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2018年10月の22件の記事

三条別院

 Img_8910新潟3日目。京都に帰宅するだけだが、新幹線の時間までお東の三条別院を案内してもらうことになった。

Img_8909 別に大きな行事や法座がないのに、駐車場にたくさんの車が止まっていた。

 ここでも、「ちょっと紹介したい人もあります」とのことだったが、残念ながら、今日はImg_8914無理だった。11月の初めてにあるお取り越しの報恩講の準備で、職員も、お手伝いの方、数十人が掃除やお磨きに勤しんでおられたのだ。駐車場の謎もこれで説けた。Img_8916_2http://sanjobetsuin.or.jp/hoonko/

 本堂の仏壇も、旧の仮本堂の仏壇も、磨きのために、仏具も、輪燈などのお荘厳がすべて外されていた。殺風景だが、逆に、回りが飾られない阿弥陀様と対峙することが出来た。逆に、これは珍しい光景だったImg_8918ので、本堂の阿弥陀様も、旧本堂の阿弥陀様も、撮影させていただきました。南無阿弥陀仏

Img_8920 お許しを頂いて、お磨きの皆さまのご様子も一枚。ご苦労さまです。
 
Img_8934 三条市のB級グルメの「カレーラーメン」を頂いて、帰宅の途に。

 京都→新潟(越後)は、親鸞様が何日もかけて歩かれところである。流罪の許された後、越後から関東へ入られるのだが、京都に戻られるまでは20数年もかかっている。それをわずか4時30分ほどで駆け抜けていった。

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山室温泉

Img_8872  越後の国、新潟は、これまで何度も訪れたことがある。親鸞聖人のご流罪の地でるからだ。観光もあれば、お悔やみもある。ご法座もあった。聞法旅行でも4度訪れ、そのうち1度は佐渡ヶ島に行った。そして、今回、初めての新潟市内での寺院布教だ。

Img_8875 そしてもう一つ初めてだったが、東京経由で上越新幹線を利用したことだ。これまでは日本海側を通ってきた。金沢で特急でImg_8882乗り換えたり、パスや乗用車のこともあった。正味、4時30分で到着した。初めての上越新幹線なので、通過する駅も見慣れないところばかりだった。新潟駅ではなく、燕三条駅に降り立つ。初めて降りる駅だImg_8879が、駅に来るの2回目だ。
「初めてなのに、2回目とはこれ如何に?」
 謎かけのようだが、答えは簡単だ。越後Img_8906七不思議の聞法旅行の帰路、東京支部や地元の皆さんをこの駅までお送りしたことがあっただ。つまり、一度はバスで来たというだけのこと。これでは、残念ながら越後八不思議には加えてもらえない。

Img_8884 今回のお宿は、温泉宿を用意してくださっていた。山室温泉は初めて聞く温泉Img_8881だったが、硫黄の匂いも強く、しかもナトリウム泉で、しょぱい。露天風呂は源泉だったので、さらに温泉に入っている感じを強くした。以前泊まった月岡温泉といい、新潟にはよい温泉がある。特にこの宿は、温泉街のはずれで、回りには稲刈りが終わった田んぼばかりでなにもなかった。

 夜は、両日とも遅くなったが、朝は、温泉でのんびり過ごせて、初めての法座だったが、かなりリラックスして臨むことができた。ありがとうございました。

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新潟での寺院布教

Img_8894仏青大会の翌日、新潟に向かう。

大谷派の寺院布教、報恩講である。何度か、同人でもある住職と打ち合わせをした。これまで一日勤めだったのを、もう1日法座を増やImg_8892してくださった。最近は、報恩講の法座数を減らされる(そうせざるおえない)お寺もあるが、逆に、前日の夜座を持ってくださった。ただ、住職の焦点が3つもあることがImg_8902わかってきた。一つは、ご門徒さんのご教化。二つ目は近隣のお寺さんにもお参りいただきたい。さらに、新潟の華光同人の法座も持ちたい。でも、3座の法話だけでそImg_8901れをすべてかなえることは、かなり難しい。では、どこにいちばんの狙いがあるかというと、まずはご門徒方へのご教化だというので、法話もそこに焦点を当てることにしImg_8891た。

ご住職は、いろいろと事情のあったお寺に入寺され、ご門徒さんと協力してここまで復興されてきImg_8889たという。ここまではいろいろなことがあったようだ。それでもこれからは、法義の上でも力を入れていかれたいとういうのである。まずその緒についたところなのだが、そのお心がとても頼もしくも、うれしい気持ちであった。し

それで、ご法話も、なるべく仏語は使わずに、またゲームも交えながらも、後生の一大事、自分の問題Img_8905として聞くの二点を強調するお話を申させていたたいだ。

初日の法話後は、世話役さんたちと懇親会もあった。単なる飲み会にならずに、各人が、ざっくばらんに不審のところをお話くださったのが、とてもよかった。親睦という意味でも、ぼくもフランクに皆さんと接していった。

2日目は朝、昼の2座で終わり。最後は、法話の後に、法要があるという形だった。お東の法要にご縁をいただき、これもまた有り難かった。その後、お仲間のご住職方の慰労会に参加した。出勤もないのに、フルでお参りくたさったご住職もおられた。だいたい世代的的にせ同じ方々で、皆さんのご関係から、お寺のご事情や感じておられる問題点などもお聞できて、楽しい集いだった。

