輪読法座は難しい
平日の輪読法座。「巻頭言」と「聖教のこころ」を読む。
参加者は少ない。人数たげでなく、内容的にもかなり寂しかった。法話のある法座とは違って、輪読は座談が中心になる。とはいっても、自由な座談会の場ではない。あくまでも輪読法座である。だから、自分のもってきた話題を話したり、誰かの話題に引き込まれるだけでなく、しっかり書かれた内容を押さえていく必要がある。ここは何をテーマ(主題)にしているのか。その主題を考え、著者の伝えたいこと、いいたい事を聞かせていただく。その上で、自分の思いを語ったり、また話題展開があるのは、大切なことではある。また、雑談だって潤いという意味でも必要なことではある。
でも、聞くことや読むことは、簡単に思っているが、共に大切なコツがあるといいたい。ただ漫然と文字を追って、意味を取るように思っているが、それでは勿体ない。そのコツつかみ、訓練していくことで、深く味わうことができるのだ。しかも、ひとりではなく複数で読むのながら、ますます何が書かれているのかを味わう必要がある。そこを押さえた上で、どこまで味わっていけるのか。また自分に引き寄せてみるのもいい。
だいたいは、書かれた「言葉」や「用語」だけに反応したり、一部分だけを捕らえてたりすることしかできないのもだ。それでも、まだ文章の内容に関連しているという点では、ましだ。やっと最後になって、「ここは有り難いなー」とか「ほんまやなー」とかの話題がでてきた。でも、時間切れ。ここは時間で終わった。もしほんとうに大切なことなら、時間内で話せばよいのである。流れがなるのなら仕方がないが、大方の場合、大切なことだからと時間を延ばすのは、親切ではなく、緊迫感のない、甘い法座になっていしまう。
その意味では、課題が多い法座だった。ぼくにとっては、しんどい法座だったし、参加者のお年などを思うと、期待するのはむつかしだろ。それでも継続はしていきたい。
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