« 講座「仏教カウンセリングを求めて」WS | トップページ | 『観経』「散善顕行縁」(2)~去此不遠~ »

『観経』「散善顕行縁」(1)~概観~

『観経』の発起序に入って、今回は「散善顕行縁」(発起序七縁の六番目)の後半。

 ここまで、一言も発せず、韋提希の愚痴を受け止め、光(智慧)によって恵みを与えておられた釋尊が、その機縁が熟したことを見抜き、言葉を発して、韋提希のためのご説法を始められ、散善の概説が説かれる段である。

(1)まず、「阿弥陀仏、此を去ること遠からず」であることを示され、韋提希の要請を受けて、観仏の行を説くと述べる。それは、西方極楽浄土にうまれる行をおさめようとする未来世のすべての者のためでもあると述べられる(為凡の教)。

(2)そのために三福の善行が説かれる。

(3)続けて韋提希に、この三福の行は、過去・現在・未来のすべての諸仏方がなされた清らかな行であり、諸仏の浄土を建立された正因であることが述べられる。

 この段を、善導様は「散善顕行縁」と名付けられた。散善とは、日常の取り乱した心のままで、悪を廃して善を修めていく行である。詳細は、後の九品段で述べられるのだが、それに先立って、散善が往生の行であることを予め顕す縁という意である。また、善導様は、釋尊が自ら散善を開かれたと見られている。
 ちなみに親鸞様は、「散善顕行縁」を「自力の散善は、他力念仏を顕す縁」と転意をされて味わっておられる(『化土巻』388頁)。(続く)

|
|

« 講座「仏教カウンセリングを求めて」WS | トップページ | 『観経』「散善顕行縁」(2)~去此不遠~ »

聖典講座」カテゴリの記事