第三室戸台風?
台風21号は、各地に大きな被害をもたらしたが、皆さん、大丈夫でしたか。大阪や和歌山の同人の中には、被害(大半が建物や車で人的被害ではなった)の様子を窺った。また停電(4日間も停電と断水が続いた同人もあった)で不自由された方も多かったようだ。
台風がやってくると、父のことを思い出す。ぼくの中で台風での被害の記憶はない。ただ、ラジオやテレビで情報を集め、汗だくになりながら会館中の雨戸を打ちつけていた姿が印象的だ。昔は、役員さんも心配で駆けつけてくださり、一緒に作業された。その後、全館がサッシとなった。格段に安全性が高まったが、それでも防風用のシャッターがすべて降ろされた。昼間でも会館全体が真っ暗になった。
でもそこまで用心するには、それなりの理由があった。若い時から重なる台風の被害を受けて来たからだ。中でも、初代華光会館が完成した数年後、第二室戸台風では大きな被害があった。ぼくが生まれる前年のことだ。強風で道場の南東の角の土壁が飛ばされて、暴風雨が会館の中を吹きつけたのだ。当然、道場のタタミがだめになるだけでなく、大屋根が持ち上がって飛ばされる直前までなったという。当日は、下宿や間借りの家族がたくさんおられた時代。総出でタタミを上げ、抜きた場所を大至急タタミで覆って、なんとかしのいだそうだ。当時、会館付近に高い建物はなく、強風が直撃したのであろう。建設資金の返済は続いていたが、すぐに風水害募金が始まった。それで、翌春に予定されいてた親鸞聖人の700回大遠忌も延期された。そのおかげで昭和39年に開催された700回大遠忌には、ぼくもお稚児さんで出席することができたのだ。まだ2歳で記憶にはない。頭を大やけどして、グルグル巻の包帯姿の写真が残っている。
特に、今回のような室戸岬を通るコース台風に敏感だった。「室戸岬から四国をかすめ、大阪湾に上陸すると、台風の東側になるので(大阪や京都は)大きな被害になるんや」というのが、台風のニュースを見る時の口癖だった。余程、懲りたのであろう。
今回の台風がまさにそのコースだった。風速や潮位(高潮)は、室戸台風や第二室戸に匹敵したり、それ以上に史上1位を記録した地域もたくさんあった。京都でも、室戸台風以来、戦後は最大の瞬間最大風速を記録した。
会館にもいろいろなものが飛ばされきたが、隣りビルのアンテナが一斉にこちらに折れ曲がり、飛んでこないかと心配にはなった。翌日、みんなで駐車場や屋上の掃除や片づけをした。この一角は停電もせず、点検する限り建物に被害はなかった。たいへんな暴風で、歴史的な建物は大きな被害を受けたが、大半は無事に済んでいる。昔に比べれば、それだけ建物が丈夫になっているということだろう。ただ温暖化に伴い、もっと強烈な台風に襲われたり、これが毎年の恒例になるのでは?という予感も強くさせられた
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