沖縄の旅(3)~摩文仁の丘・平和祈念資料館~
今回の沖縄旅行は、南部の沖縄戦跡を訪ねることが目的の一つだが、その中でも、摩文仁の丘にはぜひ行きたかった。日本軍の組織的戦闘が終わった最後の激戦地である。ただ、ぼくが思っていたのは一昔前の各都道府県の慰霊の碑がひっそり立つイメージだ。(結局、時間がなくそこはパスした)
しかし、いま沖縄県によってきれいに整備されて、平和祈念資料館も充実した施設だった。沖縄住民の視点で捉えた沖縄戦
を展示理念としいる施設だ。沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝えたい。全世界の人びとに沖縄のこころを訴え、恒久平和を樹立に役立てたいとの願いでできたものだ。
ここも修学旅行の高校生が賑やかに通り抜けていく。騒がしさに不満もあったが、少
しでも沖縄戦の実相に触れてもらえたのだろうか。
資料館は、 1 <沖縄戦への道> 2<鉄の暴風> 3<地獄の戦場> 4<沖縄戦の証言> 5<太平洋の要石>の5つのテーマからなる展示で、j実物資料、写真をはじめ、沖縄戦体験者の証言像などから
なっているが、順番に見ていくことで、単なる戦争の悲惨さとか、平和の尊さなどという美名ですまない、今なお続く沖縄の人々の苦悩(日本人の苦悩でもある)がどのような歴史で継続されてきたかがよく分かった。
この問題は、何も太平洋戦争中の悲惨な沖縄戦だけにあるのではなく、明治維新後の琉球処分に始まり、琉
球文化の破壊(皇民化制作)、そして唯一の本土での地上戦である沖縄戦では、官民におびただしい数の犠牲者(死者だけで20万人以上)を生むが、アメリカとの戦闘そのものではなく、日本兵の住民殺略や強制集団死、餓死なども含まれる。また戦火のなかった離島でも、強制移住によって住宅も財産も奪われて、マラリヤの蔓延する山奥で多くの人たちが亡くなってもいる。そして戦争が終わると27年間に渡る米軍の統治があり、日米密約による本土復帰で、中心部に密集する米軍基地は恒常化され続け、今なお不当な扱いを受けているといっていい。そう辺野古移設の問題へも続くのだ。そのことが体系的によくわかる展示内容だった。
≪↑平和の火≫
≪↑平和の礎 官民問わず沖縄戦の犠牲者の銘碑≫
≪↑資料館の窓から。この海を米国艦隊が埋め尽くした≫
≪↑平和祈念堂≫
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