お酒が入っていたが、宿に場所を写して、華光同人を中心にした座談会。法座にも出られなかった僧侶の方も、お一人ご参加くださる。少人数だったので、かなりつっこんだご示談にもなったが、力はいって、ちょっと急ぎすぎたかもしれない。

結局、当初の狙いどおり、焦点にしていた三点をそれぞれ、叶えることが出来たようだ。最初の企画としては、上出来ではなかったとかと思っている。まず最初は、ラポート(親密になること)がないと話も聞いてもらえない。おかげで来年以降にもつながるご縁になったようだ。

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仏青大会

この1年で、顔ぶれが一変したのが、仏教青年会だ。

20代の若い女性を中心に、新鮮な顔ぶれになる。今回も、不思議な縁の初参加の方があった。決して、人数は多くはないが、法座の参加に前向きの人が多くて、雰囲気は悪くはない。ただちょっと大人しいのが気にかかる。

ただ、その分、経験が浅い人が多い。ともすれば、いまのスタイルや形式が、仏青のスタイルだと思われてしまう。たとえば、月例会がなくなっている。また、最近は、宿泊行事でも、企画ばかりが目立っている。座談会では、「間が持たない」といった人がいる。

今回も初日は、企画と総会のみだった。仏青メンバーを講師に、「私の考える真宗カウンセリング」というテーマ。カウンセリングといっても、ここではフォーカシングをひとつ柱にして、もうひとつは、法話の聞き方の実戦でもあった。あくまでも、「私の考える」というところが強調されていて、そこは聞きやすかった。参加の皆さんも、いつも漫然と法話を聞いているが、そこに聞き方があることを教えられて、新鮮に映ったようだ。しかも、それぞれが違う感想や思いがあることが聞けて、それもたいへんよかった。やはり一方的に話すだけでなく、率直に話す場も重要だということだ。

僕にしても、彼女が推奨された「話されたすべてをつぶやきつづけて、前のテープルに置いておく」という聞き方は、ともも難しく、これまで真宗カウンセリング研究会で学んできた聞き方とは違うと思った。もちろん、そこは「私の考える」というところであって、後は、テクニック程度に止まらず、各人が真剣に模索して取り組んでもらいたいと願うところであった。そのきっかけという意味でも、いい企画ではあった。

ただ今後は、自由な座談会を中心にして、みんながほんとうの力(単なる知識やテクニックではない)つけるのが、いまのメンバーにはいちばんいいとう考えている。若い人には、その場、その場ではなく、たとえその時、理解できなくても、長い眼で見たならば、その人の力となってくるような学びをしてもらいたいと、ずっと提案しているが、なかなか理解してもらえない。構成を持たない長時間の座談会こそがいちばん相応しい。幸いなことに、少人数で、メンバーが固定している時にこそ、時間をかけてじっくり形成していくいいチャンスなが、ちょっと残念である。

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沖縄の旅(6)~美ら海水族館~

Img_8538  昨日の好天が一変して、冷たい雨になった。沖縄観光の定番の、美ら海水族館しい
実は、ぼくはここが初めてだ。いろいろと水族館はあるが、ここは世界最大の水Img_8544族館だった。海洋博の遺産てある。国営公園だけに、」駐車場は無料、イルカショーも無料。国営の記念公園には、外にも無料の施設がたくさんあっImg_8540て、有料でも料金は安い。とても、2~3時間で回れるImg_8515規模ではなかった。

イルカショーを見る。よく訓練されImg_8570ていたし、イルカよりもクジラに近い(大型と小型の違いだそうだが)ものもいて、大人気だった。

ただ、イルカショーを純粋に楽しめなくなってImg_8688いる。今年見た『おクジラさま』~ふたつの正義の物語~を見て以来、一気に、ぼくの持っていたクジラやイルカ漁の価値観が崩壊したからだ。子供のImg_8633頃、動物園でもチンパンジーやゾウのショーがあった。まさに見世物だったが、いまでは公立の動物園でのショーは無い。将来、それを専門にする以外は、水族館(園)でのショーは無くなっているのだろう。日本Img_8793のイルカ漁に対する欧米の風当たりはとても強く、外圧で、園で繁殖した以外の調達が難しくなっているのである。

Img_8800この後、連れ合いさんは、初めてみたマナティーの水槽から離れない。2本足で歩きながら進む姿が珍しかったようだ。いろいろと無料のところ見て回って、巨大水槽のエリアへ。2匹のジンバエザメや、巨大マンタが泳ぐ水槽は、いろいろと見せ方も工夫されていた。巨大水槽の前は、平日なのに混雑している。週末や繁忙Img_8669期にはどうなるのだろう。インバウンド恐るべしである。

   大型の水槽は、いくら見ていても飽きない。ほかの小さな水槽もかなり丁寧に見ていたら、それだけで半日すぎてしまった。そして、写真も撮りまくったが、いまはほんの一部だけ。 
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沖縄の旅(5)~残波岬、万座毛~

Img_8247 今回は3泊4日の旅。しかし、初日と4日目は移動のみで、正味2日間の沖縄である。おそろしい(いい意味で)ほどに安いツアーチケットを手に入れた。JALの伊丹と那覇間の往復運賃、リゾートホテImg_8250_2ルの3泊と朝食、夕食1回、4日間のレンタカー代がすべて込みで、京都から大分を往復交通費とほぼ同じ料金だった。新潟の往復新幹線代にもなならい。10月の中旬から閑散期になるのだが、観光地もホテルImg_8249も混雑していた。インパウンドの恩恵を受けているのでだが、アジア系の観光客が多かった。今回は、大浦湾にも行きたかったし、うるま市Img_8251の華光同人や知人の真宗寺院にもお参りしたかったが、このあたりは丁寧に回りたいと思ったので、次回の旅に持ち越すことにした。

