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2018年10月の9件の記事

沖縄の旅(2)~ひめゆりの塔

Img_8340 白人の姿の他は、観光客がまばらだった海軍司令部壕から、ひめゆり塔へ。ここにくると周辺も有名観光地の風情となり、ベタな土産屋が並ぶ。

Img_8345_2 小説や映画であまりにも有名な「ひめゆりの塔」だが、「塔」といっても、実際は小さな石碑が立っている。外科壕跡を挟んだ奥にあるのは慰霊碑(納骨堂)だが、いまではそちらがメーンに思われているようだ。
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 Img_8291海軍司令部壕の展示で、1950年の素朴な石碑の写真を見た。ほんとうの意味での慰霊の碑である。(右の写真→)

Img_8343 ひめゆり塔は、沖縄戦末期に陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つが、ひめゆりとは、学徒隊員の二つの母校の学校誌に由来するという。

 今回、このような慰霊碑が、最後の組織的激戦地の南部には非常に多くあることを、初めて知った。この悲劇が何度も映画化されありして、沖縄戦の過酷さや戦争の悲惨さを象徴するものとして、もっとも有Img_8351名となったということだ。

 1945年3月、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一Img_8356高等女学校の女子生徒と職員、計240名は、陸軍病院に看護要員として従軍。激しい戦闘が続き、防衛戦が南部に撤退。陸軍病院も回復の見込みのない負傷兵置き去りして、分散して南部の地下壕に潜むも、戦局が絶望的となり学徒隊は解散を命じられる。しかし、既にアメリカ軍に支配され、周辺も激しい砲撃にさらされていたため、解散後に多くの生徒が若い命を無残にも散らしている。この第三外科壕では、壕にいた大半が爆撃で死亡し、脱出後に銃撃死たものも多く、生き残ったのはわずかに5名(生徒が4名、軍医が1名)のみだったというのだ。
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Img_8359 「ひめゆり平和祈念館」は、生徒一人一人に出来限り焦点を当てた充実した内容だった。単なる多数の数字だkの犠牲者ではなく、その一人一人が尊いかけがえのない命であったことが覗える、丁寧なImg_8369展示に感銘を受けた。

 時間をかけてゆっくりと見学していたが、途中で、修学旅行生たちで大混雑する。
Img_8360_2 高校生の彼、彼女たちはひめゆりの学生たちと同世代だ。どんな思いで見学していたのかはわからないが、彼女ら無邪気なの姿に触れると、平和の尊さと同時に、その脆さも強く感じさせられた瞬間だった。

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沖縄の旅(1)~旧海軍司令部壕

Img_8287沖縄戦は、日本国内の唯一の地上戦である。圧倒的な戦力差の前に、日本軍にはアメリカ軍を撤退させる力もなく、沖縄の民間人を犠牲にした日本側の玉砕戦でしかなく、本土決戦を1日でもImg_8294引き延ばすだけの、いわば捨て石でしかなかったのだ。

本島南部は、組織的抵抗の最後の激戦地である。その遺構の一つが、旧海軍司令部壕だ。http://kaigungou.ocvb.or.jp/shisetsu.html

Img_8322昭和19年、撤退を続けた日本軍の最前Img_8313線となる沖縄の軍備を強化し、飛行基地(那覇空港)を守るための防空壕のために掘られたものだ。ほとんどがつるはしなどを用いた手作業である。そのつるはしも展示されてImg_8318いた。

壕入口階段は100段あり、約20mの階段を降りると、迷路のように枝分かれした全長約450mの通路が縦横に張りめぐらされた壕内へと続いていく。わずか60年前には、まだ何千という遺骨があった場所を進む。

