浄土三部経の役割
聖典講座スクリーング法座は、浄土三部経の役割に触れた終わった。
浄土真宗の根本聖典、正依とする経典は「浄土三部経」-『仏説無量寿経』(大経)『仏説観無量寿経』(観経)『仏説阿弥陀経』(小経)である。
親鸞様は、この三経に顕説(表に見える立場)と、隠彰隠された真意)の意があるとご教示くださった。
まず顕説、表に見える立場では、
『大経』は18願の他力念仏往生
『観経』は19願の自力諸行往生
『小経』は20願の自力念仏往生
と、三経に真仮の差別があると見られたのである(三経差別門)。
しかし、隠彰(隠された真意)の立場からは、
『大経』が18願を勧めるように、
『観経』も自力諸行を捨てて他力念仏に誘引し、
『小経』も自力念仏から他力念仏を勧めるので、
三経が一致して、第18願の立場で一つの意だと見られている(三経一致門・一意門)。
しかも真実の立場で一致した三部経には、それぞれの役目があること詳しくお説きくださったのは、覚如上人のご指南である。すなわち、
『大経』は法の真実を顕し、
『観経』は機の真実(法の目当ては誰なのか)を顕し、
『小経』は機法合説証誠(機と法を合せて、真実であることを証明する)の立場である
これが三経一致門・相成門である。
結局、ただ法の真実があるだけなく、その法に照らされ、そのお目当てが誰なのかを知らされねば空しいということになる。そしてそれは諸仏方が讃嘆し、法も機も真実であることが証明されてこそ届くもでのである。
そのことは、法座の構造、三量にも当てはまるのではないだろうか。
聖教量(説教・法話)はいわば教えで、法の真実を示すものだ。
しかし、それだけではダメで、その教えが確かに衆生(私)上に届いてこなければ意味はない。それが現量(領解出言・信仰体験発表)であって、いわば本願のお目当てを体解したところが語られるところである。
そしてさらに比量(談合・信仰座談)として、同行の仏徳讃嘆の声となり響き合い、法の真実、機の真実が証明されていくというのである。
そうなると、現状の真宗界はどうであろうか。そんなこともいろいろと考察させていただいた。
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