  ホテルは読谷村の残波岬にあった。先の強烈な台風で被害があって、残波岬の灯台は修理中で登れなかったが、青空に紺碧な海は美しImg_8477い。岬に、偉人の像が立Img_8491ってた。「ここはどこでしょう」と、クイズを出すと、すぐに分かってしまった。この方、有名なようです。

  翌日は、沖縄の西Img_8492_2海岸を進むと、万座毛がある。ここも観光客で混雑していた。今日も、からだがもっていかれるほど強風だったが、台風の凄まじさはおそろしいものだろ。昨日は、まだ泳ぐ人も多く暑かったが、一日で天気は急変。今日は、冷たい風が吹きつけている。
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 ≪残波岬から紺碧の海≫
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  ≪万座毛≫
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 ≪アダンの実≫

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「真宗カウンセリングの課題」

 さて、最後に、「真宗カウンセリングの課題」(P188~190)を読む。

◎「法」(Dharma)は、釈尊の悟りの智慧によって明かされた無上正覚の内容と悟りである。
 それは、悟りを実現させたダンナミックな真理そのもの。無分別智と存在の実相が一つになった不思議な境地。つまり仏教の根本=「法」「悟り」「智慧」である。
 ・仏教=法に基づき、法を中心として、法を悟って仏に成ることを目指す実践道。
 仏に成る=人間を超えて人間を貫く法に目覚め、真の人間に成る。
 ・従来、仏教は東洋固有のものであったから、今後、すべての仏道が、西洋で発達して きた心理療法に、大きな光をなげかけるであろう。

◎また、最近(昭和63年当時)には、西洋からの提言(トランス・パーソナル心理学)が注目されていた。
 つまり、ケン・ウィルバーの「永遠の心理学」=西欧心理学に東洋の「道」の考察にも広範な視野を与える意識モデル-「意識のスペクタル」である。
 意識の深層装から表層に向け、(1)心のレベル、(2)超個人的帯レベル、(3)実存的なレベル、(4)自我レベル、(5)影のレベルの5つのレベルと、それぞれの治療法を配置する。その例えがでるが、これは今は略しておく。

◎それによると、ロジャーズのカウンセリング=実存的レベルの心理学と位置づけられ
大乗仏教=二元論を超えた世界への霊的実践として、究極的に位置づける。(大乗仏教とはあまりには大きな枠ではあるが、、)

◎以上から、真宗カウンセリングの二つの課題が導き出される。
1、ロジャーズと大乗仏教や真宗との距離は何に由来し、何を意味するのか?

2、あらゆる二元論を超える大乗仏教の実践道は、現代及び将来において、具体的に いかなるものとして提示されるのか?

以上の課題に、理論的にも、実践的にも、明確な解答が引き出さた時、「真宗カウンセリング」は確固たる存在意義を獲得するだろう。

と結ばれている。

今から30年以上前の論文である。非常に慎重な態度で、「真宗カウンセリング」という用語を使われていた西光義敞先生が、満を持して初めて、「真宗カウンセリング」を題目にされたもので、その意味も再度読む返して感慨深かった。

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「真宗カウンセリング」の三つの特性

 真宗カウンセリングの月例会は、『育ち合う人間関係』から、今は、~「真宗カウンセリング」の成立~を読んでいる。

 その最後の第四章「真宗カウンセリングの客観的規定の最終回である。
                        
 前回の復習を兼ねて、「真宗カウンセリングの底」(P182~186)をおさらいすると、

◎主観内部の「真宗カウンセリング」から、客観的規定の最小限の三つの特性を挙げる。

◎まず「真宗カウンセリング」の第一特性は、
「真宗カウンセリング」は、カウンセラーが真宗の立場に立って行うカウンセリング。すなわち、真宗の教法に帰依する心を根底において行うカウンセリングである。

◎そして「真宗カウンセリング」の第二特性は、
「真宗カウンセリング」は、「法」(Dharma)を根底においた、あるいは「法」中心のカウンセリングである。
ということであった。

そこから、「真宗カウンセラーの態度」(P187~188)にはいる。

◎カウンセラーは、仏との関係で自己だけでなく、他己(クライエント)をも見る。
・真宗カウンセリングは、外見的、形態的には特別ではない。ただカウンセラーの態度=自己と他己を見る目が、「仏」の目を通すかで微妙な相違。(第三図・P185上段)
自己の内面の動きを仏の鏡を通して見、クライエントの告白を如来の大悲心をもって  聞く。それがクライエントに敏感に伝わることがある。
・カウンセラー・クライエント共に「法」を共有する時。(第四図・P185下段)

◎以上から「真宗カウンセリング」の第三特性が導かれる。
 「真宗カウンセリング」は、相対的な存在である自己と他己との関係、
 相対的な存在である自己および他己と、絶対的存在である仏との関係
 という二重関係からなるカウンセリングである。

 この関係こそが、真宗カウンセリングの大きな特性のひとつであるといっていい。(続く)