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重要な部屋(幕僚室や司令官室、作戦室)の後が残っている。
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玉砕の6月には、この部屋は立錐の余地もない程兵士が入り、立ったままで睡眠や休息を取ったという。
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医務室では多くの負傷兵がいたというが、看護などできるものではない。Img_8320
日本軍の銃器と手製の槍の展示を見て、そのお粗末さに驚く。壕内に重火器の武器はなく、粗末な手製の槍で玉砕突撃するしか術はなかった。
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昭和28年に生き残った元海軍部隊隊員などが入口は崩壊し泥水が溜まった壕内から、自決した大田司令官をはじめて800名以上の遺骨を収集。昭和33年には、1500名以上の遺骨を収集する。南無阿弥陀仏の碑に、「不断光」の文字。
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 ≪壕内見取図≫
Img_8293 ≪手榴弾の痕跡が残る幕僚室 ≫
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聖典講座~定善(2)宝樹・宝池・宝楼観

 4、第四観・宝樹観[樹想]【十二】

  地想観が成就したら、次に極楽の宝樹を観想していく。
・宝樹は、七重の並木として繁り、高さは八千由旬、その枝葉は二十五由旬に広がり、金、銀などの七宝の葉と花を具足し、さらにそれぞれがさまざまな色彩の光明で輝いている。その枝は真珠のついた網で覆われ、その網と網の間には、華麗な梵天城のような宮殿が並び、多くの宝石で着飾った童子が並び、光輝いている。
・またその宝樹には、さまざまな美しい花が咲き、多くの果実が生まれ、そこから発する光明は、一切の仏事を映現し、また十方仏国を顯す。
 ・同じように、幹、枝・葉・花・果を次第して観ぜよと述べられる。

 5、第五観・宝池観[八功徳水想]【十三】

 次に、極楽の宝池を観ぜしめる。
 ・極楽には八種の池があり、それぞれが如意宝珠より噴出した十四の流れとなり、黄金の川に沿って流れ、七宝の色彩を輝かせている。その川の中には七宝の蓮華が咲き、その水の音は、悟りの法を説く(苦、空、無常、無我や六波羅蜜)。
・またその宝珠より黄金の光明が輝き、百宝の色鳥と化して、常に念仏・念法・念僧の讃嘆する説法をする。その八功徳水の宝池を観想せよ。
・八功徳水とは、1澄浄・2清冷・3甘美・4軽軟・5潤沢・6安和・7除疾患・8身体増益

 6、第六観・宝楼観[総観想]【十四】

 次に、極楽の宝楼を観ぜしめる。
・五百億の楼閣がそびえ、その中には無量の天人が自然の音楽を奏で、その音は虚空に満ちて、念仏・念法・念僧の讃嘆する説法となることを観想せよ。

 以上で、浄土の第四の宝樹、第五の宝池、第六の宝楼の荘厳相を観じ終わるので、総観想と名付けられる。最後に、滅罪の功徳と、正邪の注意が述べられる。

 第一、第二とその延長の第三観が一連であったように、第四、第五、第六がまた一連の観想であると窺える。

 が、皆さん、浄土の相に付いていけず、輪読するのが精一杯。たまらず居眠りするかとも数人おられるのも、続けて読んでみると、もっともなことだと思った。

 悟朗先生曰く、「出来もしない定善の説法を乞われた韋提希夫人だったが、あまりに難しくて、思わず居眠りしてしまいす」と。すると、釋尊はおもむろに、

 「あきらかに聴け、あきらかに聴け。これから苦悩を除く法を説くぞ」と言われると同時に、阿弥陀様が韋提希の目の前に立ち上がらる。住立空中尊の第七華座観へと続くが、それは11月の聖典講座で。

