聖典講座スクリーング法座
根っからの貧乏症である。聞法旅行が延期となった影響で、「壮年の集い」を中止した。すると土曜日が空いてくる。翌日に聖典講座を控えていて準備もある。無理にウメる必要がないのに、ついつい勿体ないと思ってしまう。
早くからの申込者が数名あったのも一因だ。しかし日曜日の午後からは聖典講座は外せない。ならばそれに関連した聖典講座のスクリーングとどうか? 「浄土三部経」の聖典講座がすべて終わったまとめで、何かやりたいと考えていたのだ。少し前倒しだが、提案すると「いいですね」という声が届いてきた。でも、2週続けての宿泊法座、しかも予定外の法座となって、実際は参加者は少なかった。それでも2週続けて参加される方が半数。広島などの遠方からの参加者もあった。ハッキリしたことは、2週続いても参加する人はする。チャンスがあっても参加しない人はしない。当たり前のことだ。
2日目の昼座は通常の聖典講座なので、1日目の昼座、夜座、そして2日目の朝座の3回で、浄土三部経を概観を頂かねばならない。かなり飛ばした。ただ講義だけでなはい、通信講座の方に浄土三部経のDVD(『観経』はスライド(幻燈)が面白い)を見てもらうのだ。これを楽しみにしてくださる方もある。おかげで、2日間、かなり濃厚な集いになったのではないだろうか。
ぼく自身も、あらためて三部経を短時間に頂くことで、一致して真実を示される部分と、さらにそれぞれの役割とがクッキリと浮かび上がってきた。詳しくは、次号の華光誌の巻頭言で触れている。要は、ただ法の真実の『大経』だけではダメで、そこに機の真実、つまり法(南無阿弥陀仏)のお目当ては誰なのかが示される『観経』があり、さらに機と法を合説して、諸仏方が証誠される『小経』があって、南無阿弥陀仏のお目当ては、五濁悪世に沈むこの泥凡夫であり、そしてその真実が私にまで届けられるのである。南無阿弥陀仏
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