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泉佐野の寺院布教~「PPK」か「NNK」

高齢化が進み、「PPK」という言葉が使われている。「ピン・ピン・コロリ」と、最後まで元気で死にたいという願望だ。逆の言葉が「NNK」で、こちらは「寢ん、寢ん、コロリ」と、寝たきりなり、認知が進みということである。凡夫の願望は「NNK」は、なんとしても避けたい。子供たちに嫌われたり、みじめな姿になるのではなく、最後まで元気で、頭もしっかりして、コロッと死にたいというのである。しかしである。Pだろうが、Nだろうが、K(コロリ)と死んでしまうことには代わりはない。「死」は避けられない。では、そのことはどうなるのか。

「終活」という言葉は、随分、浸透してきた。どうせ避けられない死なら、元気なうちに、ちゃーんと身辺整理し、葬式のことも自分で考え、望むべき死に方をしよう。最後まで自分らしくあって、遺された子供たちにも迷惑をかけないようにしたいという。結局、死ぬ間際まで心休まることもなく、用意周到なことである。

ではとれでは、「終活」も、また「PPK」でコロリと理想どおりの終焉、死にざまを迎えたとしたら、それはそれで終わりなのか。

後生の一大事を心にかけて聴聞しないと、すべてこの世の中の生きざま(今生ごと)の話で終わってしまうのだ。どこまで伝わったかわからないが、いま1歩、踏み込んだご聴聞の要をお話申し上げた。

それにしても、今日もいい天気で、夕日がきれいだった。
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泉佐野の寺院布教~台風禍

Img_8836泉佐野での報恩講の2日間に渡るご縁である。ご承知のとおり泉佐野は海上に関西空港を抱えている。海上からの風もすさまじく、先月の台風21号の被害が甚大だった地域だ。

Img_8835冒頭、「皆さん、大丈夫でしたか?」と尋ねたら、「大丈夫ではなかったです」と、即答される。瓦が飛んだ、窓ガラスが割れた、壁が落ちた、停電が4日間も続いたなどなImg_8834ど、皆さんが答えくださった。確かにブルーシートが被った家が多かった。中には、そのまま何もされないままの空き家もあって、かなり危険な状態である。このお寺でImg_8838も、瓦や漆喰、本堂の窓ガラス、裏庭の木が倒れたりと被害が大きかったそうだ。また、本堂が被害を受けて報恩講を中止さぜるえない寺院も、この地域では多かったImg_8845という。

無常迅速といわれるが、迷っている身には、これから我が身の上に何が起るか分Img_8824からないのである。「一寸先は闇」というが、「一寸先」ではない。まさに今が闇の真っ只中ということが分かっていないのだ。自然災害だけでなはい。わが身の上でも同じこと。迷いを迷いとわからないほど、闇が深いのである。

 

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広島法座in福山~夕映えの福山城

Img_8212今年も、福山市での広島支部法座があった。

家人が亡くなられて3年目になるのに、また法座の会場として提供くださる。
福山ならばこそお参りくださった方もあった。お初めての方もあった。お身Img_8217内にお声をかけられたのである。内容は、「苦悩を有情」救いであるが、苦悩の実相、その中味をいろいろと味わっていった。

帰路、新幹線の時間まで、夕陽に映える福山城に寄った。もしかすると、来年はこの会場はなくなるかもしれないが、とにかく福山で法座が持たれてよかった。Img_8211
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沖縄の旅(4)~夜の首里城~

Img_8416_2 閉館時間まで平和祈念資料館にいたが、もう一か所、行きたい場所があった。映画で有名になった浦添市の前田高地、アメリカではハクソー・リッジと呼ばれているところだ。

 残波岬にあるホテルに戻る帰り道だが、渋滞もあって、あたりは暗くImg_8418_4なってしまった。暗くなって見に行くところではないので、今回は、あきらめることにした。

 それが首里城の掲示をみて、急きょ、行き先を変更した。連れ合いは、劇団の仕事で読谷村Img_8421_2に数か月住んでいたが、首里城はImg_8423_2行ったこたがないというのだ。

 ガイドブックでは19時まで空いている。大急ぎで向かうも、まだImg_8426_2閉館時間ではないが、既に駐車場は終了していた。やっと近くのコインパーキングを見つけて、入場する。「急いでください。まだ行けます」との催促をうけて、最後の入館者となった。おかげで駆け足でも、内部もImg_8428_2拝観するこたができた。忙しなかったが、他に1組しかなく、静かに回ることができたよかった。この辺りは明らかに、日本の城ではく、中国の様式である。夫婦では待っている韓流に時代劇ドラマの風情だが、日本風でもあり、まさに独自の琉球文化でImg_8433_3ある。

 これで3度目だが、ライトアップされた夜の首里城は初めてで、観光客もまばらで、趣があって、結果として儲けものをした。

≪有名な守礼門も、無料区間にあった。夜でも見られます≫ 
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  2000札は、どこに行ったのでしょうか?
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沖縄の旅(3)~摩文仁の丘・平和祈念資料館~

Img_8382 今回の沖縄旅行は、南部の沖縄戦跡を訪ねることが目的の一つだが、その中でも、摩文仁の丘にはぜひ行きたかった。日本軍の組織的戦闘が終わった最後の激戦地である。ただ、ぼくが思っていたのは一昔前の各都道府県の慰霊の碑がひっそり立つイメージだ。(結局、時間がなくそこはパスした)

Img_8372 しかし、いま沖縄県によってきれいに整備されて、平和祈念資料館も充実した施設だった。沖縄住民の視点で捉えた沖縄戦Img_8374を展示理念としいる施設だ。沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝えたい。全世界の人びとに沖縄のこころを訴え、恒久平和を樹立に役立てたいとの願いでできたものだ。