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聖典講座~定善(2)水想観~地想観

 2、第二観・水想観(水観)【十】

 水想観も、仮観であるが、次の第三地想観のための準備段階の観法である。すなわち、この世の水から、氷を通して、浄土の瑠璃の大地を観じていく方便観である。
 ・水の清く澄みきった様子をはっきりと心に想い描き、心を乱さない。
 ・その水が氷になった様子を想い描く。
 ・その透き通った氷が瑠璃であるという想いをなす。
 ・極楽世界の内も外も透き通った瑠璃の大地と、観ずるようになる。
 ・その大地は、七宝で飾られた八角形の黄金の柱で支えられ、その柱のそれぞれの面は宝玉で飾られ、それぞれが千の光で輝き、その光は八万四千の色があり、それらが、瑠璃の大地に映えて、千億の太陽を集めたように光輝いている。
 ・瑠璃の大地には、黄金の道が縦横に通じて、七宝で仕切られている。その一つ一つに五百色の光があり、光明の台となる。
 ・台の上には、千万もの楼閣がそびえ、その両側には華と幡(はた)で飾られた無数の楽器が並び、四方八方から風が吹くと、妙なる音楽を奏でる。
 ・そして「すべては苦、空、無常、無我である」という教えを響かせている。

 3、第三観・地想観[地想]【十一】

 第三観から第七観までが、直ちに浄土の荘厳相を観想させる真観となる。
 ・先の水想観が完成したなら、ほぼ極楽の大地の相を観ずることができる。
 ・その一々が、閉目・開目しても消えず、眠る時以外は、常にこれを想い続ける。
 ・三昧の境地に入れば、観るという想いもなくなる正受観となり、第三観が完成。

 ・この観を説き終わった釈尊は、阿難に、未来の衆生で苦悩を逃れたいと思うもののために、この観を説けと示して、「八十億劫の生死の罪が除き、生命終わった後、必ず浄土に生まれる。心に疑いを懐くな」と示される。
 ・最後に、観に邪正(正観と、邪観)があることを注意される。観念の行の妄念・妄想の戒めである。

 以上が、第一、第二とその延長にある第三観の一連の概要である。皆さんと、輪読を重ねていくと、まだ日没や水、つまりこの世のものを手掛かりにする仮観ならば、(あくまでも何となくだが)凡夫でもイメージはできる。がしかし、そこを手がかりにする極楽の地観になると、たちどころに理解を超えていくのだ。そこがまた面白かった。

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聖典講座~定善(2)日想観

  『観経』も前回から、正宗分(本論)に入った。韋提希夫人の要請に応じ、末世の衆生のために、浄土往生の方法が段階的に説かれていくのだが、善導様は、(1)定善十三観と(2)散善三観(九品)とに二分科されて頂かれている。
 まず定善十三観である。息慮凝心-精神統一をして、淨土や阿弥陀仏などを観想する十三の観法で、第一観~第七観が依報観(浄土についての観法)、第八観~第十三観が正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)である。そのうち、今回は、第一観~第六観を窺った。

1、第一観[初観]・日想観(日観)【九】

 まず、浄土についての観法が述べられる依報観である。依報とは、衆生の生活の依り所となる生活環境のことで、国土のことである。ここでは、阿弥陀様の極楽浄土のことである。そのうち、第一と第二は、この世界の日没や水を手がかりとするので、依報観の中でも仮観、つまり方便観である。中でも、日想観は、定善十三観全体の準備段階(いわばトレーニング)の観法で、『観経』には次の手順が説かれてる。

・心を専らに西方に思いをかけて、その世界を想い描く。
・(生まれながらに目が見えない限り、目が見える者は ※仏典では、しばしば障がい者を差別するような表現が生まれるので十分注意が必要だが、ここでは、自力の行には差別があり修行に限界があることが窺える)日没の光景を観る。
・姿勢を正し西に向かって座り、はっきり夕陽を想い描き、一心に一点集中する。
・夕陽がまさに沈もうとし、西の空に鼓をかけたようになっているのを観る。
・閉目・開目でも、その夕陽がはっきりと観えるようにする。

