殺生罪に飲酒罪
Y家の家庭法座では夜座はなく、そのまま「あり田」での宴会になる。いつもながら。これがおいしくて、楽しい一時だ。
昼座、仏さまのお供えにはお酒や生臭物(匂いの強い食べ物)はお供えしないものだが、今では、本願寺の別院でも日本酒がお供えされるという話題が出ていた。
ところが、数時間もしないうち、目の前に殺生の塊の刺身と肉と、そして酒が並んで、悦に入っている。
いつのまにか、いのしし年の皆さんが、「いのしし会」を結成されて盛り上がっておられる。大虎ならぬ大猪である。ちなみにぼくは寅年で、イノシシ会に負けない人数が揃っていたが、ぼく以外は禁酒されていて大トラ会は不結成に終わった。
連れ合いはここでは日本酒を中心に、二軒目のスペースワンではウィスキーやカクテルを呑んでいた。家と違ってぼくもうるさく言わないので、心置きなく飲めて大満足である。
慈心不殺は、世福の善行の第3番目、不飲酒(ふおんじゃ)も、共に人間に生まれるための最低の戒律である五戒の一つである。殺生も飲酒も、地獄行きの罪である。もちろん、浄土真宗は肉食妻帯、お酒もお許しではある。しかし本願の上ではお許しであっても、それが浅ましい業の姿には変わりはない。植木等氏によると、「凡夫とは、『わかっちゃいるけどやめられない』」愚かなも存在ということになるのだ。 南無阿弥陀仏
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