Img_8290 ここも修学旅行の高校生が賑やかに通り抜けていく。騒がしさに不満もあったが、少Img_8379しでも沖縄戦の実相に触れてもらえたのだろうか。 

 資料館は、 1 <沖縄戦への道> 2<鉄の暴風> 3<地獄の戦場> 4<沖縄戦の証言> 5<太平洋の要石>の5つImg_8410のテーマからなる展示で、j実物資料、写真をはじめ、沖縄戦体験者の証言像などからImg_8388なっているが、順番に見ていくことで、単なる戦争の悲惨さとか、平和の尊さなどという美名ですまない、今なお続く沖縄の人々の苦悩(日本人の苦悩でもある)がどのような歴史で継続されてきたかがよく分かった。

 Img_8401この問題は、何も太平洋戦争中の悲惨な沖縄戦だけにあるのではなく、明治維新後の琉球処分に始まり、琉Img_8402球文化の破壊(皇民化制作)、そして唯一の本土での地上戦である沖縄戦では、官民におびただしい数の犠牲者(死者だけで20万人以上)を生むが、アメリカとの戦闘そのものではなく、日本兵の住民殺略や強制集団死、餓死なども含まれる。また戦火のなかった離島でも、強制移住によって住宅も財産も奪われて、マラリヤの蔓延する山奥で多くの人たちが亡くなってもいる。そして戦争が終わると27年間に渡る米軍の統治があり、日米密約による本土復帰で、中心部に密集する米軍基地は恒常化され続け、今なお不当な扱いを受けているといっていい。そう辺野古移設の問題へも続くのだ。そのことが体系的によくわかる展示内容だった。
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≪↑平和の火≫
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≪↑平和の礎 官民問わず沖縄戦の犠牲者の銘碑≫
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≪↑資料館の窓から。この海を米国艦隊が埋め尽くした≫
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≪↑平和祈念堂≫

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沖縄の旅(2)~ひめゆりの塔

Img_8340 白人の姿の他は、観光客がまばらだった海軍司令部壕から、ひめゆり塔へ。ここにくると周辺も有名観光地の風情となり、ベタな土産屋が並ぶ。

Img_8345_2 小説や映画であまりにも有名な「ひめゆりの塔」だが、「塔」といっても、実際は小さな石碑が立っている。外科壕跡を挟んだ奥にあるのは慰霊碑(納骨堂)だが、いまではそちらがメーンに思われているようだ。
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 Img_8291海軍司令部壕の展示で、1950年の素朴な石碑の写真を見た。ほんとうの意味での慰霊の碑である。(右の写真→)

Img_8343 ひめゆり塔は、沖縄戦末期に陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つが、ひめゆりとは、学徒隊員の二つの母校の学校誌に由来するという。

 今回、このような慰霊碑が、最後の組織的激戦地の南部には非常に多くあることを、初めて知った。この悲劇が何度も映画化されありして、沖縄戦の過酷さや戦争の悲惨さを象徴するものとして、もっとも有Img_8351名となったということだ。

 1945年3月、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一Img_8356高等女学校の女子生徒と職員、計240名は、陸軍病院に看護要員として従軍。激しい戦闘が続き、防衛戦が南部に撤退。陸軍病院も回復の見込みのない負傷兵置き去りして、分散して南部の地下壕に潜むも、戦局が絶望的となり学徒隊は解散を命じられる。しかし、既にアメリカ軍に支配され、周辺も激しい砲撃にさらされていたため、解散後に多くの生徒が若い命を無残にも散らしている。この第三外科壕では、壕にいた大半が爆撃で死亡し、脱出後に銃撃死たものも多く、生き残ったのはわずかに5名(生徒が4名、軍医が1名)のみだったというのだ。
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Img_8359 「ひめゆり平和祈念館」は、生徒一人一人に出来限り焦点を当てた充実した内容だった。単なる多数の数字だkの犠牲者ではなく、その一人一人が尊いかけがえのない命であったことが覗える、丁寧なImg_8369展示に感銘を受けた。

 時間をかけてゆっくりと見学していたが、途中で、修学旅行生たちで大混雑する。
Img_8360_2 高校生の彼、彼女たちはひめゆりの学生たちと同世代だ。どんな思いで見学していたのかはわからないが、彼女ら無邪気なの姿に触れると、平和の尊さと同時に、その脆さも強く感じさせられた瞬間だった。

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沖縄の旅(1)~旧海軍司令部壕

Img_8287沖縄戦は、日本国内の唯一の地上戦である。圧倒的な戦力差の前に、日本軍にはアメリカ軍を撤退させる力もなく、沖縄の民間人を犠牲にした日本側の玉砕戦でしかなく、本土決戦を1日でもImg_8294引き延ばすだけの、いわば捨て石でしかなかったのだ。

本島南部は、組織的抵抗の最後の激戦地である。その遺構の一つが、旧海軍司令部壕だ。http://kaigungou.ocvb.or.jp/shisetsu.html

Img_8322昭和19年、撤退を続けた日本軍の最前Img_8313線となる沖縄の軍備を強化し、飛行基地(那覇空港)を守るための防空壕のために掘られたものだ。ほとんどがつるはしなどを用いた手作業である。そのつるはしも展示されてImg_8318いた。

