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『観経』~正宗分~定善の概観(3)

  定善十三観のうち、正報観(阿弥陀仏、菩薩)である。

8第八観・像観…第八観から十三観までは、正報観である。宝座を観じたなら、その主である仏を観想するのである。それは仏が法界身であるからだ。しかし、いきなり阿弥陀仏を観想は難しいので、まずは端正な仏像を 観念する仮観が説かれていく。ここで『仏敵』で伊藤先生が拝まれる「水流光明」が説かれる。

9第九観・真身観…いよいよ阿弥陀仏の真身を観想するもので、定善の中心。
 念仏の衆生を摂取不捨(摂取して捨てたまわない)に仏意に達するのである。
 「光明遍照・十方世界、念仏衆生・摂取不捨」

10第十観・観音観…阿弥陀仏の両脇士のうち、まず左方の観世音菩薩観想する。
 阿弥陀仏の慈悲を顕している。

11第十一観・勢至観…次に右方の勢至菩薩を観じる。阿弥陀仏の智慧を顕わす。
 阿弥陀仏の化益の全きことを体認せしめるのである。

12第十二観・普観…以上、浄土と仏・菩薩を次第順序して観想してきたので、ここでは普(あまね)く合せて観ずると共に、自分が救われてその浄土に往生する想いをなす「自往生観」となる。その想いの行者のところに、常に観音・勢至等の諸菩薩が来たり摂護する。

13第十三観・雑想観…以上の諸観を最後に総合して観ずる。そして、仏身の大小真化を観ることも、行者の意楽(いぎょう)に従って自在である。
 このような観は、凡夫心力に及びところではなく、阿弥陀仏の宿願力のよることが説かれていく。
 宿願力=阿弥陀仏が法蔵菩薩としておこされた願を宿願(昔の願)といい、その願が完成し,願い通り衆生済度する働きを宿願力という。

 10月からは、詳しく中身を窺っていきます。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2018/detail/10/seiten2018-10.htm

 

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