◎善導大師は、真西に日没する春・秋の彼岸が最適であるいわれ、なぜ、日没なのかにも『定善義』の中で詳細に応えておられる。
 第一に、極楽の方処(よりどころ)を、西方であると知る。
 第二に、自身の罪障の重さを知る。太陽を想い浮かべても、障り(黒障=重罪、黄障=やや重い罪、白障=軽罪)が現われる。障りが出る度に、阿弥陀仏や一切諸仏に、無始以来の罪障を一つ一つ数えて、懺悔(さんげ)する。再び、結跏趺坐して観法に入る。それでも障りがでるならば、再度、懺悔する。この所作が詳細に定められている。これは、実際に善導様が、実践され、体験され、自ら定に入っておられなければ言えない言葉ばかりだ。
 第三に、日月を超えた、阿弥陀仏の光明の威力を知るためである。

 余談ながら、かなり認知症が進んだ父の最晩年、沈む夕日に静かに合掌している姿を、何度か見ている。もう西に帰っていく準備だったのだろう。

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10月の 「仏書に親しむ会」

  「仏書に親しむ会」は、「非僧非俗のこころ」に入って、「専修念仏への弾圧」のところを読む。

  念仏停止(ちょうじ)というが、比叡山でも念仏修行はなされている。ここで停止されたのは、法然様の「専修念仏」である。ただ念仏一行で、その他の行、(行としでき)菩提心さえも否定し、老若男女も問わず、遊女や盗人までが帰依するのだから、旧仏教側、真面目に修行している僧も、許せなのは当然だ。

 「ではなぜ、念仏一つで救われていくのですか」、皆さんに問う。お念仏にどんなお徳があり、またなぜ、念仏一つが選ばれたのかである。

 すると、急に静かになって反応がない。いつものことだが、少し変わった角度から(別に変わっていないが)質問すると、皆さん、途端に静かになる。決して、試験があるわけでも、正解を覚えることでもない。しかし、ここはよくよく考えてもらいたかった。「ただ有り難い、結構だ」というだけでなく、「念仏一つ」のおいわれを聞いてもらいたのだ。

 すると、「願行具足の南無阿弥陀仏」ですか、と応えてくださる。が、その後はでない。

 「勝・易の二徳」は、聞いてことがありませんか? と尋ねると、皆さん、ああという顔をされる。いわれるとなるほどと思う。

 法然様は、お念仏は、本願の行であるからだといわれている。私が選ぶのではなく、阿弥陀様が選擇された本願の行なのである。法然様が、他力念仏に出会うきっかけは、善導様の散善義のご文であるが、その結びは、「順彼仏願故」とある。阿弥陀様の本願に順じていく故だというである。人間の智慧や自力に従うのでない。たとえ権力者に批判されようとも、それは人間の世界、自力の世界のことだ。人間の言葉ではなく、阿弥陀様に順じてさせていただく身となったことが有り難い。

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平日の東海支部法座

 今回の東海支部法座は、平日の開催。しかも昼間である。東海支部は、現役で働いている、会社や役所勤めの男性が多い。参加者はきっと少ないというのが、お世話役の読みで、弱気なメールも来ていた。ところが、蓋をあけてみると、予想の以上の参加者がある。懇親会にも、予想の3倍の参加者で会場はギュウギュウ。 最近の支部法座の中では、いちばん多かったかもしれない。有給を取った方、平日でないとこれない方に、久しぶりの方や初めてお会いする方もあった。懇親会でも(テープルの半分の方だけでしたが)、いろいろとお話がきけてよかった。一人でもご縁が深まることを願うばかりである。

 ご法話は二席に分けたが、いろいろと話題も多かったので、かなり長くなった。

「如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情を捨てずして
 廻向を首としたまいひ
 大悲心をば成就せり」

 親鸞聖人『正像末和讃』をいただいた。
 なぜ、阿弥陀様立ち上がらねばならなかったのか。それは、「苦悩の有情」(有情とは、心あるもの、いのちあるいきとしきるもの)ありようが、苦しみ、悩み、迷っていると見定められて、そのものをも見捨てることを出来ずに、立ち上がられて、本願をおこされたのである。では、その「苦悩の有情」とは、どこの、誰を指しているのか。そこを具体的に聞かせもらう。また、その苦悩の中味とは何かも、自分で感じる苦・楽ではなく、真実の眼(まなこ)で御覧になって、苦悩の姿をお聞かせいただくのであるから、そこを具体的に出しながらお取り次ぎさせていただいた。

