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『仏敵』の旅(1)龍谷大学大宮学舍

  『仏敵』を巡る聞法旅行。7月の予定が、西日本豪雨で延期になった。今回も雨は気になるが、旅行には影響はない。が、早朝、欠席の電話。北陸地方の大雨で、列車が不通になったのだ。新潟の参加者は前日入りだったが、福井の方は残念なことになった。

 前回より参加者は増えた。京都駅に集合し龍谷大学大宮学舍へ。5分で到着。伊藤先生と言えば興正寺本山からスタート予定だったが、大阪北部地震と豪雨の影響で内部拝観がなくなり、龍谷大学からスタート。
 『仏敵』の中で龍谷大学の回想シーンは、伊藤青年が「善き知識」を求めるための大切な機縁となっている。第4章である。
  
 龍谷大学は、今から380年前、1639(寛永16)年に、西本願寺に誕生した「学寮」が、その前身である。世界でも有数の、日本でいちばん古い大学だと自称している。(それを言うなら、東寺にある種智院大学はもっとすごい)。その後の法論や混乱で、学寮は破却されて新たに「学林」となり、明治期に入って、 1876(明治9)年に、「大教校」となっていく。今日の大学という意味では、このあたりからであろう。そして、明治12年に、現在の本館や南黌・北黌などが完成している。なお、伊藤先生が在学中は、仏教大学と称していた。いまの仏教大学とは無関係。

 土曜日で講堂の内部拝観(写真はあります)はできず、外からの見学。ぼくが説明役たったので、母校の歴史を改めて調べ直した。ちょうど数日前る京都新聞に、建築物としての本講の記事が詳細にでていたので、皆さんに配布。
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 本館(講堂)は石造りの西洋建築にみえるが、実は木造建築。高い伝統技術を持った本願寺に関わる大工が、西洋の技法を取り入れたもので、木に石を貼った「木骨石貼り」構造という珍しい技法。重厚なたたずまいが人気で、最近の映画のロケ地として多数、登場している。
 ここからは、3日前に撮った内部の写真↓Img_7784

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↑本館より北黌(教室)を眺める
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↑南北黌(教室棟)は、「仏敵」当時は寄宿舎。ぼくが在学中に修復され重要文化財に指定

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↑旧守衛所と正門も、初期西洋建築の貴重な建築物で、国の重要文化財。ただし正門はレブリカで、本物は東黌に展示中。

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