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聖典講座~定善(2)日想観

  『観経』も前回から、正宗分(本論)に入った。韋提希夫人の要請に応じ、末世の衆生のために、浄土往生の方法が段階的に説かれていくのだが、善導様は、(1)定善十三観と(2)散善三観(九品)とに二分科されて頂かれている。
 まず定善十三観である。息慮凝心-精神統一をして、淨土や阿弥陀仏などを観想する十三の観法で、第一観~第七観が依報観(浄土についての観法)、第八観~第十三観が正報観(阿弥陀仏や聖衆方についての観法)である。そのうち、今回は、第一観~第六観を窺った。

1、第一観[初観]・日想観(日観)【九】

 まず、浄土についての観法が述べられる依報観である。依報とは、衆生の生活の依り所となる生活環境のことで、国土のことである。ここでは、阿弥陀様の極楽浄土のことである。そのうち、第一と第二は、この世界の日没や水を手がかりとするので、依報観の中でも仮観、つまり方便観である。中でも、日想観は、定善十三観全体の準備段階(いわばトレーニング)の観法で、『観経』には次の手順が説かれてる。

・心を専らに西方に思いをかけて、その世界を想い描く。
・(生まれながらに目が見えない限り、目が見える者は ※仏典では、しばしば障がい者を差別するような表現が生まれるので十分注意が必要だが、ここでは、自力の行には差別があり修行に限界があることが窺える)日没の光景を観る。
・姿勢を正し西に向かって座り、はっきり夕陽を想い描き、一心に一点集中する。
・夕陽がまさに沈もうとし、西の空に鼓をかけたようになっているのを観る。
・閉目・開目でも、その夕陽がはっきりと観えるようにする。

◎善導大師は、真西に日没する春・秋の彼岸が最適であるいわれ、なぜ、日没なのかにも『定善義』の中で詳細に応えておられる。
 第一に、極楽の方処(よりどころ)を、西方であると知る。
 第二に、自身の罪障の重さを知る。太陽を想い浮かべても、障り(黒障=重罪、黄障=やや重い罪、白障=軽罪)が現われる。障りが出る度に、阿弥陀仏や一切諸仏に、無始以来の罪障を一つ一つ数えて、懺悔(さんげ)する。再び、結跏趺坐して観法に入る。それでも障りがでるならば、再度、懺悔する。この所作が詳細に定められている。これは、実際に善導様が、実践され、体験され、自ら定に入っておられなければ言えない言葉ばかりだ。
 第三に、日月を超えた、阿弥陀仏の光明の威力を知るためである。

 余談ながら、かなり認知症が進んだ父の最晩年、沈む夕日に静かに合掌している姿を、何度か見ている。もう西に帰っていく準備だったのだろう。

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