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東京支部法座~出遇い~

 今回の東京支部法座には、初めてお会いする方が複数あった。出会いの不思議を感じ、そして、その出会いでぼくの心が深く揺さぶられた。

 家庭的な不幸で深く傷ついておられた若者が、初参加くださる。生きていくこと、自身の存在事態が苦しく、ほんとうに人間に生まれた意義、このために生まれてきたものを、真摯に求め続けておられる。それを仏教の中に模索され、『仏敵』を読み、ここに座られた。浄土真宗の法座には初めてだという。真宗の教えを聞いたことのない方にも、『仏敵』の廻心体験は魅力的なのであろう。

 「阿弥陀さまが信じられない、後生や前世もわからない。信じられない者は、救われないのですか?」、そんな真摯な質問で始まった。敵対的でも、防衛的でもない。率直、自分を出して、次々と質問される。

 これに答えるのには、こちらもきれいごとやうわべのところや、単なる正解の教義をなぞるだけでなく、各人が、いま、喜んでいるところ率直に、心を開いて語っていくしかない。まさに私の信が問われているのである。

 具体的な詳細は触れられないが、結局、救われるとはどういうことかということになった。

 私は、いまの苦しみをなんとかしてもらいたいとう現世の願いしかない。しかし阿弥陀さまは、火の粉ではなく、火の元(迷いの元)を消すことを願っておられる。その意味では、仏法を聞いたとしても、どんなに苦しくても、また辛くても、誰も代わってくれない。自分が受けていかねばならない、厳然たる因果の道理をお話したら、ぼくから涙が溢れ出した。仏法が示す厳しさだ。しかしそれは決して冷たい厳しさではない。そんな私にずっと寄り添い、涙してくださている御方おられからだ。けっしてひとりではないのだ。

 しかし、それが私には信じられない。が、そんな私を信じきってくださっている方がおられる。その阿弥陀さまに出会わせていたたいだ喜びをお伝えせずにはおれなかった。何も力になれない我が身の無力さと同時に、いままさにご本願に願われている彼の姿が尊かった。

 翌日、もうひとりの初参加者から、メールをいただいた。

「生きたお念仏に接して、鳥肌がたちました」と。これまでの会では聞いたことがなかったという。しかも、すぐに同人会に入会されたのには驚いた。誰かがお誘いしたわけでも、また入会を進めたわせでもないのに、なんとも不思議なご因縁。こんな不思議な出会いもあるのだなー。

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