壕入口階段は100段あり、約20mの階段を降りると、迷路のように枝分かれした全長約450mの通路が縦横に張りめぐらされた壕内へと続いていく。わずか60年前には、まだ何千という遺骨があった場所を進む。

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重要な部屋(幕僚室や司令官室、作戦室)の後が残っている。
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玉砕の6月には、この部屋は立錐の余地もない程兵士が入り、立ったままで睡眠や休息を取ったという。
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医務室では多くの負傷兵がいたというが、看護などできるものではない。Img_8320
日本軍の銃器と手製の槍の展示を見て、そのお粗末さに驚く。壕内に重火器の武器はなく、粗末な手製の槍で玉砕突撃するしか術はなかった。
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昭和28年に生き残った元海軍部隊隊員などが入口は崩壊し泥水が溜まった壕内から、自決した大田司令官をはじめて800名以上の遺骨を収集。昭和33年には、1500名以上の遺骨を収集する。南無阿弥陀仏の碑に、「不断光」の文字。
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 ≪壕内見取図≫
Img_8293 ≪手榴弾の痕跡が残る幕僚室 ≫
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聖典講座~定善(2)宝樹・宝池・宝楼観

 4、第四観・宝樹観[樹想]【十二】

  地想観が成就したら、次に極楽の宝樹を観想していく。
・宝樹は、七重の並木として繁り、高さは八千由旬、その枝葉は二十五由旬に広がり、金、銀などの七宝の葉と花を具足し、さらにそれぞれがさまざまな色彩の光明で輝いている。その枝は真珠のついた網で覆われ、その網と網の間には、華麗な梵天城のような宮殿が並び、多くの宝石で着飾った童子が並び、光輝いている。
・またその宝樹には、さまざまな美しい花が咲き、多くの果実が生まれ、そこから発する光明は、一切の仏事を映現し、また十方仏国を顯す。
 ・同じように、幹、枝・葉・花・果を次第して観ぜよと述べられる。

 5、第五観・宝池観[八功徳水想]【十三】

 次に、極楽の宝池を観ぜしめる。
 ・極楽には八種の池があり、それぞれが如意宝珠より噴出した十四の流れとなり、黄金の川に沿って流れ、七宝の色彩を輝かせている。その川の中には七宝の蓮華が咲き、その水の音は、悟りの法を説く(苦、空、無常、無我や六波羅蜜)。
・またその宝珠より黄金の光明が輝き、百宝の色鳥と化して、常に念仏・念法・念僧の讃嘆する説法をする。その八功徳水の宝池を観想せよ。
・八功徳水とは、1澄浄・2清冷・3甘美・4軽軟・5潤沢・6安和・7除疾患・8身体増益

 6、第六観・宝楼観[総観想]【十四】

 次に、極楽の宝楼を観ぜしめる。
・五百億の楼閣がそびえ、その中には無量の天人が自然の音楽を奏で、その音は虚空に満ちて、念仏・念法・念僧の讃嘆する説法となることを観想せよ。

 以上で、浄土の第四の宝樹、第五の宝池、第六の宝楼の荘厳相を観じ終わるので、総観想と名付けられる。最後に、滅罪の功徳と、正邪の注意が述べられる。

 第一、第二とその延長の第三観が一連であったように、第四、第五、第六がまた一連の観想であると窺える。

 が、皆さん、浄土の相に付いていけず、輪読するのが精一杯。たまらず居眠りするかとも数人おられるのも、続けて読んでみると、もっともなことだと思った。

 悟朗先生曰く、「出来もしない定善の説法を乞われた韋提希夫人だったが、あまりに難しくて、思わず居眠りしてしまいす」と。すると、釋尊はおもむろに、

 「あきらかに聴け、あきらかに聴け。これから苦悩を除く法を説くぞ」と言われると同時に、阿弥陀様が韋提希の目の前に立ち上がらる。住立空中尊の第七華座観へと続くが、それは11月の聖典講座で。

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聖典講座~定善(2)水想観~地想観

 2、第二観・水想観(水観)【十】

 水想観も、仮観であるが、次の第三地想観のための準備段階の観法である。すなわち、この世の水から、氷を通して、浄土の瑠璃の大地を観じていく方便観である。
 ・水の清く澄みきった様子をはっきりと心に想い描き、心を乱さない。
 ・その水が氷になった様子を想い描く。
 ・その透き通った氷が瑠璃であるという想いをなす。
 ・極楽世界の内も外も透き通った瑠璃の大地と、観ずるようになる。
 ・その大地は、七宝で飾られた八角形の黄金の柱で支えられ、その柱のそれぞれの面は宝玉で飾られ、それぞれが千の光で輝き、その光は八万四千の色があり、それらが、瑠璃の大地に映えて、千億の太陽を集めたように光輝いている。
 ・瑠璃の大地には、黄金の道が縦横に通じて、七宝で仕切られている。その一つ一つに五百色の光があり、光明の台となる。
 ・台の上には、千万もの楼閣がそびえ、その両側には華と幡(はた)で飾られた無数の楽器が並び、四方八方から風が吹くと、妙なる音楽を奏でる。
 ・そして「すべては苦、空、無常、無我である」という教えを響かせている。

 3、第三観・地想観[地想]【十一】

 第三観から第七観までが、直ちに浄土の荘厳相を観想させる真観となる。
 ・先の水想観が完成したなら、ほぼ極楽の大地の相を観ずることができる。
 ・その一々が、閉目・開目しても消えず、眠る時以外は、常にこれを想い続ける。
 ・三昧の境地に入れば、観るという想いもなくなる正受観となり、第三観が完成。

