『観経』~正宗分~定善の概観(1)
スクリーングを午前で終えて、午後からは通常の聖典講座である。 ここから参加者が増えて、いつもよりお参りが多かった。 かなり堅い話が続くので、興味のない方は、読み流してくださって、結構です。
『観経』も序文、発起序七縁が終わり、正宗分(本論)に入った。韋提希夫人の要請に応じて、浄土往生の方法が段階的に説かれていくのである。
ここを善導様は、大きく(1)定善十三観と(2)散善三観(九品)とに二分科されている。
(1)まず、定善十三観とは、息慮凝心-精神統一をして、淨土や阿弥陀仏などを観想 する十三の観法で、中心は、第九観の真身観(阿弥陀仏の相好を感ずる)である。
(2)続いて散善三観(九品)、精神統一が出来ない者の行で、廃悪修善(悪を廃し、善を修める)が説かれている。『大経』の三輩(上・中・下)段に対応し、さらにそれぞれを、上生・中生・下生の九品に分類する。発起序七縁の「散善顕行縁」では、三福(世・戒・行)として散善の行が明らかにされている。それで、三福九品ともいう。最後の下品では、悪人のために念仏が説かれていくのである。
そのうち、今日から(1)定善十三観になるので、その概観を窺うことにした。
この定善十三観であるが、聖道諸師方と善導大師の分類の相違がある。
善導様は、正宗分を定善十三観と散善三観(九品)に分類されている。しかしそれまでの聖道の諸師は、十六種類の観法として捉えていた。散善それぞれに「これを上輩生想と名づけて、第十四の観と名づく」「これを中輩生想と名づけて、第十五の観と名づく」「これを下輩生想と名づけて、第十六の観と名づく」と説かれているからである。それを第十二観(普観)が、自身の往生を思い浮かべる「自往生観」であるのに対して、この九品段を、他の衆生が往生する姿を浮かべる「他往生観」だと見られたのである。
それに対して、善導様は、定善十三観までは韋提希夫人の要請に応えた説法で、その行に耐えられない凡夫のために、釋尊自らが散善を説き開き、序分の「散善顕行縁」で三福(世・戒・行)を述べ、そのありさまを詳細に知らせるために九品に分類されたとご覧になった。それで、定善十三観と散善三観を二分科されているのである。
さて、観察(かんざつ)行は、
天親菩薩は、五念門に第四番目に観察門を、
善導大師は、五正行の第二番目に観察正行を、それぞれ説いておられるように、浄土の行法としてたいへん重要なものである。
「止観」とは、心を静め、疑惑に心を見出されることなく集中して、仏や浄土を観察することで、仏道修行の中心だ。天台宗では「摩訶止観」と呼ばれ、根本教義でもある。つまり、。
止-梵語シャマタ(sanatha) 奢摩他=作願・定
もろもろの心の邪念や雑念、思いを止め、心を静かにひとつの対象に集中し、
観-梵語ヴィパシュヤナー(vipasyana) 毘婆舎那=観察・慧
正しい智慧を起して、対象(浄土や仏)を観るのである。
そんなことを踏まえた上で、定善十三観の概観した。これは、依報観(浄土)と、正報観(仏・菩薩)に二分科されるが、それぞれに、仮観(方便の観)と真観がある。それを分類すると以下のようになる。
ー仮観ー第一観・第二観(方便の観)
依報観
ー真観ー第三観~第七観
定善十三観
ー仮観ー第八観 (方便の観)
正報観
ー真観ー第九観~第十三観
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