお働きである。しかし、釈尊の在世ならばともかく、末法の衆生はどうして阿弥陀様にお出会いさせていただくのか。そのために、当面の表向きは(顕)は、この後、華座観の観法以下、定善が再び説かれていく。しかし、『観経』は最後の最後に大どんでん返しか待っているのである。その流通分までいたる結論を踏まえて見るならば、他力の念仏一つを説くためのお示しである。

 韋提希夫人が出会った阿弥陀様とは、本願成就の正覚の弥陀である。無量寿・無量光の仏体は、南無阿弥陀仏という弥陀の名号と離れることはないのだ。「苦悩を除く法」とは、釈尊亡き後の末世の我々にも、生きて働き続けている大悲の呼び声(本願招喚の勅命)であり、南無阿弥陀仏(名号法)の雄叫びに出会うことに他ならないのである。韋提希が阿弥陀仏に拝見して救われたように、私も名号のおいわれを聞き開いた信心一つで救われていくのだと、親鸞様は頂かれている。

「行者正受金剛心 慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽」
(行者まさしく金剛心を受けて、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり)『正信偈』

         

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聖典講座~定善(3)華座観・阿弥陀様の来現

  『観経』は、韋提希夫人の要請に応じ、また末世の衆生のために、浄土往生の方法が段階的に説かれている。まず定善といって息慮凝心-精神統一をして、淨土や阿弥陀仏などを観想する十三の観法をうかがている。ここも大きく、第一観~第七観が依報観(浄土についての観法)と、第八観~第十三観が正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)に分けられていく。その中で、第七(阿弥陀様の座られる台座)を窺った。

 さて、依報観-極楽浄土(国土)についての観法には、仮観(この世界のものを手かがりにする方便観)である第一日想観、第二水想観と、さらにそこを手がかりに、真観(極楽浄土そのもの)である第三地想観、第四宝樹観、第五宝池観、第六宝楼観と続いていく。これはすべて愚痴の女、韋提希夫人の要請で説かれたのだ。それにしても、浄土の詳細な有りさまは、凡夫が観察するにはあまりには深遠広大で理解し難い世界だ。にも関わらず、身の程知らぬ(まさに無明)故に、釈尊に自ら要請して定善は説かれたものである。これは経典にないが、以上のお心から、ここまでの深遠な説法についていけず、号泣の疲労もあって、ついつい韋提希は居眠りし出したと、悟朗先生は教えてくださった。確かに、ぼくたちも第1観から6観を通して読んだけで、まったくついていけずに後半は居眠りする人も多かったのである。疲れてくるのだ。

 ここで、場面は急転換するのである。

 そんな様子をみられて、釈尊は、「諦聴、諦聴(あきららかに聴け、あきらかに聴け)」と告げられて、「私は、今、そなたのために苦悩を除く教え(除苦悩法)を説き示そう。そなたたちはそれをしっかり心にとどめ(憶持)、大衆のために説き明かすがよい」と、韋提希にこころこめて聞くように促されるのである。その声に呼応して、突然、阿弥陀仏が観音、勢至の二菩薩を伴って、空中に住立されるのである(住立空中尊)。それは光明(智慧-愚痴を破る)そのもので、詳細に観ることのできぬほどまばゆく輝ていたのである。 

◎二尊一致(二尊一教)のおこころ

  釈尊の声に応じて、阿弥陀仏が現われたことを、善導様は『定善義』に、

「弥陀、声に応じてすなはち現じ、往生を得ることを証したまふことを明かす」。

 釈尊の「苦悩の法を説くぞ」の声に応じて阿弥陀様が来現して、韋提希が必ず往生するとこを自ら証明されたのである。それは、釈迦、弥陀二尊が心をひとつにし、互いに呼応しながら苦悩を凡夫を救うことを示されたのである。すなわち、

「まさしく娑婆の化主(釈尊)は、物(衆生)のためのゆゑに想を西方に住めしめ、安楽の慈尊(阿弥陀仏)は、情を知る(その心を知る)がゆゑに、すなはち東域(娑婆)に影臨(ようりん・姿を顕す)したまふことを明かす。これすなはち二尊の許応異なることなし。ただ隠顕(釈尊が隠れ退き、弥陀が現われる)殊なることあるは、まさしく器朴(きぼく)の類(たぐん)万差なるによりて(衆生の根機がさまざまなので)、たがひに郢(えい)・匠(しょう※)たらしむることを致す」
※郢・匠=『荘子』に出る二人の左官と大工の伝説的名人のこと。衆生の機類も、力量もさまざまなので、釈迦、弥陀二尊の意(こころ)が一致し救うことを譬える。

 親鸞様のご和讃『高僧和讃・善導讃』なら、
・「釈迦・弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し
  われらが無上の信心を  発起せしめたまひけり」
という二尊が一致したご苦労てである。

では、釈尊の説かれた「苦悩を除く法」とは、なんであろうか? (続く)

