沖縄の旅(1)~旧海軍司令部壕
沖縄戦は、日本国内の唯一の地上戦である。圧倒的な戦力差の前に、日本軍にはアメリカ軍を撤退させる力もなく、沖縄の民間人を犠牲にした日本側の玉砕戦でしかなく、本土決戦を1日でも
引き延ばすだけの、いわば捨て石でしかなかったのだ。
本島南部は、組織的抵抗の最後の激戦地である。その遺構の一つが、旧海軍司令部壕だ。http://kaigungou.ocvb.or.jp/shisetsu.html
昭和19年、撤退を続けた日本軍の最前
線となる沖縄の軍備を強化し、飛行基地(那覇空港)を守るための防空壕のために掘られたものだ。ほとんどがつるはしなどを用いた手作業である。そのつるはしも展示されて
いた。
壕入口階段は100段あり、約20mの階段を降りると、迷路のように枝分かれした全長約450mの通路が縦横に張りめぐらされた壕内へと続いていく。わずか60年前には、まだ何千という遺骨があった場所を進む。
重要な部屋(幕僚室や司令官室、作戦室)の後が残っている。
玉砕の6月には、この部屋は立錐の余地もない程兵士が入り、立ったままで睡眠や休息を取ったという。
医務室では多くの負傷兵がいたというが、看護などできるものではない。
日本軍の銃器と手製の槍の展示を見て、そのお粗末さに驚く。壕内に重火器の武器はなく、粗末な手製の槍で玉砕突撃するしか術はなかった。
昭和28年に生き残った元海軍部隊隊員などが入口は崩壊し泥水が溜まった壕内から、自決した大田司令官をはじめて800名以上の遺骨を収集。昭和33年には、1500名以上の遺骨を収集する。南無阿弥陀仏の碑に、「不断光」の文字。
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