久々の仏青例会
久しぶりに「仏青例会」に出席した。
正確には、途絶えていた「仏青例会」を復活されるための集りで、また子供大会の法話の準備会を兼ねている。ぼくが子供のころから、仏青例会は、毎月、月例会を開いていた。それが人数が減り、ここ数年で途絶えてしまった。同時に、仏青自体も元気がなくなっていた。
しかし、昨年ぐらいから光明が見え始めた。大学生を中心にした世代が、大人の法座に参加し、熱心に聴聞されている。遠方や地方の法座にも出席されている。それでも、仏青の先輩がいないので、例会があったことや仏青の活動の意味が十分理解されていなかった。
本来は、前の仏青世代の皆さんが働いて下さるのを期待し続けていたが、動く気配はない。長年、外れていたので躊躇もあったが、鉄は熱い内に打たなければならない。
ということで、今回の集いを呼びかけた。3名だけだったが、活気はあった。積極的に参加したいという人達が集まれば、人数は関係ない。数回で、ぼくも手を離し、運営や呼びかけをおまかせしていこうと思う。そのうち内容も伴い、ひとりでも参加者が増えたり、次の高校生世代の人達への受け皿となればいいのである。確かに、自分たちで企画したり、呼びかけたりするのはたいへんだ。大人に世話になっている方が楽でいいが、それだけなら子供のままだからなあ。
今日は、子供大会のテーマである「仏さま」ということで、法話とうより、講話。そして、皆さんの理解を確かめながら進めて入った。正解だけを覚えたものは、分かっているようで、角度を変えて問われると、何も分かっていないということが、よく見えてくる。何かを覚えたり、正解を暗記するより、何も分かっていない自分に出会うことの方が、数段意味がある。
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