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平日の東海支部法座

 今回の東海支部法座は、平日の開催。しかも昼間である。東海支部は、現役で働いている、会社や役所勤めの男性が多い。参加者はきっと少ないというのが、お世話役の読みで、弱気なメールも来ていた。ところが、蓋をあけてみると、予想の以上の参加者がある。懇親会にも、予想の3倍の参加者で会場はギュウギュウ。 最近の支部法座の中では、いちばん多かったかもしれない。有給を取った方、平日でないとこれない方に、久しぶりの方や初めてお会いする方もあった。懇親会でも(テープルの半分の方だけでしたが)、いろいろとお話がきけてよかった。一人でもご縁が深まることを願うばかりである。

 ご法話は二席に分けたが、いろいろと話題も多かったので、かなり長くなった。

「如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情を捨てずして
 廻向を首としたまいひ
 大悲心をば成就せり」

 親鸞聖人『正像末和讃』をいただいた。
 なぜ、阿弥陀様立ち上がらねばならなかったのか。それは、「苦悩の有情」(有情とは、心あるもの、いのちあるいきとしきるもの)ありようが、苦しみ、悩み、迷っていると見定められて、そのものをも見捨てることを出来ずに、立ち上がられて、本願をおこされたのである。では、その「苦悩の有情」とは、どこの、誰を指しているのか。そこを具体的に聞かせもらう。また、その苦悩の中味とは何かも、自分で感じる苦・楽ではなく、真実の眼(まなこ)で御覧になって、苦悩の姿をお聞かせいただくのであるから、そこを具体的に出しながらお取り次ぎさせていただいた。

  そして、そのために、どんなお手立ててをもって救おうとされたのか。それが、如来様からの「廻向」を首(第一に、中心に)にして、南無阿弥陀仏にご自身を身投げして、苦悩の私のところに飛び込んできてくださる。迷いの私から助けてもらうために歩みでのなはく、如来様の方から先手で、飛び込んでくださっている。それだけの大慈悲心の塊(かたまり)となってくださった。まさに、南無阿弥陀仏の姿である。

  後席では、王舎城の悲劇の四名の登場人物の罪業、特に、愚痴の女人である「韋提希夫人」が、いかに自己の問題とならず、終始、責任転嫁し続ける愚痴の姿を示し続けながらも、お救いはそんなことにはお構いなく、一方的に如来様からのお働きがかかり続けてくださってる、そのおこころを頂いた。

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