 ・この観を説き終わった釈尊は、阿難に、未来の衆生で苦悩を逃れたいと思うもののために、この観を説けと示して、「八十億劫の生死の罪が除き、生命終わった後、必ず浄土に生まれる。心に疑いを懐くな」と示される。
 ・最後に、観に邪正(正観と、邪観)があることを注意される。観念の行の妄念・妄想の戒めである。

 以上が、第一、第二とその延長にある第三観の一連の概要である。皆さんと、輪読を重ねていくと、まだ日没や水、つまりこの世のものを手掛かりにする仮観ならば、(あくまでも何となくだが)凡夫でもイメージはできる。がしかし、そこを手がかりにする極楽の地観になると、たちどころに理解を超えていくのだ。そこがまた面白かった。

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聖典講座~定善(2)日想観

  『観経』も前回から、正宗分(本論)に入った。韋提希夫人の要請に応じ、末世の衆生のために、浄土往生の方法が段階的に説かれていくのだが、善導様は、(1)定善十三観と(2)散善三観(九品)とに二分科されて頂かれている。
 まず定善十三観である。息慮凝心-精神統一をして、淨土や阿弥陀仏などを観想する十三の観法で、第一観~第七観が依報観(浄土についての観法)、第八観~第十三観が正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)である。そのうち、今回は、第一観~第六観を窺った。

1、第一観[初観]・日想観(日観)【九】

 まず、浄土についての観法が述べられる依報観である。依報とは、衆生の生活の依り所となる生活環境のことで、国土のことである。ここでは、阿弥陀様の極楽浄土のことである。そのうち、第一と第二は、この世界の日没や水を手がかりとするので、依報観の中でも仮観、つまり方便観である。中でも、日想観は、定善十三観全体の準備段階(いわばトレーニング)の観法で、『観経』には次の手順が説かれてる。

・心を専らに西方に思いをかけて、その世界を想い描く。
・(生まれながらに目が見えない限り、目が見える者は ※仏典では、しばしば障がい者を差別するような表現が生まれるので十分注意が必要だが、ここでは、自力の行には差別があり修行に限界があることが窺える)日没の光景を観る。
・姿勢を正し西に向かって座り、はっきり夕陽を想い描き、一心に一点集中する。
・夕陽がまさに沈もうとし、西の空に鼓をかけたようになっているのを観る。
・閉目・開目でも、その夕陽がはっきりと観えるようにする。

◎善導大師は、真西に日没する春・秋の彼岸が最適であるいわれ、なぜ、日没なのかにも『定善義』の中で詳細に応えておられる。
 第一に、極楽の方処(よりどころ)を、西方であると知る。
 第二に、自身の罪障の重さを知る。太陽を想い浮かべても、障り(黒障=重罪、黄障=やや重い罪、白障=軽罪)が現われる。障りが出る度に、阿弥陀仏や一切諸仏に、無始以来の罪障を一つ一つ数えて、懺悔(さんげ)する。再び、結跏趺坐して観法に入る。それでも障りがでるならば、再度、懺悔する。この所作が詳細に定められている。これは、実際に善導様が、実践され、体験され、自ら定に入っておられなければ言えない言葉ばかりだ。
 第三に、日月を超えた、阿弥陀仏の光明の威力を知るためである。

 余談ながら、かなり認知症が進んだ父の最晩年、沈む夕日に静かに合掌している姿を、何度か見ている。もう西に帰っていく準備だったのだろう。

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10月の 「仏書に親しむ会」

  「仏書に親しむ会」は、「非僧非俗のこころ」に入って、「専修念仏への弾圧」のところを読む。

  念仏停止(ちょうじ)というが、比叡山でも念仏修行はなされている。ここで停止されたのは、法然様の「専修念仏」である。ただ念仏一行で、その他の行、(行としでき)菩提心さえも否定し、老若男女も問わず、遊女や盗人までが帰依するのだから、旧仏教側、真面目に修行している僧も、許せなのは当然だ。

 「ではなぜ、念仏一つで救われていくのですか」、皆さんに問う。お念仏にどんなお徳があり、またなぜ、念仏一つが選ばれたのかである。

 すると、急に静かになって反応がない。いつものことだが、少し変わった角度から(別に変わっていないが)質問すると、皆さん、途端に静かになる。決して、試験があるわけでも、正解を覚えることでもない。しかし、ここはよくよく考えてもらいたかった。「ただ有り難い、結構だ」というだけでなく、「念仏一つ」のおいわれを聞いてもらいたのだ。

 すると、「願行具足の南無阿弥陀仏」ですか、と応えてくださる。が、その後はでない。

 「勝・易の二徳」は、聞いてことがありませんか? と尋ねると、皆さん、ああという顔をされる。いわれるとなるほどと思う。

 法然様は、お念仏は、本願の行であるからだといわれている。私が選ぶのではなく、阿弥陀様が選擇された本願の行なのである。法然様が、他力念仏に出会うきっかけは、善導様の散善義のご文であるが、その結びは、「順彼仏願故」とある。阿弥陀様の本願に順じていく故だというである。人間の智慧や自力に従うのでない。たとえ権力者に批判されようとも、それは人間の世界、自力の世界のことだ。人間の言葉ではなく、阿弥陀様に順じてさせていただく身となったことが有り難い。

