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講座「仏教カウンセリングを求めて」WS

 真宗カウンセリング研究会の主催で、奈倉道隆先生をお迎えしての、仏教カウンセリングのWS。

 真宗カウンセリング研究会だけなく、華光の法座や仏青の集い、仏教大学の講座などでも、チラシを配り、お誘いをした。その結果、真カ研の会員よりも、非会員の参加が多かった。華光の方も、仏青や子育て世代のママさんなど参加があり、加えて初めてお会いする方も4、5名あった。停滞気味の研究会では、久々に活気がうまれた。

 事前に打ち合わせを重ね、レジュメも、2校、3校正と重ねてきたので、講座だけでなく、模擬的なエンカウンター、そして最後に一対一のミニカンを行うという流れは聞いていた。

 「カウンセラーと仏教」「目覚めを賜わる仏教徒の談合と、エンカウンターグループの類似性」という講義のあと、3グループに分かれてのエンカウンターグループ。これがなかなか興味深かったが、20分ほどしかなく、これからという時に終わってしまい、もう少し深めたかったところだ。ただ、それまでの講義で聞いたことが改めて教えられた。仏教では、原因よりも、縁起、すなわち関係性を重視するということ。つまり、教える側も、教えられる側になる。つまり話し手が、次には聞き手になり、固定化された関係はない。にもかかわらず、無常とも、無我とも分からずに、物事に執着する、自我中心性こそが苦の根源。そして「調和」こそが苦からの解放へと誘うというのである。

Img_6880 模擬では、ファシリテーター(促進役、世話人)がおいたが、これは司会役ではない。もし発言が少ないと、一般の会議では、円滑の議事運営のために、司会役が発言者指名をするのが通常だが、そのやり方は、平等ではないという。エンカウンターグループを勧めるポイントは、まずはだれもが平等であること。つまり発言の優劣や重軽はなく、司会役にもそんな権限はない。そしてもうひつは、秘密保持すること。その上で、(限られた時間なので)ひとりが独占した時は、ファシリテーターが交通整理や確認をするという役割を担うというものだった。

 ああ、そうだった。どこかでうまい進行を目指しているような気持ちになっていた自分を反省。「何もしない」という大切な仕事があった。それにはメンパー(場)を信頼するという大きな役割があり、誰もが、平等に発言できるための態度で臨むことを再認識、「ハッ」と気付かされた。20分足らずの模擬実習だったが、原点に帰っていきける、とてもいいきっかけになった気がした。

 そのあとは、1)藤田清先生の「仏教カウンセリング」、2)森田正馬博士の森田療法、3)吉本伊信師の「内観」についてのお話を頂いた。これもそれぞれ教えられることは大。そして最後に、「本願念仏に導かれる傾聴」のワーク。お相手は、ベテランカウンセラーのS先生だったのも、ぼくにとってはよかった。母と同年齢ながら、たいへんなバイタリーである。またS先生自体も、仏教や真宗に関心を寄せられているのがよく分かり、有り難かった。

 ワーク終了後の懇親会も盛り上がり、二次会ではいろいろと懸念のあった関係の修復の機会もあって、有意義な集いとなった。ただ、時間が足りなかったことだけは、とても残念。もし次回があれば、朝からでも行ってもらいたいという声も多く、また実現したいものだ。合掌 

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