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真宗カウンセリングの客観的規定

 西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の中で、「真宗カウンセリング」の成立を読んでいる。

その終盤に差しかかり、「四、真宗カウンセリングの客観的規定」である。これまで主観内部での真宗カウンセリングを、最小限の客観的規定をされる、大切な章である。担当者がいなかったので、ぼくがまた担当する。その要旨である。      

~真宗カウンセリングの底~(P182~186)

 主観内部の「真宗カウンセリング」から、客観的規定の最小限の三つの特性を挙げらる章である。

 その「真宗カウンセリング」の第一特性は、
 「真宗カウンセリング」は、カウンセラーが真宗の立場に立って行うカウンセリング。すなわち、真宗の教法に帰依する心を根底において行うカウンセリングである。

 次に「真宗カウンセリング」の第二特性は、
 「真宗カウンセリング」は、「法」(Dharma)を根底においた、あるいは「法」中心のカウンセリングである。

 この二つを押さえた上で、では、真宗における「法」とは何かが簡潔に述べられる。
 法中心のカウンセリングは「仏教カウンセリング」に通じる特性であり、それぞれの「法」のとらえ方で、特色ある仏教カウンセラーが誕生することになる。
 その中で、浄土真宗では、法はは「名号」、つまり「南無阿弥陀仏」という本願の名号である。その名号を聞き、疑心ないのが信心。摂取不捨の利益で、必ず涅槃の悟りを得る身となるのである。
 
 では、「法」に生きる真宗念仏者とはどんな存在か。(図1参照・P184上段)
 真宗念仏者とは、「本願を信じ、念仏を申せば、仏と成る」との他力真実の旨を信じ受ける身となるのであり、如来の願力、大悲に生きる身。すなわち、たとえ一人で居ても、「如来と共に生きる存在」「自己の実存の根底において自己を超越した仏に支えられた存在」「有限・相対の自己が無限・絶対なものと出会い、関わり生きる存在である。つまり、人格の内面に、自己(有限・相対)の次元、仏(無限・絶対)の次元を合せ持つ存在である。

 では、その真宗カウンセラーとクライエントの関係はどうなるのか。(図2参照・P184下段)
 まず、クライエントが、真宗の示す仏と無関係の意識状態の時の真宗カウンセリングでは、
 クライエントは、カウンセラーとの人間関係のみしか意識されないていない。
  しかし、カウンセラーは、人間関係の次元でクライエントと向かい合うと同時に、自己の内面において仏と関係を感じいる。その意味で、二重関係の中にいるといえるのである。
 
 そして、ここから「真宗カウンセリング」の第三特性が導かれる。(P188)
 つまり、「真宗カウンセリング」とは、相対的な存在である自己と他己との関係、相対的存在である自己および他己と絶対的である仏との関係、という二重関係にあるカウンセリングというのである。

 最後の詳細は、来月の月例会に持ち越し。10月17日(水)夜7~9時

 先月から、参加者の顔ぶれが代わって、雰囲気も一変。かなり緊張感もある、しんどい集いになっている。でもこれまでお聞かせいだいたことの凄さを教えられている。カウンセリングの世界においても、ほんとうにすばらしいよき師にに出会わせてもらったことを喜ぶばかり。

 

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