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平日の東海支部法座

 今回の東海支部法座は、平日の開催。しかも昼間である。東海支部は、現役で働いている、会社や役所勤めの男性が多い。参加者はきっと少ないというのが、お世話役の読みで、弱気なメールも来ていた。ところが、蓋をあけてみると、予想の以上の参加者がある。懇親会にも、予想の3倍の参加者で会場はギュウギュウ。 最近の支部法座の中では、いちばん多かったかもしれない。有給を取った方、平日でないとこれない方に、久しぶりの方や初めてお会いする方もあった。懇親会でも(テープルの半分の方だけでしたが)、いろいろとお話がきけてよかった。一人でもご縁が深まることを願うばかりである。

 ご法話は二席に分けたが、いろいろと話題も多かったので、かなり長くなった。

「如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情を捨てずして
 廻向を首としたまいひ
 大悲心をば成就せり」

 親鸞聖人『正像末和讃』をいただいた。
 なぜ、阿弥陀様立ち上がらねばならなかったのか。それは、「苦悩の有情」(有情とは、心あるもの、いのちあるいきとしきるもの)ありようが、苦しみ、悩み、迷っていると見定められて、そのものをも見捨てることを出来ずに、立ち上がられて、本願をおこされたのである。では、その「苦悩の有情」とは、どこの、誰を指しているのか。そこを具体的に聞かせもらう。また、その苦悩の中味とは何かも、自分で感じる苦・楽ではなく、真実の眼(まなこ)で御覧になって、苦悩の姿をお聞かせいただくのであるから、そこを具体的に出しながらお取り次ぎさせていただいた。

  そして、そのために、どんなお手立ててをもって救おうとされたのか。それが、如来様からの「廻向」を首(第一に、中心に)にして、南無阿弥陀仏にご自身を身投げして、苦悩の私のところに飛び込んできてくださる。迷いの私から助けてもらうために歩みでのなはく、如来様の方から先手で、飛び込んでくださっている。それだけの大慈悲心の塊(かたまり)となってくださった。まさに、南無阿弥陀仏の姿である。

  後席では、王舎城の悲劇の四名の登場人物の罪業、特に、愚痴の女人である「韋提希夫人」が、いかに自己の問題とならず、終始、責任転嫁し続ける愚痴の姿を示し続けながらも、お救いはそんなことにはお構いなく、一方的に如来様からのお働きがかかり続けてくださってる、そのおこころを頂いた。

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映画『国家主義の誘惑』

 ドキュメンター映画『国家主義の誘惑』を見た。
  http://kiroku-bito.com/nationalism/

  明治維新から今日まで(すなわち150年)の日本社会を俯瞰し、日本人の天皇観や憲法観、そして歴史観はどのように形づけられて、今日まで形成されてきたのか。それをわずか54分という時間制約の中で正面から取り上げている、フランス製作の作品だ。『天皇と軍隊』(これもとても面白かった)の渡辺謙一が監督だ。

 憲法9条2項の削除ではなく、9条はそのままで、新たに3項を加えて自衛隊(国防軍)を明記する改憲を押し進めたい安倍首相と、それを阻止するために退位表明されたた今上天皇(憲法に定められた「国民統合の象徴」として役目が果たせなくなったことを強調)の関係も、たいへん面白かった。

 意識する、せずにかかわらず、ぼくたちは歴史的な制約の中に生きているということ。そして、大きな変革(明治維新や敗戦)があったとしても、ある意味、地続きで、形は変えて支配されているということ。恐ろしいのは、支配されていると気付かないでいることだろう。不都合の真実は、なかったことにしたいので凡夫の性。仲良く、楽しく過ごしているのに、真実を述べると袋叩きにされたり、嫌われたりする。これは、仏法の世界でも同じことだろう。

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台風の余波

Img_8161大分開催の法座は、これで4回目。この時期に自然災害が多い。直接の影響はなかったが、最初の年は御嶽山の噴火が起る。2年目は、熊本地震で、大分にも震源が拡がり、延期。そして、今回は、非Img_8168常に強い勢力での台風の接近だ。行きは大丈夫でも、帰路は影響を受けるだろうと覚悟はしていた。参詣の皆さんの帰りも心配だった。

Img_8187  幸い台風は、九州に上陸せず、規模の割には被害は最小限に止まったようだ。そImg_8188れでも、宮崎や大分では、1日で250~300㎜の雨が降り、昼頃には、風もかなり強Img_8191かった。

 大分駅前の会場は、施設も新しく立派だ。しかも避難所に指定されていて、安心できる施設。Img_8183風雨が強い昼間には動かず、台風は過ぎ去るまで法座。おかげで終了の頃には、晴れ間もみられ、皆さんの帰路には影響はなかった。ただぼくは足止めとなる。午後から広島以降の新幹線が止まることが決定していたのだ。日曜日の朝に運休が決まったので、駅での混乱や列車に閉じ込められる心配もすることなく、大分連泊を決められた。

 大分市内ではなく別府の駅前に宿をとる。その方が、料金も安く、温泉にも入れる。、観光はせずに、翌朝には戻ったが、ちょっこっとだけ観光気分を味わえた。
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《↑大分駅前には二人の像。戦国大名の大友宗麟》
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 《↑もう一人は、フランシスコ・ザビエル
  「雨、降っているのか?」のポーズ》
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 《↑別府駅前には、こんな面白い像。
 台風一過で青空で、暑かった》

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