  そして、そのために、どんなお手立ててをもって救おうとされたのか。それが、如来様からの「廻向」を首(第一に、中心に)にして、南無阿弥陀仏にご自身を身投げして、苦悩の私のところに飛び込んできてくださる。迷いの私から助けてもらうために歩みでのなはく、如来様の方から先手で、飛び込んでくださっている。それだけの大慈悲心の塊(かたまり)となってくださった。まさに、南無阿弥陀仏の姿である。

  後席では、王舎城の悲劇の四名の登場人物の罪業、特に、愚痴の女人である「韋提希夫人」が、いかに自己の問題とならず、終始、責任転嫁し続ける愚痴の姿を示し続けながらも、お救いはそんなことにはお構いなく、一方的に如来様からのお働きがかかり続けてくださってる、そのおこころを頂いた。

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映画『国家主義の誘惑』

 ドキュメンター映画『国家主義の誘惑』を見た。
  http://kiroku-bito.com/nationalism/

  明治維新から今日まで(すなわち150年)の日本社会を俯瞰し、日本人の天皇観や憲法観、そして歴史観はどのように形づけられて、今日まで形成されてきたのか。それをわずか54分という時間制約の中で正面から取り上げている、フランス製作の作品だ。『天皇と軍隊』(これもとても面白かった)の渡辺謙一が監督だ。

 憲法9条2項の削除ではなく、9条はそのままで、新たに3項を加えて自衛隊(国防軍)を明記する改憲を押し進めたい安倍首相と、それを阻止するために退位表明されたた今上天皇(憲法に定められた「国民統合の象徴」として役目が果たせなくなったことを強調)の関係も、たいへん面白かった。

 意識する、せずにかかわらず、ぼくたちは歴史的な制約の中に生きているということ。そして、大きな変革(明治維新や敗戦)があったとしても、ある意味、地続きで、形は変えて支配されているということ。恐ろしいのは、支配されていると気付かないでいることだろう。不都合の真実は、なかったことにしたいので凡夫の性。仲良く、楽しく過ごしているのに、真実を述べると袋叩きにされたり、嫌われたりする。これは、仏法の世界でも同じことだろう。

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台風の余波

Img_8161大分開催の法座は、これで4回目。この時期に自然災害が多い。直接の影響はなかったが、最初の年は御嶽山の噴火が起る。2年目は、熊本地震で、大分にも震源が拡がり、延期。そして、今回は、非Img_8168常に強い勢力での台風の接近だ。行きは大丈夫でも、帰路は影響を受けるだろうと覚悟はしていた。参詣の皆さんの帰りも心配だった。

Img_8187  幸い台風は、九州に上陸せず、規模の割には被害は最小限に止まったようだ。そImg_8188れでも、宮崎や大分では、1日で250~300㎜の雨が降り、昼頃には、風もかなり強Img_8191かった。

 大分駅前の会場は、施設も新しく立派だ。しかも避難所に指定されていて、安心できる施設。Img_8183風雨が強い昼間には動かず、台風は過ぎ去るまで法座。おかげで終了の頃には、晴れ間もみられ、皆さんの帰路には影響はなかった。ただぼくは足止めとなる。午後から広島以降の新幹線が止まることが決定していたのだ。日曜日の朝に運休が決まったので、駅での混乱や列車に閉じ込められる心配もすることなく、大分連泊を決められた。

 大分市内ではなく別府の駅前に宿をとる。その方が、料金も安く、温泉にも入れる。、観光はせずに、翌朝には戻ったが、ちょっこっとだけ観光気分を味わえた。
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《↑大分駅前には二人の像。戦国大名の大友宗麟》
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 《↑もう一人は、フランシスコ・ザビエル
  「雨、降っているのか?」のポーズ》
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 《↑別府駅前には、こんな面白い像。
 台風一過で青空で、暑かった》

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