『仏敵』の旅(4)當専寺
「野口道場」から伊藤先生のご自坊の「當専寺」までは、二里(約8キロ)の道だと、『仏敵』にはある。昔、野口道場は野口村だったが、今は大和高田市に、當専寺は新庄町だったが、今は葛城市になっている。バスだと大回りせねばならないので、かなり距離を感じた。この道を、伊藤青年は、求道の悩みを抱えながら往復しているのである。二上山(にじょうさん)の山並みが見えている。『仏敵』でも、その風景がこのように描写される。
「もう夕暮れである。二上山脚に落ちていく春の太陽は真紅に燃えて、鎮守の森の木陰にうずくまってものを考えている私の姿を、悩ましげに照らのであった。」
距離はあっても、バスでは短時間で當専寺に付いた。広い場所にバスが止まって、細い曲がりくねった路地を歩く。ご住職が先導くださる。伊藤先生のご子息は方は寺継承されるでに、奥さま(愛子さん)のご親戚が入寺されお護りくださっているのだ。
↑真宗興正派の末寺で、小さな山門の脇には「一養山 當専寺」の碑文が立つ。
↑平成の大修復がなされていた。野口道場と同じく平成12年とは、奇遇である。
↑今回一番のショックは、父が揮毫した「華光道場」の扁額と左右の波の絵がなくなっていたのだ。それを察して、住職からもご説明。修復に際して、直接、土壁に書かれていた書や絵は取り外せず、いまのこの絵の下になっているという。しかし直接的に上書ではなく、(つまり消さないで)それを覆うものを挟んでから、その上に書かれている。つまり、今でもこの下に書と絵は残っているとうのである。「華光道場」が無くなったいきさつのは、象徴的でいろいろと感じさせれた。
↑これから修復されるという。以前は内陣の上もこんな感じだった。
↑観音菩薩像。浄土真宗に転派の以前の名残りで、長谷寺と観音さまと同じ木材だと言い伝えられるそうだ。
↑當専寺の第十七世の住職である伊藤先生の七条袈裟の写真。会館にも同じ時に撮られた写真がある。當専寺の親鸞聖人七百回忌法要の時だろう。
↑伊藤先生が晩年に建立された梵鐘。華光誌に「梵鐘のひびき」として連載され、倶会一処の梵鐘発願の思いが語られている。華光同人やアメリカ同人も喜捨されている。この「実は…」の裏話を父から聞いてるが、今は止めておこう。
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