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東海支部法座の後で

今月の東海支部法座。

名古屋市内だったが、いつものような公共会館施設ではない。これだけでも雰囲気は違う。詳しは、同人会MLにでも触れたい。

東海支部のメンパーに加えて、西山派の僧侶やインターネットからの参加者など、6名も初めてお会いする方があった。

法話も、2席でかなり力が入った。法話の後も、座談会もいい感じで終わった。初参加の方が、胸に響いたとか、初めて仏様を身近に感じたとか、目に涙を浮かべて語ってくださったのが印象的だった。しかし、法話や座談会で感じたことは多かったが、後の懇親会の出来事にすべてもっていかれてしまった。ひと波瀾あったのだ。ここでは触れはしないが、いろいろな経験、いろいろな方とお出会いをさせて頂いているということである。

私達は、大声で怒鳴られたり、威圧的な態度の前では、脳(海馬)が萎縮するのだと聞いたことがある。それが続くと支配されていくのだろ。逆に、受容的な安心できる場では脳は広がり、心が開くというのだ。そんなことを感じさせられる出会いだった南無阿弥陀仏

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お見舞い

京都の同人が仕事中に骨折された。

京都第一日赤は、ぼくの馴染みが深い。ぼくはここで生まれ、また父が死んだところでもある。高校時代、この病院の横の道を東福寺に向かって学校に通っていたので、毎日のように見ていた。

脊髄を骨折されていた。もしかすると車イスや寝たっきりになられるかもてしれないという情報が入ってくる。ご本人は同人会MLにその経過を逐一報告されているので、状況はだいたい理解できていた。さすがに手術の前は不安そうだった。

幸い、手術は成功し、結果はとても良好だったようだ。もう明日、退院だといのうだ。

見た目は、まったく元気で驚いた。てっきり包帯やギブスでグルグル巻の状態を想像していたからだ。ただ胴にコルセットをされているだけなので服を羽織ったら、ケガ人のようには見えないのだ。歩くことも、食べることも普段ようにされているが、力仕事はもう難しいと言われていた。

「目が覚めたらもう終わっていて、あっという間でした」

と言われたのが、どこかおかしかった。麻酔で眠っていたので、実際はあっという間かどうかは分からない。自分の実感としては一瞬だっただけだか、凡夫は自分の実感のところでしか感じられないということだ。

退院の2日後の聖典講座にお参りされていた。またびっくりである。

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電話機

この一年近く、電話の調子が悪かった。

まず、内線やインターホーンに雑音が入り出した。これが長く続くうちに、ますます聞きづらくなってきた。さらに外線の電話もおかしくなり出した。かかってきた電話が取ったと思ったら、数秒ですぐに切れてしまうことがある。それが連続で2度、3度と続く人もあった。こちらからかけるとつながったので、相手がわかる方はかけ直した。

様子をみていたが、なかなか改善しないので、修理依頼する。しかし、電話機(主装置)の寿命だといわれた。一応、応急処置で、外線の方は修復された。これで迷惑をかけることも少なくなった。これだけでも、随分気分は変わるものだ。でも、内線の雑音は続く。その点は不自由だが、会館内のことなので我慢しつつ、来年の2月の修繕の時に一括して交換するつもりでいた。その後、半年ほど、外線は問題なく使われていた。

その日も、前夜までは問題なかった。ところか、朝から、電話機はウーとも、スーとも言わなくなった。外線も、内線も、インターホンもすべて不通になった。なんの前触れもなかった。いや、正確には1年以上前から前触れはあったのだが、だましだまし先送りにしているうちに、完全に壊れてしまった。

元の装置を調べて見ると、そこまではコール音があるので、NTTの問題ではなく、こちら側の問題だ。すぐに業者に連絡し、翌朝にすぐに修理に来られた。だが、もう修理できる段階ではなかった。主装置の電源すら入らない状態だというのである。

ここで困ったのは、ぼくも、母も、Tさんも、携帯をもっていないことだ。唯一、スマホがある連れ合いがいるのが、彼女は、数日後には、劇団の仕事で3週間の出張が決まっていた。

応急処置で、事務所にだけ電話を復旧してもらった。しかし内線もインターホンもダメなのには困った。全部で7台なって、内線の設定もあるので、すぐに交換とはいかない。どの機種にするのかも、検討し相談する必要もあったし、業者側も発注の時間も必要だ。それでもかなりImg_8864急いで日曜日には設営が完了した。22年ぶりに新しい電話なって、便利な機能も増えてもまだ使いこなせていないが、トラブルがあったことが嘘のようだ。

今回の電話機のことは、人間のいのちにも似ているとも思った。故障や調子が悪いのは、いわば病気や老いと同じだ。故障なら修理するのは、病気の治療と同じ。そして、完全に直ならないなら、不自由なままでもつきあえばいいといことだ。もっともそれは寿命が近いというサインだ。だから、いつ突然に、ダメになるかもしれない。前夜までは、まだ普通に使えていたのに、前ぶりもなく目が覚めたら生命が亡くなっていたということである。

しかしここからが違う。電話が壊れれば、交換すればいい。しかし、私のいのちは、交換ができないのである。

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